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日蓮大聖人・池田大作

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関西創価の甲子園 青春の胸に輝け 栄光の旗!

2001.2.12 随筆 新・人間革命3 (池田大作全集第131巻)

前後
1  待ちに待った朗報であった。
 一月三十一日、関西創価高校が、二十一世紀の最初の大舞台となる、春の甲子園(第七十三回選抜高校野球大会)への出場校に初めて選出されたのである。
 関西の方々も、学園の先輩たちも、世界の創価の友も大喜びしている。おめでとう。本当におめでとう!
 また、地元の交野でも、多くの方が祝福してくださっている。創立者として、心から感謝申し上げたい。
 「出場決定」してから、真っ先に手紙を送ってくれたのは、野球部の初代キャプテンの樋口義雄君であった。
 そこには、こう綴られていた。
 「本日、偉大な後輩たちが、悲願の甲子園の切符を手にすることができました」
 「我々の伝統は、創部以来、どこまでも師匠に、お応えせんとの弟子野球であります。
 また、最後まで、決して勝つことを諦めない全員野球、執念野球であります」
 「現役・OBが一丸となり、甲子園に春風のごとき、旋風を巻き起こしてまいります」と。
 私は、嬉しかった。
2  思えば、関西創価高校に野球部が誕生したのは、女子校から男女共学に移行した、一九八二年(昭和五十七年)のことであった。
 桜花舞う交野の四月十二日、″男女共学一期生″の歴史的な入学式が行われた。
 フランスからも、アカデミー・フランセーズ会員の美の闘士ルネ・ユイグ氏が、祝福に駆けつけてくださった。
 式典のあと、私は、野球部員の十三人に会った。まだ、関西創価としてのユニホームさえなく、皆、出身中学のユニホームや練習着で集ってきた。
 その初々しい顔を見つめながら、私はあえて言った。
 「来年の夏に、甲子園で会おう!」
 生まれたてのチームに途方もない提案だったかもしれない。しかし、二十一世紀に羽ばたく学園生である。大いなる夢をもち、最高峰に挑みゆく、朗らかな「挑戦王」であってほしかった。
 「はい!」
 彼らは、私の呼びかけに快活な返事を残し、若獅子の如くグラウンドに飛び出していった。
 三カ月後の夏の大阪予選で、″一期生チーム″は、甲子園前年出場校と初戦で対戦。試合には敗れたが、1点を先取した。
 一年生だけの大健闘は、「あっぱれデビュー」「強豪から先取点」と大きく報道された。
3  この鮮烈な初陣から十九年。来る春、来る夏、甲子園への道に挑み、何度も、あと一歩のところで惜敗の涙をのんだ。
 だが、その苦闘の金の汗は、彼らの人生の計り知れない財宝となり、力となっている。
 「一、我ら野球部員は『負けじ魂』で己が甲子園の道を生涯歩み続けることを誓う」とは、自分たちで決めた部員訓の最後の一項目である。
 全員を「己が甲子園」の優勝者に鍛え育てていくのが、創価の人間教育である。
 学園は、文武両道が伝統である。この偉大な幾多の先輩たちの奮闘を受け継いで、今、遂に甲子園出場という一つの夢を果たし、新世紀の希望の鐘を打ち鳴らしてくれたのだ!
4  関西創価の野球部員三十八人を率いる監督は、母校の十四期生で三十歳、今大会の最年少監督である。
 双子の弟のコーチも絶妙の呼吸で、チームを引っ張っている。共に学園時代から、勉学と野球を両立させ、選手としても鉄壁の守備を誇った「勝利」の兄弟である。
 この二人をベテランのコーチ、また部長、副部長がサポートする。
 ちなみに東京創価は、春夏合わせて七度の甲子園出場を果たした。かつて夏の大会で初勝利を飾り、われらの校歌「草木は萌ゆる」を歌った時の中心選手、二十四歳の片桐哲郎監督を先頭に、夏へ向けて新たな挑戦を開始している。
 「東西の両校が共に甲子園に進出したら、私も創立者として球場に応援に行くよ」
 これが、私と学園生との約束である。
5  米田監督は、選手一人ひとりと「日誌」を互いに記しながら、何でも語り合ってきた。
 監督は、部員たちの地道な努力を決して見逃さないことを心がけている。
 そこから生まれる信頼感・安心感こそが、驚くほど皆の力を発揮させていくからだ。
 練習だけでなく、陰の仕事にも部員は率先して取り組む。
 試合でも、守備を積極的にカバーし合い、ピンチになると声をかけ合う″ダイヤモンドの団結″に磨きがかかっている。
 昨秋の近畿大会の折、大会関係者の方が、わが関西創価を「実力と勢いがあるチームだが、それ以上にマナーがすばらしい」等と評してくださったと伺った。
6  選手たちは、常に確認し合っているという。
 大事なのは、相手がどうであれ、自分たちに「必ず勝つ!」という、チャレンジ精神が燃え上がっているかどうかだ、と。
 大阪大会の決勝で「0―3」とリードされた時も、チームに弱気は微塵もなかった。勝利への執念、そして猛練習に裏付けられた自信が、選手を見違えるほど逞しく変えていた。
 すさまじい気迫でチャンスを逃さなかった。1点差に追い上げたあと、一気に4点を奪って逆転し、百八十一校の頂点に立ったのである。
7  「何事も″やってみせる!″という勇気と情熱が大切だ。泥まみれになって戦う情熱が大切だ。この情熱こそ大成長の力だ」
 これは、アメリカSGIの地区部長で、大リーグの「野球殿堂」に、その名を連ねるオーランド・セペダさんの言葉である。現役時代、三百七十九本のホームランを打ち、オールスター戦には十一回出場の不滅の名選手である。
 一昨年(一九九九年)の十二月、セペダさんご夫妻は、忙しい日程の合間を縫って、東京の創価大学、創価学園、そして関西創価学園を相次いで訪問し、野球部を激励してくださった。
 「失敗を恐れてはいけません。三振しても、エラーしても、″よし、次は頑張るぞ″と常に前向きな気持ちが大事です」
 セペダさんをはじめ、学園生を陰に陽に見守り、励まし、温かな声援を送ってくださる、すべての方々に、私は心から御礼を申し上げたい。
 甲子園が誕生して七十七年。「雨の関西文化祭」の大舞台ともなり、わが同志が泥まみれになりながら、青春の不滅のドラマを綴った球場である。
 学園球児の父母のなかにも、三十五年前、雨の文化祭に出演した方がおられると伺った。
8  勝っても負けても、皆で高らかに歌ってきた校歌「栄光の旗」は、私が学園生と一緒に、何度も推敲を重ねて、つくり上げた歌である。
  ♪ああ関西に 父子の詩
   これぞ我らの 誉れの曲
   ともに誓いを 果たさむと
   世界を結べや 朗らかに
   君も王者と 栄光の旗
   君も勝利と 栄光の旗
 この青春の調べを胸に響かせながら、関西学園生が甲子園の晴れ舞台に躍り出る、希望の球春は、もうすぐである。

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