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日蓮大聖人・池田大作

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希望の新天地・町田 大願に立て 二十一世紀の大道を開け!

2001.2.17 随筆 新・人間革命3 (池田大作全集第131巻)

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1  「この戦いはわれわれのため、きみたちと私のため、われわれの子孫のためなんだ!
 われわれは創業者だ。新しい世界を創りつつあるんだよ!」(ハワード・ファースト『市民トム・ペイン』宮下嶺夫訳、晶文社)
 アメリカ独立革命の英雄トマス・ペインは、苦楽を共にする同志を、こう励ました。
2  東京の町田は、満々と生命力の朝日が昇る新世界だ。
 そこには、新しい広布の歴史を築きゆく、庶民と庶民との黄金のスクラムが輝く、魂の躍動がある。
 誇り高き、わが町田が、広宣流布の「特区(特別区)」として新出発したのは、一九九五年(平成七年)の三月のことであった。
 この年、町田の戦友は、年頭から東京の先駆を、忍耐強く、決意も新たに走った。
 ことに、「伝統の二月」には、日本一といわれた広布の聖教の啓蒙を達成する。全国の同志から喝采の拍手を浴び、「町田」という存在は、世界の同志から脚光を浴びた。
 私は嬉しかった。広布に戦い抜いている姿は、大聖人がお喜びになるからだ。そして、三世の仏菩薩が賞賛するからだ。
 それは、とりもなおさず、自分自身の生命の究極の仏界の歓喜が、幸福への因果の理法として脈動するからだ。
 前年(一九九四年)の一月、私は、躍進著しい中国・広東省の深圳しんせん(シェンチェン)を訪れた。
 この天地は、大中国の伸展の星といわれ、「特区」として有名である。
 その二十年前に、私が初めて香港から入った時は、のどかな農村であった。それが、今や「改革開放」のシンボルとそびえ立っていた。
 深圳の赫々たる大発展に、世界の目は光った。そして多くの人民が、勇気と希望を炎の如く燃え上がらせていった。
 東京の新天地、わが偉大なる町田も、かくあれ! と、学会として最初の意義深き「特区」が誕生した。それは、
 「人材」の特区である。
 「福運」の特区である。
 「団結」の特区である。
 「拡大」の特区である。
 そして「常勝」の特区である。
 私は、詠み贈った。
  黄金に
    輝く特区の
      町田城
    百万年の
      歴史を創らむ
3  町田は、江戸時代には、「生糸」を主とする定期市でにぎわっていた。
 そして横浜が開港してからは、織物の街・八王子との″絹の道″の中継点が、「原町田」であったといわれる。
 さらに戦後は、東京の都心部とも、神奈川とも密接につながり、新興都市として興隆してきた。
 私も、戸田先生の出版社で、児童雑誌『少年日本』の若き編集長をしていた一九四九年(昭和二十四年)の秋、ある画家を訪ねて、小田急線で町田方面に足を運んだことがある。
 また支部長代理として、私が、文京支部の橋本地区(相模原)に行く途次も、幾たびとなく町田を通った。
 この橋本地区の「町田班」から始まった組織が、「町田地区」へと拡大したのは一九六一年(同三十六年)。
 今年は「地区結成四十周年」である。さらに、町田の広布の一粒種が誕生して、五十周年となる。
4  一九七八年(同五十三年)の十月二日、私は、十年ぶりに、町田の天地を懐かしき思いを持ちながら踏んだ。
 思い出も深き、小さな町田会館に立ち寄ったあと、開館一年になる新宝城・町田文化会館を初訪問したのである。
 行く以上は、同志に、新しい成長の糧を送る! 人生に立ち向かう希望の炎を送る!
 これが私の信条である。
 明確な展望も、打ち込む指針もなく、皆の勇気を奮い起こす決意もなく、漠然と行事をこなすだけであれば、それは広布の指導者といえないからだ。
 この日、町田は「圏(ゾーン)」に発展し、胸躍る第一回・圏総会が始まった。
 私は、入場する前、大広間の横のロビーにおられた参加者の輪に入った。
 びっくりして、歓声をあげそうになる同志たち。
 「シーッ、一緒に聞きましょう」
 私は、しばしロビーに座って、皆と総会を見守った。
5  私が広間に入ると、町田の混声合唱団の方々が、「熱原の三烈士」のコーラスを披露してくださった。
 広宣流布の「大願」に生き抜こうとの見事な熱唱は、いつまでもいつまでも、わが耳朶から離れなかった。
 「願くは我が弟子等・大願ををこせ」とは、あの「熱原法難」の渦中の御聖訓であられた。
 この十月二日は、私が、一九六〇年(同三十五年)、初めてアメリカ広布に出発した記念の日である。
 私が、その時の苦労談を紹介しながら、「皆さんもアメリカに行きましょう」と呼びかけると、満場に「はい!」という、明るい、そして決心のあふれる返事と拍手が轟いた。
 立ち上がって、手をあげる人も多くいた。
 この朗らかさ! この息の合った呼吸! 瑞々しい決意の心の音楽! 戦う心を一つにした、兄弟以上に仲の良い団結!
 これが町田の強さである。
6  十六年前の一九八五年(昭和六十年)の三月三日、「雛まつり」の日にも、創立五十五周年記念の代表幹部会を楽しく行い、「町田の勝利が日本の夜明け」と誓い合った。
 この日は、誉れ高き「町田青年部の日」として、毎年、痛快なる前進の起点となってきた。
 破邪顕正の教宣活動において、勇敢に「第二総東京」の先頭に立って、目覚ましい結果を示してこられたのも、わが町田である。
 あの日あの時、私は、親愛なる町田の友と語り合った。
 「見るからにいい人だなという方が多くなっていくことが、広宣流布の一つの瑞相である」と、御聖訓を通して語った。
 四条金吾への御書には、「中務三郎左衛門尉は主の御ためにも仏法の御ためにも世間の心かりけり・よかりけりと鎌倉の人人の口にうたはれ給へ」と仰せである。
 今や、町田には、多士済々の人材が勢揃いした観がある。
 王者区、凱旋区、常勝区の三区の区長も、二人は社長として、一人は大学教授として、社会でも堂々と実証を示されている、貴重な方々ばかりだ。
 あらゆる人が存分に力を発揮しゆく、桜梅桃李の光彩の特区・町田である。
 私の長男も、町田の座談会に出席した感想を、こう報告してくれた。
 「町田の方々は、人柄が抜群です。力ある人材が、各地から、続々と集まってきます。
 町田で力を付けて各地に散った人材も、タンポポの種が飛んだように見事な花を咲かせています」
7  中国の深圳特区、ならびに広州こうしゅう(コワンチョウ)市は、隣接する香港、マカオと一体になって、黄金の繁栄の電源地を形成している。
 町田特区もまた、同じ第五東京の日野、府中、調布の各区、さらには、お隣の相模原、大和、川崎、横浜など、神奈川の同志と一体になって、黄金の広宣流布の電源地として、万年までもの連戦連勝を牽引していく運命があるのではないか。
8  「町田の大道」とは、かつて私が、揮毫して同志に贈った言葉である。
 わが町田の新天地から、「二十一世紀の勝利の大道」が広がっている。
 有名な『昆虫記』のファーブルは言った。
 「歩きつづけさえすれば、行きつくところに行けるのだ。そして、たえず歩きさえすれば、力が自然にわいてくるものなのだ」(G・V・ルグロ『ファーブルの生涯』平野威馬雄訳、筑摩書房)
 歩もう、広布の大道を!
 そして、燦然と輝く、永遠不滅の都へ! われらの凱旋の都へ!

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