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日蓮大聖人・池田大作

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黎明の竜の口(下) 「正義の夜明け」よ 地球を包め!

2001.3.30 随筆 新・人間革命3 (池田大作全集第131巻)

前後
1  戸田先生は、よく言われた。
 「いずこであれ、御本尊ましますところこそ、最高の聖地である。広宣流布への信心があるところが、仏の国土なのだ。そこにこそ、大聖人の魂は、おわします」と。
 大事なのは、「宗祖の精神を受け継ぐ」ことであり、「御書の通りに行動する」ことである。
 大聖人の御心である「広宣流布」に立ち上がった同志が、今、世界のあの国でも、あの地でも、自分が住むその場所を、幸福な寂光土にしようと貢献している。
 この姿こそ、正しき世界宗教の軌道といってよい。
 竜の口に誕生した「SGI教学会館」は、神奈川をはじめ、そうした世界の全同志を讃える、一つの象徴の大城である。
2  竜の口の位置について、御文には「鎌倉竜の口」、「こしごへ腰越たつの口」、「片瀬の中には竜口」等と表記されている。
 つまり、広くは鎌倉に含まれ、鎌倉の西南の出入り口である「腰越」の付近にあり、さらに「片瀬」という地域のなかにあったということになろうか。
 SGI教学会館の土地は、今日の住所で、「腰越(腰越五丁目=鎌倉市)」と「片瀬(片瀬三丁目=藤沢市)」の両方にかかっている。
 すなわち、御書の仰せと重なる「腰越の竜の口」であり、「片瀬の中の竜の口」といえよう。まさに「鎌倉・竜の口」の教学会館なのである。
3  大聖人は、「竜の口こそ日蓮が命を捨てた所である。どうして仏土に劣ることがあろうか」と言われている。
 まさに、この大法難の地から、末法の御本仏としての御境界が赫々と顕現されていった。
 あの「光り物」も、尽未来際への出発を寿ぎ、証明する「大宇宙の鑽仰」であったとはいえまいか。
 大宇宙をも動かす妙法の無限の力の一端を、大聖人が「事」の上で示された儀式が、竜の口の法難であった。
 御聖訓には、「日月は四天の明鏡なり、諸天定めて日蓮を知りたまうか日月は十方世界の明鏡なり諸仏も定めて日蓮を知りたまうか、一分も之を疑う可からず」とある。
 広宣流布の大法戦は、太陽や月という明鏡に映し出されて、全宇宙の諸仏も全世界の諸天善神も見つめている。だから、竜の口においても、厳然と護られたとの大確信であられた。
 牧口先生は、口癖のように、「創価学会は、発迹顕本せねばならぬ」と語っておられた。
 学会の発迹顕本とは、何か。
 戸田先生は、それは、学会総体に、大聖人の本眷属としての偉大なる自覚が満ち満ちていくことであり、「一閻浮提広宣流布」への偉大なる確信に立って、戦い抜くことであると教えられた。
 日顕宗による背恩非道の破門から十年。大聖人正統の創価学会の堂々たる発迹顕本の実証は、全大陸の良識と知性からの讃歎と顕彰となって輝きわたっている。
4  蓮祖のたまわく、「諸天善神等は日蓮に力を合せ給う故に竜口までもかちぬ」と。
 あの朝、竜の口を、「黎明」の旭光が燦然と照らした。
 それは、謀略の闇に対する「正義の夜明け」であった。
 権力の魔性に対する「民衆への慈悲の勝利」であった。
 元品の無明に対する「元品の法性の勝利」であった。
 地球を支配している第六天の魔王を震え上がらせた「仏界の勝利」であった。
 法華経の行者を亡き者にせんとした″殺の暗黒″を打ち破る「生命の勝鬨」であった。
 「難即悟達」である。
 「法難即広宣流布」である。
 大聖人は、身をもって教えてくださった。
 いかなる絶体絶命にあろうと、強盛なる信心の溶鉱炉が燃えていれば、断じて勝てるのだ! と。
 難に負けるな!
 敵に負けるな!
 病に負けるな!
 己に負けるな!
 勝ってこそ、幸福の「太陽」は昇る。勝ってこそ、広宣流布の「太陽」は昇る。
5  竜の口の刑場から、北条宣時の家人である、依智の本間六郎左衛門の邸へ入られると、大聖人は酒を取り寄せられた。御自身を連行してきた兵士たちにふるまい、ねぎらわれるためである。
 やがて兵士たちは、おのおの頭を下げ、合掌して、大聖人に念仏を捨て去ることを誓いながら帰っていった。
 人間性の極致の振る舞いは、凍てついた人びとの心さえも、陽光の如くとかす。そこに、正義の水かさは、いよいよ勢いを増していくのである。
 後に幕府は、この竜の口で、蒙古の使者五人を斬首した。
 大聖人は、「何の罪もない蒙古の使いが首をはねられたことこそ、かわいそうでならない」(御書一四七二ページ、通解)と悼まれた。
 幕府の首脳が、大聖人の諫言を用いてさえいたら、このようなことにはならなかったと嘆かれたのである。
 この大聖人の御心を、私は、モンゴルの若き指導者エンフバヤル首相等にお伝えしてきた。
 今、モンゴルでも、創価の人間主義への理解と信頼が深まり、広がっている。
6  鎌倉幕府は、日本にとって本格的な「軍事政権」の始まりであった。
 軍を率いる将軍を頂点とする「幕府」の制度は、室町幕府、江戸幕府と続き、明治以後も、実質的には軍人支配の継続と見てよいだろう。
 七百年以上続いた「軍人支配」の初めに、大聖人は、妙法という平和の根源を打ち立ててくださったのである。
 そして、その長き軍事政権の断末魔の時に、妙法の正義を訴え、軍部と戦い殉じられたのが牧口先生であり、戸田先生であった。
 難と戦って法を弘め、難と戦って人を救う。それが、法華経の根本の方程式であり、創価学会の永遠の正道である。
 この広宣の地涌の同志は、百六十三カ国・地域に広がった。これこそ、竜の口の正義の勝利の歴史を、事実の上で受け継いだ姿と確信する。
 あまりにも不可思議な「七百年後の創価学会の出現」であり、「七十年の世界広布の大進展」であった。
7  あの日、最も深い闇の中から昇った「太陽の仏法」は、いよいよ燦々と輝き始めた。全地球を、くまなく照らし始めた。
 人類は、この希望の大哲理の光彩を渇望している。
 新しき千年の夜明けである。
 千載一遇の好機到来である。
 今こそ、我らは、無限の活力ある妙法を存分に弘めきって、わが人生を飾りたい。
 この大光を、一人また一人へと送り届けながら、わが地域を、わが国土を、人間共和の宝土へと築き上げていくのだ。
 大聖人は、鎌倉の門下を、「敵は・ねらふらめども法華経の御信心強盛なれば大難も・かねて消え候か、是につけても能く能く御信心あるべし」と励ましておられる。
 「強盛の信心」の人こそが、真実の日蓮仏法を実践し、まことの広宣流布を開拓している。
 その人が、永遠最極の勝利者だ。
 SGI教学会館の地元である鎌倉圏をはじめ、湘南県の尊き勇者の皆様も、さらに、大神奈川の全同志も、大聖人有縁の「正義」の天地で、誇りも高く、強く、また強く前進されている。
 私も、この意義ある鎌倉の教学会館に伺いたいが、多忙なため、なかなか実現できない。
 一日も早く訪問したいと、私は願っている。

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