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日蓮大聖人・池田大作

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久遠の光彩・千葉 今こそ輝け! 「正義」の旭日

2001.1.31 随筆 新・人間革命3 (池田大作全集第131巻)

前後
1  「未来は躊躇する人々の味方ではなく、ひとたび選択がなされた以上、その選択の最後まで、弱気を出さないで進む人々の味方であるのは明瞭だ」(『回想記』宮本正清訳、『ロマン・ロラン全集』17所収、みすず書房)
 この言葉は、フランスの文豪ロマン・ロランの、私の大好きな一節である。
2  よく戸田先生は言われた。
 「我々は簡単に慈悲という言葉を使うが、なかなか真実の慈悲は、仏のごとくには出ないものだ。それに代わるものが勇気である」
 広宣流布を実現していこうという「勇気」!それが我々にとっては、いわゆる「慈悲」につながっていくことであろう。
 仏敵を恐れぬ勇気!
 陰湿な中傷の狂言等を恐れぬ勇気!
 仏法で説く、ありとあらゆる「三障四魔」、そして「三類の強敵」を恐れぬ勇気!
 これが、真実の仏法者であり、人間の究極の慈悲に近い完成されゆく姿である。
 慈悲の中の大慈大悲が、仏であられる。
 その方こそ、末法の救世主たる日蓮大聖人であられる。
 御聖誕の地は、安房の小湊。ここは今の千葉の″内房県″である。
3  仮面を被った有名人という偽善者よりも、また政治家たちよりも、私たちは、何ものにも支配されぬ豊かな、そして勝ちゆくために厳密な知性をもった人生を、創り上げている。
 その前途には、まったく「絶望的」という言葉はない。
 熱しやすい、そして、すぐに冷めていくような、いわゆる人気と虚栄に浮かれた虚像の人生は、真っ平だ。
 君の目に光る、明るい、そして輝く未来が金色に染まりゆく、その姿を、私は、全魂込めて築き上げたいし、また見つめていきたい。
 君の作業は、地味であり、華やかでなく、誰人も誉め讃えてくれないが、大聖人は最高の栄誉を与えたいと思っておられる。
 百千の功績をもちながら、誰からも認められず、いな嫉妬のために、あらゆる誹謗をされながらの君の豪華な勝利の魂を、私は永遠に讃える。
 君は、新しい魂の王国の帝王だ。
 新しい未来の世界の王者だ。
 そこには、破滅はない。
 滅亡もない。嵐もない。理不尽な狂乱の嫉妬もない。忌まわしい怨みも、遺恨もない。
4  忘れ得ぬその思い出は、私が十七歳の時のことであった。
 敗戦の年の秋、私は、厳しい食糧難のなか、肺病の弱りきった身をかかえながら、買い出しのため、千葉の幕張を訪れた。現在の千葉市の花見川区内である。
 戦争は終わり、平和が戻ってはいたが、世情も、人心も殺伐としていた。
 それだけに、あの日、肺病の私を気遣いながら、イモをたくさん分けてくださった、親切な農家の主婦のことは、鮮やかに心に刻まれ、いまだに離れない。
5  その七年後の一九五二年(昭和二十七年)、「大賀ハス」として有名な、二千年前の蓮華が開花したのは、幕張にほど近い畑町であった。
 時あたかも、日蓮大聖人の立宗七百年の大佳節である。
 戸田先生は、「末法御本仏の仏法が、花やかに咲き出す瑞相でなくて、なんであろう」と、大変に喜ばれたのであった。
 このハスを泥中から蘇らせた快挙は、発見者の大賀一郎博士の確信と情熱と執念なしにはありえなかった。
 博士は、検見川の地で、古代の丸木舟と一緒に、ハスの花托(花床)が発掘されたことから、ここに必ず古い種もあるはずだと推察した。
 そして、掘り起こした大量の泥土から、小さなハスの種を探すこと約一カ月、遂に、一個の種を発見したのである。
 「必ずある!」という洞察もさることながら、「必ず見つけてみせる!」という執念の勝利でもあった。
 ともあれ、偉業を成し遂げる力は、敢然たる情熱と鉄の忍耐のなかにこそある。
 種は合計三個見つかったが、二千年の眠りを破って、淡紅の花を咲かせたのは、最初に見つかった種だけであった。
 しかし、このたった一粒の種から、今日「大賀ハス」という一品種となり、日本各地に広がったのである。まさに、「一は万が母」の実証であろう。
 大賀ハスは、わが創価大学・関西創価学園にも、また、茂原文化会館の池にも植えられ、今、開花の時を待っている。
 この茂原や東金など、太平洋からの風が吹き渡る″外房県″、また隣の″市原県″の同志も、尊き使命の道を、意気軒昂に走っておられる。
6  思えば、「種を植える」意義は深い。
 私は、かつて、八千代市を訪れ、″千葉広布の新たな原点の地たれ″と語った。
 一九七六年(昭和五十一年)の暮れ、千葉婦人会館の開所式のことである。
 小さな会館であった。しかし、小さな種子の中に未来の大樹が収まっているごとく、ここに千葉の大興隆の種子を植える決意であった。
 当時から、この地域は、八千代と習志野の同志が一体になって、勇猛精進の法戦を展開してきた所である。
 そして今、隣接する船橋、また、市川、松戸、柏、野田、浦安等と連動して、隆々たる大発展を遂げたことを、私は本当に嬉しく思っている。
7  千葉は「人材の宝庫」であると讃えたい。
 私が会長に就任した年に、銚子の犬吠埼で行った水滸会の野外研修も懐かしい。
 犬吠埼は、太平洋の荒波を見つめながら、世界の広宣流布を担う、若き英雄を育てようと、私が選んだ場所であった。
 夜空に一条の光を放つ灯台を指さし、この灯台のごとく、全世界の人びとを照らしゆく使命に生きようと、訴えた。いな、誓い合った。
 あの思い出も深き水滸会から、四十一年の歴史を刻んだ。
 ″菜の花研修道場″に続いて、昨年の四月には、大聖人ゆかりの安房に、千葉青少年研修センターが完成した。
 私も、ぜひ、訪問させていただきたいと思っている。
 千葉は、世界に開かれた日本の壮大なる玄関口だ。
 私も、幾たびとなく、佐倉を通り、成田の空港から世界平和の旅に飛び立ち、また成田に帰ってきた。
 千葉には、不思議にも、大聖人の仏法を、世界に広宣流布しゆく使命が、必然的にあるようだ。
8  大聖人は、富木常忍に与えたお手紙で、こう仰せである。
 「命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也」と。
 信仰は、自分のためだけのものでは決してない。
 この世に、平和と繁栄と幸福の花薫る社会を築きゆかんと、「遂に願う」ことが、日蓮大仏法の目的なのである。
 学会の目標と行動は、この御聖訓に照らして、絶対に正しいのである。
 それは、あまりにも大偉業ゆえに、困難も苦難も伴うのは当然である。命を懸けた人生の尊き大闘争なのである。
 時は帰らない。時は矢のごとく飛び去る。ゆえに、一日一日が連続的な真剣勝負と、自覚すべきであろう。
 その人が、究極的に、正義と勝利の宝冠を受ける人だからである。

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