Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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旭日のマレーシア 未来照らせ 人間主義と文化の光

2000.12.4 随筆 新・人間革命3 (池田大作全集第131巻)

前後
1  朝、私は、ホテルの小さい部屋に御安置している御本尊に、妻と二人で、マレーシアの方々の健康、長寿、福運の人生を真剣にご祈念させていただいた。
 また、全世界の同志の方々が無事安穏であり、福運に満ちて幸福であるように祈った。
 勤行が終わって、マレーシア国立プトラ大学から頂いた「名誉文学博士号」の証書を、戸田先生の遺影に捧げたあと、それを広げて、妻と見た。
 そして、戸田先生と教育問題について語り合ったことを、懐かしく思い起こした。
 ルソーは言った。
 「人間よ、人間的であれ。それがあなたがたの第一の義務だ。あらゆる階級の人にたいして、あらゆる年齢の人にたいして、人間に無縁でないすべてのものにたいして、人間的であれ。人間愛のないところにあなたがたにとってどんな知恵があるのか」(『エミール』今野一雄訳、岩波文庫)
 私たちは、どこまでも人間として、人間のために尽くしていく。ここに、創価の心がある。
2  世界一の高さを誇る、ペトロナス・ツインタワーの雄姿。競い合うように天空をめざす、建設中のビルの群々……。
 一雨ごとに、みずみずしさを増す木々の緑。
 朽ちることなき黄金の輝きのごとく、マレーシアは、いよいよ希望に光り輝いていた。
 それが、十一月二十七日、十二年ぶりに「黄金半島」マレーシアを訪問し、首都クアラルンプールで数日を過ごした私の実感であった。
3  わがマレーシア創価学会(SGM)の前進も目覚ましい。
 明年には、クアラルンプールの中心部にほど近いブキッ・ビンタン(星が丘)に、待望の「マレーシア総合文化センター」も完成する。(二〇〇一年十一月、同センターがオープン)
 この「文化の城」から、綺羅、星のごとく、二十一世紀の文化の英雄、社会貢献の勇者たちが躍り出る光景を思うと、私の胸は熱くなる。
4  今、私は、一人の草創の大功労者を思い出す。
 その人とは、現在の理事長の実兄で、初代本部長として、人びとの幸福のために献身的に働かれた柯廷龍かていりゅう(コー・テンロン)さんである。
 しかし、残念ながら、八二年に、病のために五十八歳で急逝されたのである。
 弟の騰芳さんにとって、長兄の廷龍さんは、兄であるだけでなく、父親のようでもあった。幼少期に父が他界した後、一家を支えてくれたからだ。
 やがて、廷龍さんは、家族に少しでも楽な暮らしをさせたいとの一心で、中国からマレーシアのペナンに働きに来た。
 稼いだ金は、全部、家族に送った。そのお陰で、騰芳さんは学校に通うこともできた。
 信心も、この廷龍さんから学んできた。美しき兄弟愛の物語である。
5  その「心の柱」と頼む、最愛の兄を亡くしたのだ。落胆は大きかった。
 だが、彼は悲しみの淵から、決然と立ち上がった。そして、兄の使命を継承して、二代目の本部長に就任したのである。
 さらに、八四年の六月には、マレーシアの全国法人が認められ、初代理事長となる。そして、今日まで、生真面目な人柄のままに、懸命に走り抜いてこられた。
 クアラルンプールに到着した翌二十八日、私は妻とともに、柯廷龍さん、後に他界された彼の夫人の鄭月裡ていげつり(テイ・グイリー)さんをはじめ、功労者の方々の追善の勤行を、懇ろにさせていただいた。
 理事長は、兄が父に代わって、自分を守り、育ててくれたことを、今なお、深く感謝している。そして、今度は自分が、後継の青年たちを、兄のごとく、父のごとく、大切に守り育てようと決意されている。
 未来は青年の腕にある。
 その青年を宝のごとく大切に育むところには、希望の太陽が燦々と輝く。
6  SGMは、「平和」「教育」「文化」の旗を掲げ、二十一世紀を築きゆくために、社会貢献の大行進を開始した。
 創価学会の「創価」とは「価値創造」ということである。
 すべてを破壊し、尊き人間の生命を奪いゆく戦争は、最大の蛮行であり、最も「反価値」の行為である。
 ゆえに、初代会長の牧口常三郎先生は、日本の軍部政府と戦い、投獄され、獄死された。
 また、われらも、その精神を受け継ぎ、恒久平和の創造をめざしているのである。
 さらに、人間を育む「教育」こそ、価値創造の根本となる。
 創価学会が、創立当初、「創価教育学会」を名乗り、教育者を中心とした集いとして出発したのも、そのためである。
 そして、創造された価値は、「文化」となって花開き、社会を潤しゆくのである。
 まさに「平和」「教育」「文化」の運動は、仏法の人間主義を根底とする創価学会の、社会的使命なのである。
7  今回、やはり十二年ぶりにお会いしたマハティール首相は、「社会に貢献する生き方が大事です」と語っておられた。
 わがSGMは、社会に美しき人間文化の花を咲かせてきた。その社会貢献の姿に、大きな信頼と賞賛が寄せられている。
 なかでも、九八年九月、クアラルンプールの国立競技場で開催された、第十六回「共和連邦競技大会(コモンウェルス・ゲーム)」でのメンバーの活躍は大きな話題を呼んだ。
 英連邦圏諸国など七十カ国・地域が参加したこの平和の祭典で、SGMのメンバー五千人は、ジャファール国王(当時)、マハティール首相をはじめ、十万人の観衆が見守るなか、美事な団結の「人文字」をもって、開幕式を荘厳したのである。
 「マレーシア・ボレ!(マレーシアは、できるんだ!)」
 その団結の美は、SGMの全同志はもとより、全国民に勇気を与えた。自信を与えた。歓喜を与えた。
 大会の責任者を務めた青年スポーツ大臣は、「皆さんは、わが国の尊き″魂″です」とまで賞賛してくださった。
 また、この大会は、衛星放送を通して、世界五億人の人びとが観賞した。SGI各国の友に、どれほど大きな感動と希望を与えたことであろうか。
 SGMは、世界の光となったのだ!
8  マレーシアには、古くから、「海は、川を拒まない。森は、落ち葉を拒まない」との言葉がある。
 なんと大きな、懐の深い知恵の言葉か。
 イスラム教の文化のなかで、わがSGMの友は、なんの摩擦も問題もなく、友情と信頼の輪を広げておられる。
 対話を通して、真心と真実を正しく伝え、人びとを納得させていく、その賢明さに、私は心から感動した。
 人間と人間の心を結ぶものこそ、誠実な対話である。
 やはり、ルソーの言葉を思い出す。
 「話をする才能は人を喜ばせる技術において第一の地位をしめている」(前掲『エミール』)
 ――マレーシアにて。

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