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日蓮大聖人・池田大作

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新世紀・勝利の開幕 「常勝の空」に轟け! 大関西の行進

2001.1.22 随筆 新・人間革命3 (池田大作全集第131巻)

前後
1  微笑んで、手を振りながら、同志と出会い、また別れゆく、常勝・関西の友の顔と顔。
 いつも、大関西の法戦の思い出の道々を、満足しきって、急ぎ足で歩きゆく、陽気な友と友。
 彼らの胸には常に、使命と、常勝の決意に燃え上がった魂が笑っている。
 断じて負けない。
 「臆病者は関西から去れ!」とは、ある先輩の後輩に対する、激励の一コマであった。
 皆、強い。
 関西は、皆、強い。
 いかなる苦闘の戦いがあっても、笑って首を振りながら、堂々と挑んでいく。臆病の住処など、どこにもない。
2  思えば、四十六年前(一九五五年)の暮れ、私は一人、来るべき法戦の勝利へ、一心不乱の精神闘争を続けていた。
 当時、学会は、「立正安国」の精神から、高潔な人材を政界に送るために、翌年の参議院議員選挙に初めて推薦候補を立てる方針を決定していた。
 私は、戸田先生の直々の命を受け、大阪方面の全責任を担うことになったが、世間の常識からすれば、「敗北は必至」の状況であった。皆様もよくご存じの通りである。
 しかし、私には、師の構想を挫折させることも、関西の同志を悲嘆に沈ませることも、また私自身の初陣に蹉跌をきたすことも、絶対にできなかった。
 私は、まず「勝利」を固く心に誓い、祈りに祈った。勝ってこそ、戸田先生の真の弟子の証明であるからだ。
 いかなる戦いも、皆に「希望」を与えることだ。「自信」を与えることだ。「目的」を明確に示すことだ。必ず大勝利するために、自由自在に、名優のごとく動いていくことだ。
 戦いは愉快だ!
 戦いは、振り返ってみれば、これほど自分自身を鍛えるものはない。
 戦いは、いかに厳しくとも、自分自身の勝利を実現できる夢である。
 大空に雷がいくら鳴っても、正義のために、叫んで叫んで叫び抜いて、悪党を叩きつけるまで奮闘したい。
 これが、広宣流布の指導者と一体の魂であるからだ。
 広宣流布の戦い!
 なんと崇高な、なんと人間らしい、なんと不思議な、偉大なる境涯を開きゆく行動か!
3  大聖人は「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」と明確に仰せである。
 日本の歴史上、いまだかつて見たことがない、新しい人間の魂と信念が磨かれ凝結した栄光の勝利を、関西の友は、日本中に見せる決意をした。
 自作の「広布史」、自作の「宗教革命」と「政治革命」の明るく大きな光線を浴びながら、世界の果てまで、「関西史」を残してみせるという決意であった。
 そこには、重々しい心など、微塵もない。
 それぞれの同志は、宝石のごとく錬磨された「信心」という結晶の光沢を光らせながら、悠然と、また黙々と燃える思いで戦い抜いた。
 皆の心は燃えた。皆の心は輝いた。そして、溢れる勝利の信念に変わった。
 一人の確信が、一人の歓喜が、一人の戦闘が、満々として、全組織の中へ、光線のごとく光り輝き、突入していった。
 悠然と歩みゆく、信念と正義の民衆の大行進に勝るものはない。
 この証明を、大関西は「″まさか″が実現」との驚嘆をもって、日本中に響かせたのだ。
4  関西のある幹部が、さりげなく言っていた。
 「東京の幹部は、気取りがある。関西は、ありのままの真剣さだ。関西は、まったく庶民的だ。
 戦いは、真剣勝負だ。
 なりふり構わず戦わなければ、戦いにならない。
 また戦いは、自分自身が戦うことだ。それが本当の戦いだ。
 東京は、人を動かし、人びとに戦いをさせようとする。そういう傾向がある」と。
 関西の東京批判は、静かであるけれども、厳しかった。
5  ところで、一九五六年(昭和三十一年)の年頭、法戦の指揮をとるために、私が大阪に入ったころ、わが関西と呼応するように、海の向こうのアメリカでも、正義と人道の旗を掲げた、新たな民衆運動の波が広がっていた。
 南部アラバマ州のモントゴメリーの街で、黒人(アフリカ系アメリカ人)大衆が起こした、世界的に有名な「バス・ボイコット運動」である。
 その勝利の方程式は、わが関西の勝利の歩みと、全く軌を一にしていたといってよい。
 当時、多くの黒人の生活の足はバスであった。
 しかし、そのバスは、同じ乗客であるのに、いな、同じ人間であるのに、白人と黒人とを差別し、屈辱的な人種隔離を強制していたのだ。
 それは、非道な人種差別の象徴であった。
 私たちの友人であるローザ・パークスさんの勇気の行動が、変革への口火となって、人種差別を撤廃させる「バス・ボイコット運動」が始まったのが、一九五五年の十二月五日であった。
 そして、この運動は、若きマーチン・ルーサー・キング博士を要として、翌年十二月の勝利の日まで、忍耐強く、丸一年以上も続けられたのである。
 その間、黒人は、意気揚々と歩きながら、または普通の車に乗り合いながら戦い続けた。
 ある老婦人は、毅然たる声で言った。
 「私は自分のために歩いているのではありません」「子どもや孫のために歩いているのです」(M・L・キング『自由への大いなる歩み』雪山慶正訳、岩波新書)
 長年、差別され、いじめられてきた民衆が、背筋を伸ばして立ち上がったのだ。そこには、人間の誇りが輝いていた。
 関西でも、そうだった。
 貧乏に泣き、病気に泣き、宿命に泣いてきた人間が、決然と頭を上げ、にぎやかに、自分自身が生き抜く街に躍り出たのである。
6  さらに、黒人大衆の勝因は、「鉄の団結」にあった。
 抵抗は長続きしないと、高を括っていた勢力は、日がたつにつれて慌て出し、理不尽な弾圧の牙をむいた。
 キング博士らが贅沢にふけっているという流言。黒人同士の内紛や分裂を狙ったデマ。脅迫の手紙や電話。些細な理由をデッチ上げての逮捕……。
 遂には、キング博士の自宅に爆弾が投げ込まれた。
 しかし、彼は微動だにしなかった。同志はひるまなかった。
 迫害があればあるほど、いよいよ戦う意気は燃え上がった。
 彼らは、「正義」は我らにあると確信していたのである。
 キング博士は断言している。
 「団結のなかには驚くべき力がある。真の団結の存在するところ、この団結をやぶろうとする一切の努力は、ただこれを一だんと強化することに役立つばかりだ」(同前)
 関西の異体同心の結合も、まさにこの通りであった。
7  あの正義の運動が幕を開けた十二月五日、キング博士はこう訴えた。
 「将来歴史の本が書かれる時、歴史家たちはしばらくここに筆をとどめていうでしょう。
 『そこには偉大な人民が(中略)住んでいた。彼らは文明の血管のなかに新しい意義と権威とを注ぎ込んだ』と」(同前)
 その予見の通りになった。
 わが関西の同志が、「不可能を可能にした」栄光の歴史も、三世永遠に不滅である。
 御聖訓にいわく、「未来までの・ものがたり物語なに事か・これにすぎ候べき」と。
 これが、人間としての真髄の在り方であるからだ。
 巡り来る一月二十五日は、一九六二年(昭和三十七年)、私が「大阪事件」の無罪判決を勝ち取った日である。
 ともあれ、雄々しき創価の同志は大地を揺るがし、総立ちになった!
 威風堂々、新しき世紀の希望の前進は始まったのだ!
 私には聞こえる。
 黄金に染まる旭日の空に、「勝利! 勝利! 勝利!」と鳴り響く、第二の″七つの鐘″が高らかに、高らかに!

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