Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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イタリアの若き太陽に栄光あれ 人間復興の都に響く 生命の讃歌

2000.10.17 随筆 新・人間革命3 (池田大作全集第131巻)

前後
2  イタリアでは、長い間、遅々として弘教は進まなかった。
 その分厚い壁を破らんと、草創のリーダーたちは、体当たりで挑み続けた。
 一九七〇年に支部ができても、座談会の会場は、ローマにただ一つあるだけ。メンバーのほとんどが日本人。話すイタリア語も片言程度であったようだ。
 数年間、懸命に走り回っても、集まるのは、いつも同じ顔ぶればかりである。
 毎日の活動が、大海の水をコップですくうような徒労に思える時さえあった。
 悩みに悩み抜いて、金田君が出した結論――それは、「基本に返る」ということであった。
 まず「一人」を育てよう!
 当時、政治や社会に失望し、ヒッピーになった若者が、大勢いた。
 人生を漂流するかのような彼らに、同志は仏法という人生の羅針盤を、「人間革命」の道を、忍耐強く語っていった。
 そして、入会を決意した友が「勤行・唱題を実践」し、「座談会に参加」し、現実社会のなかで「信仰の確信をつかむ」まで、徹して面倒を見た。
 この「一人の人」を大切にする、誠実に徹した人間主義の行動が、一人また一人と、イタリアの青年を奮い立たせた。
 さらに、見違えるように成長した青年の姿に触れて、その親たちも仏法に目覚めていったのである。
 まさに、イタリアの思想家マッツィーニが言うように、「力の秘訣は永続的、統一的な努力に存する」(『人間義務論 他二篇』大類伸訳、岩波文庫)という方程式を正確に実践していったのである。
3  イタリアでは、「質問会」がよき伝統となり、大変に有名である。
 そこには、各人の人生観、宗教観、幸福観がみえる。後輩の鋭い″質問攻め″にあいながら、組織の中心者も、自ら仏法を真摯に学んでいくのである。
 なんでも語り合える開かれた「対話の広場」――これが真実の仏法の世界である。宗門のごとき権威主義は、誰人も心からの納得はしていない。
 約六百年前、フィレンツェの市民サルターティは書いた。
 「人びとからのがれ、魅力あるものに背をむけて、修道院にとじこもり、あるいは人里はなれた僧院に隠れ住むことが、人間完成の道だなどと信じてはいけない」(近藤恒一訳『ルネサンス論の試み』創文社)
 人びとのなかへ! 市民生活のなかへ! 対話の広場へ! そこで真の人間となるのだ!
 これが、錆び付いた束縛の鎖を断ち切り、普通の市民が生きる喜びを謳歌していった「ルネサンス」の精神であった。
 今、新たなる「生命のルネサンス」もまた、真剣な魂と魂の「対話」から、はつらつと始まっていったのである。
4  イタリアでの黄金の九日間、私は、朝から晩まで、寸暇を惜しんで愛する友と会った。そして、懇談や個人指導は、いつしか数十回にも及んでいたようである。
 ある日、生き生きとした未来に生きゆく青年や学生たちと、フィレンツェの街々を散策したことは、今もって深く心に映り、忘れることはできない。
 詩聖ダンテの家にも案内してくれた。
 ベッキオ宮殿前のシニョリーア広場。アルノ川にかかる二階建ての橋ポンテ・ベッキオ。さらに、ミケランジェロ広場やフィエゾレの丘……石畳を踏み、木陰に憩いながら、心ゆくまで語り合った。
 皆、同志である。いわんや、未来は青年のものだ。最も尊敬すべき宝の方々だ。
 ミラノの地で、私は、若き英雄の頭上に、勝利者の月桂冠をのせる日を思い描きながら、こう呼びかけた。
 ――まず、二十年を目標にしよう!
 そのためにも、諸君よ、断じて持続の信心であれ! 断じて創価より離れるな!
5  それから十一年後の一九九二年六月、七度目となるイタリア訪問を果たした、私の眼前に、「あの時」の青年たちは、まぶしいばかりに成長した姿で集ってきてくれた。
 あの青年も! あの乙女も!
 一人ひとりが、信心即社会の妙法の偉大さを、そしてまた人間革命の実像を、輝くばかりに見せてくれた。皆が広宣流布の立派な指導者になってきた。
 若き同志の友情のスクラムが、何十倍にも築かれていたのである。
 この十一年で、「五十倍」の大発展であった。
 友の笑顔で賑わう、ルネサンス最大の後援者メディチ家ゆかりのイタリア文化会館――。
 「すばらしき遊楽の館」と呼ばれてきた、この宝の城に、「衆生所遊楽」の妙法に生き抜く「生命のルネサンス」の先駆者たちが、晴れやかに勝鬨をあげたのだ!
6  いよいよ、誓いの「二十年」は、目前に迫った。
 その二〇〇一年を前に、今月の座談会では、北はアルプスの麓から、南は地中海の島々まで、約二千六百会場に実に二万九千九百七十三人が集った。
 「さあ、次は三万人突破の座談会を!」と、皆、意気軒昂である。
 行動が人生の価値を決める。否、行動にしか信心はない。すなわち信心は行動である。「行躰即信心」が日蓮仏法であり、そこに無量無辺の功徳があることは御聖訓の通りだ。
 ルネサンスに、終着はない。
 ルネサンスとは、常に「新しき飛翔」である。常に「さあ、これから!」である。
 今、新世紀の旭日は昇る!
 わがイタリアの友よ、久遠の生命の大地から、尽きることなき希望と歓喜の泉を湧き出しながら、声高らかに、人間勝利の讃歌を歌いゆこう!

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