Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

栄光の五年会 後継の大樹よ 二十一世紀の勝利を頼む

2001.1.15 随筆 新・人間革命3 (池田大作全集第131巻)

前後
1  二十一世紀の元朝は、晴天であった。
 二日も、また三日も、静かなる晴天であった。
 そして、晴れやかな青空に、白雪の富士が美しかった。
2  「富士の山より日輪の出でたもう」とは、御書に収められた「産湯相承事」の一節である。
 本州で一番早い、初日の出も、三、七七六メートルの富士山頂となる。
 この富士と、ほぼ同時刻に、本州最初の初日の出が見られるのが、不思議にも、日蓮大聖人の立宗宣言の地、安房の清澄山であると、千葉の聡明な女子部が調べて報告してくれた。
 元日の午前六時四十五分。
 新しい「創価の世紀」の新しい太陽は、荘厳に昇った。
 祝賀の朝、私は、東京牧口記念会館で詠んだ。
  初日の出
    共に 今年も
      勝利かな
  大創価
    共に 勝利の
      初日の出
  元旦や
    にぎわう彼方に
      富士の山
3  ローマの雄弁家キケロの言に、「彼は、次の世紀を益する木を植えん」とある。
 その日は、一九六六年(昭和四十一年)の一月三日であった。
 高等部、中等部、少年部の代表の三千三百人が、喜々として富士の麓に集った。
 一生涯、いな永遠に共に生き、共に広宣流布に戦い抜く約束を込めて、私は、皆と記念撮影に納まった。
 「開目抄」には「心地観経」を引かれて、「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」とある。
 空には、白雪の鎧を着した富士が輝き、この日、二十一世紀へ向かって植えられた、使命の苗木を見守っていた。
4  全員が一堂に会して、歴史的な部員会が行われたのは、その夜のことであった。
 私は、最愛の若き弟子たちへ、「信心」という二文字のなかに、正義も、真心も、英知も、勇気も、すべて収まっていると訴え、「広宣流布の総仕上げを!」と念願した。
 皆の清らかな瞳に、希望と決意の電光が走った。
 部員会では、二度にわたり、皆と勤行・唱題した。けなげな鳳雛の成長を、健康を、栄光を、私は一心不乱に祈らずにはいられなかったのである。
 率直な求めに応じて、学会歌の指揮もとった。何曲も何曲も、舞い続けた。腕も痛くなった。胸も苦しかった。
 しかし、私は、後継の人材群のモデルとして、この深き縁の彼らを、終生、見つめ育て、わが身を犠牲にしても守り抜いていく決心であった。
 そして、確かなる前進の目標として、まず五年後の再会を提案したのである。
5  五年後の一九七一年(昭和四十六年)の正月、鳳雛は一段とたくましく成長した姿で、再び富士に集ってきた。
 この時、私は、信義に篤き友を讃えて「五年会」と命名し、今後も五年ごとの再会を約し合うとともに、祝福の句を贈った。
  今に見よ
    五年の成長
      大樹かな
 結成より十年目の七五年(同五十年)には、第二回の総会を開催した。
 私の訪米の直前であり、この平和旅の最後に、グアム島で「SGI」が発足した。
 五年会の舞台は、常に「未来」であり、「世界」である。
6  スイスの偉大な教育者ペスタロッチの一門も、師弟一体となって、「教育の種子」を、各国へと広げていった。
 あるドイツ人の青年は、ペスタロッチに出会って、自らの祖国・プロイセンに新しい学校を創立することを誓った。
 「私は熱心と勇気とを以て事業に取り掛かろう。言葉ではなくて、実に行為が敵を説破すべきです」(長田新『ペスタロッチー伝』上、岩波書店)
 当初、期待された国家の援助が得られなくなっても、青年は挫けず、師に不動の決心を書き送っている。
 「正しく為されることは人間に破壊出来ません」(同前)と。
 苦闘の末、彼は小さな学校を開き、師の理想を祖国に伝えるために生涯を捧げた。
 彼が創設した学校は、やがて多くの優秀な教育者を育成する。宰相ビスマルクも、この学校で学んだという。
 牧口先生、戸田先生も、このプロイセンの教育の勝利の歴史に注目し、宣揚しておられた。
 誰が誉めてくれなくともよい。わが胸中の師に向かって、「青春の誓いを、我は果たせり」と最後に言い切れる人生ほど、この世で崇高な生命の劇はない。
 御聖訓には、「始より終りまでいよいよ信心をいたすべし・さなくして後悔やあらんずらん」と仰せである。
7  五年会のメンバーとの最初の出会いから三十五年。
 今や、創価の陣列にあっては、副会長、方面・県の婦人部長をはじめ、広宣流布のリーダーが陸続と誕生した。
 また、大学教授、小中高校の教師、国会議員、弁護士、公認会計士、医師、実業家など、ありとあらゆる分野で、友は活躍している。さらに、アメリカをはじめ海外でも、多くのメンバーが健闘している。
 御書には、地涌の菩薩の結集の姿が「富士山の木のごとく・ぞくぞく簇簇」と表現されている。その通りの五年会の大樹の林立――これこそ、私の至上の誇りであり、宝である。
8  古来、富士には、さまざまな文字が用いられてきた。
 たとえば、″死なない″との意義で「不死」。
 また、福徳の「福」と慈悲の「慈」と記して「福慈」。
 ″尽きない″の「不尽」。
 八葉蓮華の意で「八葉峯」また「芙蓉」。
 さらに、「広宣流布の闘士」の「布」と「士」で「布士」。
 そして″二にあらず″という「不二」の峰。
 最高峰の仏法の真髄である「師弟不二」にも通ずると、私は思ってきた。
9  家庭においても、親から子へ、「一体不二」の信心を正しく受け継いでいくか、どうか。
 これが、一家の福運と安定と健康の根本である。
 「わが子に学会活動をさせられない人間が、なんで広宣流布の指導者と言えるか」とは、師の厳愛の叱咤であった。
 広布の裾野が、さらにもう一歩、大きく広がるか、どうか。そして、創価学会が、尽きることなく栄えていくか、どうか。
 その急所も、「信心の継承」という一点にある。
 この見事な模範を示してくれたのが、五年会である。
 ついに、誉れの五年会の弟子たちが、旭日のごとく、誓いの世紀の本舞台に躍り出る、待望の暁が来た。
 今日(一月十四日)、東京と関西で、三十五周年の大会が、晴ればれと堂々と行われる。
 わが家の二人の息子も、五年会の一員として、それぞれ東西に分かれ、勇んで出席する。
 私は、五年会に、二〇〇一年の勝利を託して、ペスタロッチの新春の言葉を贈りたい。
 「諸君は強い力を持っている。諸君は、自らが考え、自らが信ずる以上に、この時代に必要な大なる力を持っている。この力を求め、この力を築くために新たなる年は諸君に与えられている」(「学園講演集」四本忠俊訳、『ペスタロッチ』3所収、玉川大学出版会)
 一月十四日、学会本部にて。

1
1