Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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太陽の青年に贈る 勇気で勝て 世紀の鐘を打ち鳴らせ

2001.1.29 随筆 新・人間革命3 (池田大作全集第131巻)

前後
1  「喜びを共にしよう!」、また「人生とは何かを探求しよう!」と、身を寄せながら真剣に、私は語り合った。
 それは、十数年前の、ルーマニアの著名な詩人との語らいである。
 その時、彼が、「現代は、社会の人びとの心が冷えている時代です。特に、青年の心の冷却は深刻です」と、真摯に憂えていたことが、私の胸を離れない。
 あれから、世界は熱を取り戻しただろうか?
 青年の魂は、炎と燃えただろうか?
 残念ながら、今の日本を見る限り、否と言わざるをえない。
 だからこそ、二十一世紀に生き抜く、太陽の仏法を抱きし青年が戦うのだ!
 わが信頼する君たちは、戦うことが宿命なのだ。この世の誓いなのだ。
 二十一世紀の初頭――。
 何ものをも恐れぬ青年たちは立ち上がった。
 彼らには名誉が輝いている。
 元日は学生部。
 二日は男子部。
 三日は女子部。
 先駆の大会を開いた彼らは、一千万の善の連帯の歴史を創らんと、師弟一体の闘争に、悠然として躍り立った。
2  うんざりするような無意味な時間は、我々には、もったいない。
 未来が絶望的にも見えるような、虚栄と人気と堕落と嫉妬の葛藤なども、我々には、まったく関係ない。
 また、どんな非難があっても、ただ黙って病んでいくような人生でもありたくない。いな、あってはならない。
 世紀の革命児たる、彼ナポレオンは言った。
 「世界を引っぱってゆく秘訣はただ一つしかない。それは強くあるということである」(オクターヴ・オブリ篇『ナポレオン言行録』大塚幸男訳、岩波文庫)
 「強くあれ!」――それは、「勇気」である。
 「負けじ魂」である。
 最後まで戦い抜く「挑戦の決意」である。
 決死の人生にしか、この名誉を祝福できる言葉は、当てはまらない。
 ともあれ、若きナポレオン、彼は鋼の信念を持ち、新しい世紀を牽引していった。
 世界的に有名な、あの″アルプス越え″は、一八〇〇年の五月のことであった。
 不可能と思える険難の山を越え、彼は、自らの世紀の幕を開けたのだ。
3  その四年前、「第一次イタリア遠征」でも、二十六歳の将軍ナポレオンは、全軍の先頭を走りに走った。
 一七九六年の五月十日、ミラノの南東の町ロディで、彼は、川を挟んで敵軍と対峙する。
 両軍の間には、長さ百九十五メートルという木造の橋が架かっているだけであった。
 この橋を突破するか、押し返されるか。
 勝つためには、何があっても渡るしかなかった。
 しかし、橋は一本である。渡ろうとすれば、容赦のない銃撃が襲いかかった。
 ″無理だ、不可能だ……″
 やがて、兵士たちはひるみ、じりじりと後退し始めた。
 その時であった。
 ナポレオンは、にわかに旗手から軍旗を奪うと、自ら先頭を切って、銃弾が乱れ飛ぶ橋の上を突撃していった。
 ″見よ、我のごとく戦え! 我と共に進め!″
 自ら一兵卒となっての勇敢な闘魂は、瞬時に全軍に伝染し、皆は総立ちになって、後に続いた。
 遅れてなるかと、川に飛び込んで渡り出す、臆病を勇敢に変えていった兵士もいたという。
 この「前進!」、また「前進!」の勢いの流れに恐れをなした敵の大軍は、無念の心を残しながら敗走していったのである。
 ナポレオンは、敵の銃撃と戦ったのみならず、わが味方の軍勢に汚染し始めている「臆病」という魔性を打ち破る、勝負の真髄である戦いを、敢然と起こしていったのである。
 恐ろしいことに、臆病者は、すべてに批判的になり、すべてが不可能だと怯えるものだ。
 人生も、社会も、生きとし生けるものすべてが、激しい戦場のなかにある。
 生きることは、悩みの銃弾、試練の砲撃をくぐり抜け、心を傷つけるイバラや誘惑の泥濘を乗り越えて進む闘争だ。
 青年は、断じて臆病であってはならない。
 断じて強く生きねばならない。そこにこそ、真実の正義と幸福がある。
 御聖訓には、「御いのりの叶い候はざらんは弓のつよくしてつるよはく・太刀つるぎにて・つかう人の臆病なるやうにて候べし、あへて法華経の御とがにては候べからず」と仰せである。
4  この一月八日は、中国の周恩来総理が逝去されて満二十五年の命日であった。
 ――時代が英雄を創り、英雄が時代を創る。
 前人が始めなかったことを始め、前人が到達しなかったところに到達する。それでこそ、歴史創造の英傑である。
 常に、時代は動き、時代は変わる。
 同じ時代が、百年続くことはありえない。百年経たなければ、本当の人間も、本当の思想もわからない。(劉焱編『周恩来早期文集』上、南開大学出版社、参照)
 これは、周総理が十八歳の年、ナポレオンなどの功罪を論じつつ、放った叫びである。
 ゆえに、目先に惑わされず、百年後を見つめて、歴史を残せ!
 真剣にして誠実な青年の闘争ほど、神々しい姿はない。
 それは、誰人の胸をも打たずにはおかないであろう。
5  「広宣流布は、一人の青年が命を捨てれば必ずできる」とは、恩師の獅子吼であった。
 戸田先生が第二代会長に就任される前年の八月。
 先生は、事業が破綻し、最大の苦境に立たされた。
 大恩ある師を裏切り去っていった、卑劣な輩が多くあった。
 その時、先生から、「君を頼る」との力強き激励をいただいた。
 私は、ただ一人、師弟の誓いを果たしゆくことを、強く決意した。
 ――師の激励に応え、私は、再び世紀の鐘を鳴らそう!
 先生より、離れる者は離れろ。
 逃げる者は逃げろ。
 罵倒する者は、勝手に罵倒せよ。
 私は、若き広宣の戦士となる。若き創価の闘士となる。そして、師の意志を実現してみせる!
 この誓願通り、私は、いわれなき中傷批判の矢を全身に受けながら、創価の栄光の鐘を、全世界に轟かせてきた。
 新たな世紀の「七つの鐘」は、敵に奪い取られることなく、強者の魂を持てる君ら青年たちが、永遠の勝利の祝宴をあげるために、全責任を担って乱打するのだ。
 偉大なる後継の「若き戦士」よ!
 使命も尊き、わが「若き闘士」よ!
 戦いを勝利しゆく、勇敢なる魂を、いやまして固めよ!
 また、明晰なる指導と広大なる智慧深き指揮をとりながら、愚かにも瞋り狂った敵を唖然とさせるのだ。強き信心の剣を掲げて、断固として勝利しゆくのだ。
 暗く悲しい青春を送るな!
 元初の光に照らされ、力に満ち満ちた、永遠の勝利と栄光の新しい世紀を、君よ、創り残し給え!

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