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日蓮大聖人・池田大作

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ドイツの開拓者たち 青年よ 広布の大願に生き抜け!

2000.10.20 随筆 新・人間革命3 (池田大作全集第131巻)

前後
1  苦しんだ人が、名誉ある栄光の人となる。
 耐え切れぬ迫害を忍んだ善人が、断固として、栄光の名誉の勝利者となる。
 正義の人は、断じて信念を曲げない。
 信念は、正義である。
 正義は、必ず、歴史が証明する。
 真に偉大な人間とは、残酷な無限の迫害と打ち戦い、打ち乗り越えていった人のことである。
 その人びとの列に連なりゆく、無名の英雄こそ、四十年前、私が世界広布の第一陣として、平和への戦いを開始したのと相呼応するかのように、西ドイツ(当時)に旅立った青年たちであった。
 彼らはドイツの炭鉱で働きながら、若き巌窟王となりて、広宣流布の開拓の最初の鍬を振るったのだ。
 青年は、壮大なる理想をもつことだ! その自らの理想に向かって、断固として行動を起こすことだ!
 同じころ、研修医としてドイツのハイデルベルクに留学した女性をはじめ、この六〇年代、女子部の先駆者が、幾人か使命に燃えて、ドイツに行かれた。その一人が、ドイツの理事長夫人である。
2  また、一九六五年には、第三陣ともいうべき熱血の青年十人が、西ドイツに飛んだのである。
 若き彼らは、裸一貫で、「ドイツの広宣流布」を達成していく決意をもち、雄飛していったのである。
 私は、あまりにも尊い決意に涙した。そして、彼らの旅立ちを全魂込めて励まし、祝福した。
 しかし、やっと就職した彼らを待ち受けていた炭鉱の仕事は、あまりにも過酷であった。
 食べ物も合わない。喉を通らない食事を、水と一緒に胃袋に流し込んでは、懸命に働きに出た。
 ドイツ人と比べて一回りも小柄な体で、地下八百メートルから千メートルにある作業現場での重労働である。温度三〇度を超える暗い坑内で、汗と炭塵にまみれながら、飛び散る石などの破片で傷だらけになりながらの苦闘であった。
 採炭現場で、重たい機材を必死に操り、指が曲がらないほど硬いマメが幾つもできてしまった。落盤などで「あわや」という経験もあった。
 辛くて辛くて、涙があふれた。「ここで挫けてたまるか!」と、必死に歯を食いしばり、彼らは耐え抜いた。
 無事に地下から地上に戻ると、「これが本当の地涌の菩薩だ!」と、真っ黒になった顔に白い歯が浮かんだ。
 心の断固たる支えは、ただ一点、「ドイツの広宣流布」への誓いであった。
 休日になると、彼らはガソリン代を気にしながら、ローンでやっと買った車に乗り、何百キロの遠路もいとわず、何時間もかけて、たった一人の個人指導に、折伏・弘教にと駆け回った。
 嘲笑されようが、宿命の風雨が襲おうが、青年たちは、ひたすらに前へ前へと進んだ。
 広宣流布のために克服しなければならない問題ならば、どんなに厳しい状況も、乗り越えられないはずは絶対にない!
 そう腹を決めて、彼らは、祈りに祈り、戦いに戦った。
 やがて彼らは、炭鉱の仕事を離れるが、それぞれドイツ社会に根を下ろし、粘り強く、また辛抱強く、信頼という黄金の城を築き上げていった。
 ″妙法の志願兵″が、新しき時代を開いたのである。
3  共戦の思い出は限りない。
 ある年には、パリを訪問中の私のもとへ、ドイツのパイオニアの青年二人が「若獅子号」と命名したフォルクスワーゲンで勇んで駆け付けてくれた。記録的な寒波で凍結した道を、不眠不休の遠征でもあった。
 「よく来たね! 遠いところ、ご苦労様!」
 私は、見事に険路を越えて来た彼らを、『三国志』の中で、敵の五つの関門をただ一人で突破した関羽将軍の奮闘になぞらえて、ねぎらった。
 ようやく、緊張していた彼らの表情がほころんだ。
 また、先駆者の彼らに続いて、十人の青年勇士が渡独した。その友らに会いたい一心でドイツを訪れた時(一九六五年十月)には、私は愛する青年たちに和歌を贈った。
  霊山の
    誓いも深き
      君ら西
    我ら東と
      白馬も雄々しく
4  御聖訓には、「大願とは法華弘通なり」と仰せである。
 青年たちには、なんの財産も後ろ盾もなかった。あるのは、理想に生き、師との誓いを果たさんとする情熱だけであった。
 見栄も財宝もかなぐり捨て、「死に物狂い」で戦う人間ほど強いものはない。
 石にかじりついても、「ここで必ず勝つ!」という執念と忍耐ほど、まことに強いものはない。
 その激しき戦場に、勇んで突き進んでこそ真の青年だ。
 「広宣流布のパイオニア(開拓者)」――この称号こそ、永遠の魂の栄冠なのである。
 私は、誓いの大道を走り抜いた青年たちの集いを「水滸会」と命名させていただいた。
 彼らは、安楽に、空しい人生を生きることは無益であることを知っていた。
 青春の燃え盛る生命こそが、確実な平和への地平線を広げると断定できる。
 彼らは、広宣流布という、誰人も満足しゆく、落日を知らぬ大偉業を見いだし、その道を突進していったのだ。
5  文豪のゲーテがこよなく愛した「父なるライン」の流れ。
 その中流にあるビンゲン市には、詩情漂うライン川を見つめながら、厳然と、ドイツSGIの「ビラ・ザクセン総合文化センター」の城が立っている。
 この宝城は、由緒ある山荘を修復・保護したもので、「ライン河畔の白鳥」と、多くの市民から愛されている。
 ドイツのパイオニアたちが開いた「広宣流布の大河」は今、絶え間なく、勇ましい飛沫を上げながら、「第三の千年」へと流れている。
 永遠の平和へ!
 民衆の幸福へ!
 人間の勝利へ!
 新たな開拓の夜明けだ。
 「二十一世紀のドイツ」の、威風堂々の前進を、私はひたすらに祈っている。

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