Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

理想の団結・中野家族 共に励まし 正義の快進撃を!

2001.5.2 随筆 新・人間革命4 (池田大作全集第132巻)

前後
1  「私の生涯の幸福な時期は、私が全生活を人々への奉仕の為めに差し出した時ばかりである」(『トルストイ日記集』除村吉太郎訳、岩波文庫)
 民衆のために戦い抜くことこそ、わが最高無上の幸福なり!
 これは、ちょうど百年前、ロシアの文豪トルストイが、教会から破門されたあと、明確に日記に刻んだ言葉である。
2  その夜、私は、わが同志のお宅を訪ねるため、信濃町から、中野へ車を走らせた。
 一九七九年(昭和五十四年)の三月十二日のことである。
 約三十分後、私は「池田」という表札の家の前に立っていた。急な訪問であった。
 「お邪魔してすいません。同じ池田さんでしたので、ちょっと寄らせていただきました」
 この日は月曜日で、大ブロック(大B)の協議会の最中であった。
 「大ブロック」は、今でいう「地区」である。
 突然の私の訪問に、集まっていた約二十人の友は、驚くやら歓声をあげるやら。
 大B長の池田さんは、今日が五十五歳の誕生日ですと、満面の笑みであった。
 会場には、壮年も、婦人も、男女青年部もいた。
 その四者の方々が一体の生命となっての美しい団結の姿があった。
3  「どうぞ、何でもおっしゃってください」
 私が語りかけると、皆の緊張ぎみの表情が一気にほころんだ。
 地域の最前線で、広宣流布のために健気に戦う、この皆様こそ、学会の尊き宝である。
 私は、お一人お一人の近況を伺いながら、大B(地区)の使命を語っていった。
 ① 大B(地区)こそ、広布と信心の最前線の拠点である。
 ② 最高に「理解」と「尊敬」と「和楽」に満ちた大B(地区)を築いていただきたい。
 ③ 人びとの幸せのための大B(地区)という地域の灯台を断固と守り抜いてほしい。
 今も、同じ気持ちである。
 毎回の協議会は、盤石な地域建設のために、各人が主体者の自覚で語り合う、勝利と前進への大切な”作戦会議”である。
 いかにして正義と友情の輪を広げるのか。あの友、あの同志をどう励ますのか。
 創価の菩薩は、常に真剣に祈り、知恵を絞らなければならない。
 いわば協議会は、わが地域の幸福と安穏を担う”賢人会議”といってよいだろう。
 さらに、明確な目標に向かって、皆が「心を一つに合わせて」立ち上がる、勇敢なる仏の使者の”出陣の集い”である。
4  私は、わが尊き同志の日夜の奮闘に、心から感謝しながら、社会的地位や名声では、どうすることもできない宿命に勝つための信心であることを、諄々と語った。
 そして、強く、強く訴えた。
 「何があっても、創価の陣列に残っていくことです! それは、最極の生命の陣列であるからです」
 ──この当時も、例の狡猾なる反逆者と、権力の化け物となった宗門が結託し、学会乗っ取りの大謀略が進行していた。
 権威を飾り立てて、人びとを睥睨し、侮蔑し、利用し、圧迫する。こんな宗教が、正しき日蓮仏法であるはずがない!
 私は、いかに泥をかぶり、傷を受けようとも、一人、破壊の濁流の前に立ち塞がり、押し返す、深い覚悟であった。
 その結論の行動が、今こそ第一線の大Bに入り、強化することであった。
 「当如敬仏」の仰せの通り、一にも、二にも、仏の使いである同志を尊敬し、讃え、勇気と確信を与え抜くことだ!
 この方々が健在であるかぎり、わが学会は、断じて負けない!
 私は、集った仏子たちに最大の励ましを贈りたかった。
 会場に置かれていたピアノをお借りし、「熱原の三烈士」を弾かせていただいた。尊き庶民の英雄への、はなむけとしたのである。
 友と握手をし、おいとましょうとすると、皆が玄関まで送ろうとされた。
 「協議会は戦場です。どうぞ、そのまま続けてください」
 私は、「わが同志に幸あれ、勝利あれ」と祈りつつ、会場を後にした。
 この大Bの同志は、深き決意で、猛然と挑戦を始めた。
 あの日の協議会を機に発心され、十二年連続で弘教を実らせた婦人もおられると何った。
 戦う正義の波動は、春風のごとく中野の天地に広がり、染みわたっていったのだ
5  中野の同志に、「”鉄は炎打てば剣となる賢聖は罵書して試みるなるべし”を、共に生涯の指針としよう」と揮毫して贈ったのは、一九七〇年(昭和四十五年)であった。
 幾たびもの険難の峰を、共に共にと、登攀してきた使命の中野よ!
 その一つの象徴が、メロスのごとき友情と誓いの「中野兄弟会」である。
 七三年(同四十八年)の二月四日──立春のこの日、春を待ち望む同志の心のごとく、暖かな青空が広がっていた。
 私は、中野の区立体育館での「中野・青少年スポーツの集い」に出席し、創価家族の同志と、楽しき記念撮影会も行った。
 婦人部、壮年部、女子部と、思い出の撮影は続き、最後に会場に残っていたのは、男子部、学生部、また未来部等の代表たちであった。
 撮影終了後、私は、未来に生きゆく若き弟子に語った。
 「”中野さえあれば”といえる妙法の人間山脈を築いていただきたいことを、祈る気持ちでお願いする!」
 そして、私は、この深き縁の青年たちを「中野兄弟会」と命名するとともに、三十年後をめざして、毎年、必ず集い合おうと呼びかけたのであった。
 彼ら千三百三十八人は、その場で、「三十年後の目標」を書き記し、共々に誓いを果たしゆかんと、尊き使命の大行進の開始をしたのだ。
 以来二十八星霜。中野で活躍する友も、全国・全世界に散った、あの懐かしき友たちも、毎年、毎年、勇躍として集い、互いの成長を確認し合ってきた。
 ”わが兄弟”のなかからは、実業家、博士、教育者、弁護士、医師、政治家、経済評論家、税理士、芸術家など、多彩な虹の人材が巣立っている。
 中野兄弟会の”会長”として、私は本当に嬉しい。
 この励ましと友情の”理想のスクラム”は今、燦然たる輝きを放ってきた。
6   厳然と
    久遠の誓いを
      共々に 
    果たさむ この世の
      人生 楽しや
 崇高な使命の道をひた走る、妙法のメロスたちよ!
 われらの約束の「二〇〇三年二月四日」へ、光輝ある自分自身の偉大な建設の時は再びやって来た。
 五十六年前の七月三日、わが師・戸田先生は、中野の豊多摩刑務所から出獄し、正義の人間としての反撃を開始された。今、二十一世紀の大闘争の遠征もまた、わが中野から、怒涛の快進撃を始めてくれるであろう!
 一日、また一日を、勝利と満足の人生の歌を歌い上げながら!
 今日も、充実と価値ある痛快な一日としながら!

1
1