Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

山河光る群馬 歌え舞え 我が生命の詩を綴れ!

2000.8.24 随筆 新・人間革命3 (池田大作全集第131巻)

前後
1  友と歩きながら、さまざまなことを、楽しく語った。
 それは、先日、群馬の天地を訪問した時のことである。
 どこの地に行っても、宝石の心をもった、わが同志が待っていてくれる。
2  宗教に似た幾多の似非宗教があるけれども、真実の永遠の法則を宿命とした信仰者の世界には、権勢の毒もなければ圧制者の饗宴などもない。
 単調で小さい世界を、友と一緒に歩いているようであるけれども、我らの心には、砂漠のごとき倦怠は、少しもない。
 共に熱烈な哲学者として、時代の未来を見つめ、人生の彼方に豊かな瞳を輝かせながらの語らいは、楽しい。
 ある時は「学問」を語る。
 ある時は「歴史」を語る。
 ある時は「人類史」を語る。
 その言々に金色の粉末をちりばめるような思い出は、なんと嬉しいことか!
3  名高い「はるな平和墓苑」が開苑したのは、一九八七年(昭和六十二年)の九月のことである。
 私は、そのオープンの直前に伺った。
 友と私は、直立しながら墓苑を見つめた。
 そして深々とした心で、わが同志たちの草創の誇り高き曲を贈りたい気持ちであった。
 この榛名山のふもとに荘重に並ぶ神秘な石碑を、私たちは敬虔な眼で見つめた。
 夕映えの山々に、赤とんぼが飛び交っていた。
 遠くに目をやれば、赤城山、日光連山、子持山などの雄大なパノラマが広がる。
 ふと、一つの山に、私の目がとまった。なんともいえない、味わいのある形である。
 私は、その山の方を指さしながら、同行の友に言った。
 「あの山は、まるで釈尊が横たわっているようだね。
 ほら、目があり、鼻があるように見える。お腹の形もよくわかるじゃないか」
 あとで群馬の方が、その山のことを調べてくれた。
 それによると、「小野子山」と名付けられているこの山は、地元の古老の間で、昔から「寝姿山」と呼ばれ、親しまれてきたという。「はるな平和墓苑」は、釈尊にも見守られながら眠る、「生死不二」の安らぎの園であると、感慨は深かった。
4   大光に つつまれ
    緑も すずやかに
   三世の生命の
     この地
       不思議や
 最初の訪問の折、私が詠んだ歌は、今は歌碑に刻まれ、苑内に置かれている。
 開苑から十三年。この夏で、入苑者も二百万人に達した。
 展望台をもつ世界風俗館や公園広場等もあり、地域に開かれた墓苑として、皆様に愛され、発展してきた。
 草津の「群馬多宝研修道場」も、今夏で七周年を迎えた。
 いずれも、地元の同志の方々の、並々ならぬ尽力があったればこそと、感謝にたえない。
5  「国の生命は其詩歌である、其先導者は其詩人である」とは、高崎藩士の家に生まれた″上州人″であった思想家・内村鑑三の言である。(『内村鑑三全集』19、岩波書店)
 この群馬の天地は、文学界に多くの逸材を送り出し、″日本近代詩の故郷″とも称されている。
 詩人では、萩原朔太郎をはじめ、山村暮鳥、萩原恭次郎、湯浅半月、大手拓次、平井晩村、高橋元吉。
 歌人・俳人では、土屋文明、幼少から群馬で育った村上鬼城もいる。さらに作家では、田山花袋、山口寒水……。
 そのなかで、近代詩の最高峰・萩原朔太郎は、「師はいつも詩人であり、弟子はいつも散文作家である」(「新しき欲情」、『現代日本文学全集』24所収、筑摩書房)と言った。
 ここでいう「詩人」とは、普遍的な真理や原理を直観し、自らの言葉で表現する人のことであり、「散文作家」とは、詩人が示した真理などの説明・応用に従事する人といえようか。
 朔太郎は、本源から遠ざかっていくにつれ、何かが変わってしまうことに気づいていた。
 「かくして時代は次々へと現実的事実の煩瑣な認識へ深入りするであらう。ああそこで遂に忘れられて行く文化の母胎がありはしないか。我等をして今一度『師に帰れ』『詩に帰れ』と叫ばしめよ」(同前)
 彼は、そこで「大いなる魂に触れよ、生命に触れよ」と伝えたかったのではないか。
 もとより次元は異なるが、先日もスピーチした通り、常々、戸田先生は、「信心は、日蓮大聖人の時代に還れ!」「教学は、日寛上人の時代に還れ!」と、厳しく指導された。
 群馬のご出身の日寛上人は、「観心本尊抄文段」にこう仰せである。
 「我等衆生が御本尊を受持する時、凡夫の身がそのまま久遠元初の自受用身となる。それが『師弟不二』である」(文段集四八八ページ、趣意)
 正しき「師」を求め、正しき「法」に生き抜いていく時、この凡夫のわが身それ自体に、尊極なる仏の力用が現れてくる。
 ここに、「凡夫即極」という日蓮仏法の不滅の真髄がある。
 この確信に立てば、誰を羨む必要もなければ、何を恐れる必要もない。
 一九八六年(昭和六十一年)の九月、前橋市民体育館での群馬青年平和文化祭の折に、私は、「人気や有名を求める人生ではなく、平凡にして偉大な人生を!」と語った。
 「偉大なる平凡」という最も美しい人生の「詩」を、私は、群馬の青年に綴ってほしかったのである。
6  インドのガンジー記念館のラダクリシュナン館長との初めての出会いも、この十四年前の群馬の文化祭であった。
 また、インドの若き詩人であり、教育者であるクマナン博士との交流も、博士の群馬訪問から本格的に始まった。
 この八月十三日、そのクマナン博士がチェンナイ(旧マドラス)に創設された「創価池田女子大学」の開学式が厳粛に行われた。光栄にも、私に「名誉創立者」、妻には「名誉学長」の要請をいただいた。儀式の模様を、私はクマナン博士にゆかりの群馬の地で伺った。
 牧口先生、戸田先生の師弟が『創価教育学体系』を発刊されてより七十周年。その崇高な人間教育の理念は、はるかな月氏の国にも開花している。
 私たち夫婦は両先生の尊容を偲びながら、関東会の研修メンバーと心ゆくまで語り合った。上毛の麗しき山河を、黄金の名月が静かに照らしていた。
7  群馬県の形は、隣県との境界線で切り取ると、大空を東へと舞う「鶴」に似ている。
 その尾の部分から、さらに、左右の翼から、血管のごとく流れる吾妻川、片品川、赤谷川、烏川、碓氷川、鏑川、神流川。これらの川が、国内最大の流域面積を誇る利根川へと合流し、鶴の頭部へと貫流する。そして関東平野を潤し、青き太平洋に注ぎ出る。
 ″坂東太郎″――関東の長男と呼ばれる大河も、諸々の小河を合して生まれる。
 皆の「心」が団結して、勝利に一丸となった時、どれほど巨大な力となることか!
 「根本的改革とは人心の改革より来る」と、かの内村鑑三は叫んだ。
 「一念の変革」が、世界を変える。人生を変え、環境を変える。これが「人間革命」の希望の大光である。
 「日本一の人材群」
 「日本一の功徳の広布群」
 「日本一の弘教の理想群」
 この合言葉のもと、今、新しい「群雄」の拡大が始まった。

1
1