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日蓮大聖人・池田大作

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偉大なる離島の同志 栄光あれ! 広布模範の「幸福島」

2000.10.14 随筆 新・人間革命3 (池田大作全集第131巻)

前後
1  解き放ってくれる!
 名誉ある我らの広宣流布の戦いは、自由と幸福のために、我ら一人ひとりを平等に解き放ってくれる。
 島国根性のいやらしき日本列島にあって、妙法の善の言語と行動は、あらゆる騒音を変えて、楽しき音楽に包まれた、真実の正しき、価値ある存在の日々としてくれる。
 あの狂気の戦争も終わった。しかし、戦争のあとも、正法流布を妨げる、むごたらしい村八分のいじめがあった。
 その心の暗闇の中を、仏の使いとしての自負と勇気と使命をもって、それぞれの島の開拓者は、雄々しく戦った。
 都会の最高の指導者以上に、その苦渋と、真剣な広布開拓の魂は光り輝き、永遠に功徳と薫り、歴史に残っていくことは間違いない。
2  一九七八年(昭和五十三年)の十月七日。その日は、皆の心を映したかのように青空が広がっていた。
 全国百二十島の代表が、新世紀に鳴り響きゆく新しい鐘を合図に、信濃町の学会本部に集ってこられた。
 人生と平和の究極の和である第一回離島本部総会が、広宣会館で行われた。
 北海道の北端に浮かぶ、雪の舞う礼文島からも、お二人の参加者があった。
 前日の朝、船で稚内へ。そこから利尻島の友と合流し、夜行列車で札幌に出たあと、東京へは飛行機で飛んできた。
 十月初旬でも夏のような暑さの宮古島の友は、前日、沖縄の那覇に出て、七日朝の便で羽田へ。最も遠くからの参加は、与那国島の方であった。
 初めて上京した方々も多く、苦しい生活のなか、家計を切りつめ、なけなしのお金をはたいて駆けつけた同志もおられたにちがいない。
 学会に対する周囲の無理解に悩み、今再びの新たな決意を固めるために来た友もいた。
 私は、前日から次々と報告を受けながら、参加者の無事故を祈り、皆を待ち受けた。
 朝八時、夜行列車の疲れも見せず本部に着いた、香川の直島の友が、到着第一号であったようだ。
 私は、この尊い方々の礼を痛いほど感じていた。その方々の一人ひとりへの魂の戴冠式にして差し上げたかった。
3  総会は、夜である。
 私が会場に入るやいなや、「うわぁー」と、言葉にならない声がわき上がった。
 風雪に耐え、深き皺を刻んだ一粒種の笑顔があった。
 働き者の純朴な瞳が光り、健康な皺が尊く光って見える。
 「一人立つ」という仏法の真髄に生き抜いた方々である。
 この無名の獅子ありてこそ、離島は勝ってきたのだ。
 私は合掌する思いで言った。
 「はるばる遠いところから、よく来てくださいました!」
 やっとお会いできた。
 夢のような歴史的な出会いであった。
 そして、この日が、日の出の輝きを受けながらの、現在の「離島部の日」となったのである。
4  過ぎ去っていく喧騒の時代を静かに見つめ、今を大切にしながら、来る日も来る日も、彼らは、小宇宙であるその「離島」で、堂々と、戦い抜いてこられたのだ。
 海と語り、風と歌い、大空を呼吸する島々では、すべてが友であり、仲間であり、恋人であった。
 彼らは、海に鍛えられた、強い、素朴な人間の真髄の力をもっていた。
 そして、濃やかな、現代人には見られなくなった、あの思いやりや真心をもっている。
 幾世紀にもわたり、本当の人間を作り上げてくれる舞台こそ、わが島である。
 しかし、時に、大自然は、過酷なまでの鋭き牙をむけてくる。
 特に、災害に遭われた伊豆諸島の三宅島の皆様のご苦労はいかばかりかと、私たちは、早期の復興を、毎日、真剣に祈念している。
 新聞も、船便の関係で、朝に届かない島や一日遅れの島、さらに三、四日に一度の配達という島もあるようだ。
 小笠原諸島となると、配達は約一週間に一度である。
 県の会合に出るにも泊まりがけの島。船や飛行機が欠航しないか、常に雲行きを心配しながら参加する、あの顔、あの瞳の友達がいつもいる。
 また、本部幹部会等の衛星中継は、百島ほどが可能になったが、その多くは個人宅での音声中継である。
 荒波を渡って、我らの会場に集い来る、わが共戦の戦友を思う時、胸が痛む。
 「道のとをきに心ざしのあらわるるにや」と、大聖人が仰せの通りの同志なのだ。
 このたび発刊となった、小説『新・人間革命』第八巻の「布陣」の章でも、「奄美」の同志の壮絶にして尊貴な戦いを綴らせていただいた。
5  蓮祖が発迹顕本後の大闘争をなされたのは、佐渡という「島」である。
 ここに甚深の意義があられると、私たちは胸を熱くする。
 私が今まで、「平和の発信地」として注目してきたのは、沖縄であり、ハワイであり、グアムであり、そして済州島であった。
 すべて、大海を呼吸しながらの「島」である。
 沖縄も戦乱の渦中へ、ハワイも戦禍の渦中へ、グアムも戦争の濁流へ、等々――。
 戦争の惨劇の舞台は、常に、平和の輝ける静かな揺籃のごとき、島であった。
 この島で、人びとは、暁と共に起き、悦びと踊りを忘れずに、吹き渡る潮風を友としながら、温かい憩いの城を築いてきた。
 老いゆくまで、懈怠を知らず、せっせと、常に若者のごとく働き続けた、尊き人間としての模範の天地が島であった。
 卑劣な戦争はまず、その楽しく生き永らえんとする、これらの宝の島々を、奈落の扉で閉じ込め、戦乱の地獄に変えた。
 凍てつく心に、さらに恐怖の炸裂をなしていったのだ。
 この残酷な仕打ちに、私の目は涙する。私の心は激怒する。
 ともあれ、それらの島々は、頭を上げて、人類史の転換の新しき扉を勇敢に開いてきたといってよい。
 島を大切にすることが、常に若々しく、涙と喜びをもつ人生を作り上げてくれる、人間として賢者の道である。島は、その偉大なる揺りかごであることを、忘れてはならない。

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