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日蓮大聖人・池田大作

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輝ける模範の山光(鳥取・島根) 苦難に勝ちたる 真の人間の光彩

2001.2.23 随筆 新・人間革命3 (池田大作全集第131巻)

前後
1  「山光水色 藍よりも青し」と、唐の大詩人・李白は詠った。
 山の光と水の色が照り映えて、藍よりも青く美しい。
 「戸田大学」の漢文の授業で学んだ、思い出深い一節である。
 以来、いつしか「山光」の二文字は、私の胸の中で、わが鳥取・島根の天地と重なり合ってきた。
 日蓮大聖人は、「法華経はあいのごとし修行のふかきは・いよいよあをきがごとし」と仰せである。
 この御文の通りに、健気な山光の友は、いよいよ「希望」と「人材」と「福徳」の青藍の彩りを増している。
2  嬉しいことに、この三月、鳥取・島根は、共に「百支部」の陣容へと大発展を遂げる。
 一九七八年(昭和五十三年)、「広布第二章の支部制」が発足した時、鳥取は六十七支部、島根は六十五支部であったと記憶する。
 法華経、普賢経には、「百福荘厳」「百宝光明」等とある。
 百支部の拡充は、二十一世紀の山光の広宣流布が無量無辺に開けゆく象徴といってよい。
 無敵の二つの翼の如く、大中国の推進力である両県の活躍は、本当にすばらしい。
 聖教の啓蒙も、地域の信頼と友情の拡大も、日本中をリードする勢いで、堂々と胸を張って戦っておられる。
 山光の方々は、真面目である。誠実である。勇敢である。
 ひとたびやると決めたことは、こつこつと粘り強く、断固として実践してこられた。
 そこには、人間の温もりと確かな手応えのある、真実の前進の実証が刻まれている。
 誰が見ていようがいまいが、「全国の模範は山光にあり」と、私は見つめ讃えている。
  山光と
    たれがつけたか
      この光彩
    日日の輝き
      山陰消えたり
3  なぜ、山光は、強くなったのであろうか。
 それは、同志の皆様が「強盛の大信力をいだして」、真剣に誠実に、愛する郷土に根差してこられたからだ。
 御書に寸分違わぬ我らは、悪僧らの迫害を、幾たびも耐え抜き、勝ち越えてきたからだ。
 私は、「くろがねは炎打てば剣となる」との御聖訓が思われてならない。
 懐かしき語らいが一つ。
 一九六〇年(昭和三十五年)の二月、岡山発の列車で、初めて鳥取に向かった時のことである。
 車窓からは、はだか木である桜が、満開の春を待つかのように枝を広げているのが見えた。
 同乗していた島根の同志に、私は「さくらはをもしろき物・木の中よりさきいづ」の御文を引きながら語った。
 「あの木の中から、人を魅了する花が咲く。私たちの心も見えない。しかし、一人ひとりに、人をひきつける仏性がある。それを確信していこうよ」
4  一九八四年(同五十九年)の五月、私は、六年ぶりに鳥取に飛んだ。
 境港市内にある米子空港を出て、弓ケ浜から秀峰・大山を望み、米子文化会館に入った。
 思えば、前回訪問した時は、県中央部の倉吉で、「正信会」の悪侶が蝙蝠のごとく暗躍し、清純な学会員を転落させようと狂奔していた。
 私は、その狡猾な悪の網を破り、大切な同志を護り抜くために、死に物狂いで戦った。
 わが山光には、真正の学会っ子がいる。
 倉吉でも、「婦人部三羽ガラス」と呼ばれる草創の方々をはじめ、学会精神の歴戦の闘士が、敢然と立ち上がった。
 一軒一軒、回りながら、いわれなき悪口の何倍も何十倍も、創価の正義と真実を、弾丸の如く語り、叫び抜いていかれたのである。
 ゆえに、断じて負けなかった。
 そして、六年。最も苦しめられてきた倉吉の地で、栄光の勝鬨というべき「鳥取青年平和文化祭」が、威風堂々と開催されたのである。
 四千人の若々しき団結の晴れ姿を、全県から集われた一万七千人の方々が、見守り、祝福した。
 仏法は勝負である。私と共に、青年と共に、かくも多くの友が、正義の勝利の旗を打ち立てた感激は、感動は、一生涯、忘れることはできない。
 開会前、私は倉吉会館を視察し、市内を回った。駅前の大通りには、文化祭を歓迎する横断幕まで掲げられていた。
 嬉しかった。本当に嬉しかった。そして、満開の紅白のツツジが、わが友の笑顔のように美しく映った。
5  米子文化会館には、遠方の八頭、岩美、日野、東伯をはじめ、各地から多くの同志が来られ、共に忘れ得ぬ貴重な思い出を刻むことができた。
 当初の予定では、鳥取での諸行事が終われば帰京することになっていた。
 しかし、私は、あえて日程を変更し、島根の友の題目に引かれるように、松江に走った。
 実は、前年の十月、出雲市の浜山公園陸上競技場で行われた「島根平和文化祭」のことが頭から離れなかった。
 七月に浜田や益田など県西部を中心に荒れ狂った集中豪雨禍を、見事に乗り越えた三万人の大文化祭である。
 隠岐の友も、フェリーを借り切って参加された。
 その祭典に、私は出席できなかった。それだけに、今こそ、島根の同志を讃え、心から励ましたかったのである。
 十一年ぶりの島根は、希望の前進の渦であった。苦闘を突き抜けた歓喜の笑みの波であった。
 滞在三日間。連日、島根文化会館では、代表者会議や広布二十五周年の記念幹部会などが有意義に開催された。
 「山陰」に代えて、「山光」という愛称を、声高く提唱したのは、この時である。
 私は、「日蓮仏法は冥益が根本である」等と、強く語った。
 地味で単調と思える、日々の生活、一日一日の活動こそが、人間革命と広宣流布の主戦場だ。
 そこで、地道に信心を貫き、朝晩の勤行、座談会、折伏、対話と、仏道修行をたゆみなく繰り返す。
 そのなかでのみ、わが生命の功徳の年輪は重なり、嵐に揺るがぬ、仏の境涯と等しき大樹の汝自身となる。
 組織も個人も、慢心になってしまえば、もはや伸びない。慢心は毒薬である。
 大切なことは、何があっても、広宣流布を目標に戦い抜くことだ! それは、崇高な仏意と仏勅のままに戦う創価学会と共に、生き抜くことだ!
6  「世界中で価値のあるものはただひとつ、活動的な魂です」(『エマソン論文集』酒本雅之訳、岩波文庫)とは、アメリカの哲人エマーソンの有名な言葉である。
 昨年十月の鳥取県西部地震の際にも、頼もしい青年部の献身的な救援活動に、感謝と称賛の声がわき起こった。
  大山が
    見ゆる 見えるよ
      眼前に
    君らの未来の
      姿に相似て
 美しき大山の山麓にたたずむ「鳥取研修道場」は、「山光新時代」のシンボルとなるだろう。
 私は、この研修道場と共に、二十数種類の桜に包まれた島根・八雲村の「山光平和記念墓地公園」に、一日も早く訪問して、題目をあげさせていただきたいと願っている。
 新世紀の大勝利の春は、「山光」から、一足早く始まった。

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