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日蓮大聖人・池田大作

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戸田先生との対話 ある日 ある時 未来を見つめて

2000.7.12 随筆 新・人間革命3 (池田大作全集第131巻)

前後
1  私の師匠であり、父でもある戸田先生は、それはそれは、多くの貴重な対話をしてくださった。
 私は、幸福者である。
 それは、西神田に本部があったころのことである。
 お昼になると、よく、先生と一緒に、当時の外食券の食堂に昼食を食べに行った。
 学生街でもある神田の食堂では、多くの学生たちが賑やかに楽しそうに、またある青年は、急ぎ急ぎ、食事をしていた。
 活気があった。未来があった。弾んでいた。
 先生と私は、どんぶりの御飯とおみおつけ、焼き鯖とがんもどきに、醤油をたくさんつけながら、昼餉の一時を過ごした。
 先生は、大変に話好きの方であられた。
 ある時は、難解な哲学や思想をわかりやすく、ある時は、平易でありながら、含蓄の深い指導や物語や逸話等々を、語ってくださった。
 その食堂には、先生にお供して、どうやら三十回ぐらいは行ったかもしれない。
 今、思い出しても、その時の師の姿や口調、そして遺言ともいうべき指導の言々句々が、頭脳に煌めき、胸中より湧き出ずるような感がしてくる。
2  そのなかの一つに、レオナルド・ダ・ビンチ(一四五二〜一五一九年)の話があった。
 言わずしても、ご存じの通り、ダ・ビンチは、イタリアの天地が生んだ、ルネサンスの万能の巨人である。
 「光が闇で最もよく輝いて見える如く、(=徳は)人が得意にあるときよりも苦境にあるときの方が一層よく顕はれる」(『ダ・ビンチ随想録』黒田正利訳、養徳社)
 ある日、先生は、このダ・ビンチの箴言を、さりげなく、私に語られた。
 当時、先生ご自身が、事業に敗れ、底知れぬ苦境の闇に包まれていた。
 一人去り、二人去っていく、そのなかで、ただ、ひたすら先生にお仕えしていた弟子には、この一言に託された師の深い心情が、痛いほど、わかった。
 人間は、敗れた時にこそ悠然と構えていくことだ。
 絶対に逃げてはいけない。
 そこに、人格の真価がある。
 また「初め苦と戦ふは、終になりて戦ふよりは易し」。(同前)
 これも、先生が引かれた、ダ・ビンチの一節である。
 難しい課題にこそ、勇んで取りかかれ!
 行きにくい場所にこそ、敢えて飛び込んでいけ!
 後に、私が世界への平和旅を、仏法と最も縁の薄い、中東や共産圏の諸国に、いち早く広げていったのも、この恩師の指針通りなのである。
3  先生は、数学者、思想家、哲学者、教育者だけでなく、仏法の大実践者であられた。
 ご自身は、どんな高度な学問も、三カ月の猶予があれば、全部、マスターできると豪語されていた。
 誠に、その通りの頭脳明晰の方であられた。
 私も、多くの優れた学者、文化人、著名人に、日本でも世界でも、会ってきたけれども、戸田先生の力は群を抜いていると、常に思ってきた。
 妙法は「活の法門」である。先生は、この妙法を根底として、歴史上のあらゆる偉人の英知を、自由自在に現代に活かし、価値創造していくことを教えてくださったのである。
 一九九四年(平成六年)の六月、世界最古の伝統を誇る、イタリアのボローニャ大学で、私は講演した。
 師との対話を思い返しつつ、私が選んだテーマは、「レオナルドの眼と人類の議会――国連の未来についての考察」である。
4  戸田先生は、ダ・ビンチの生涯も、嫉妬による讒言に苦しめられたことを強調された。
 ――幸福のあるところには、必ず嫉妬が襲いかかる。嫉妬は、讒言をもって誹謗する。邪悪な噂は、剣よりも残酷に人を殺す。
 これが天才画家の透徹した眼に映ずる、人間社会の実相であった。
 しかし、ダ・ビンチは、その嫉妬の心の醜さを、笑い飛ばすように、痛烈な風刺の寓意画にして、描き残している。
 彼は獅子であった。その心には、真理の太陽が、正義の炎が、赫々と燃え上がっていた。
 「火はあらゆる詭弁家すなわち虚偽を破壊し、もっぱら真理すなわち金のみをたもつ。
 (中略)
 いつわりは鞭打たれる、かくも偉大な裁判官の前で。
 嘘は仮面をかぶる。
 太陽の下に隠るるものなし」(『レオナルド・ダ・ビンチの手記』杉浦明平訳、岩波文庫)
 嫉妬の嵐に襲われたダ・ビンチが、敵に対する痛烈な一矢を放った、鋭い真理の言である。
 彼は、厳粛な因果律の上から、人を陥れようと穴を掘る悪党は、その報いで、自分自身が穴の中に堕ちてしまうことを、悠然と見通していた。
 ダ・ビンチは、非難に動揺する弟子に対して、厳しく叱咤したと言われる。
 「分からず屋ども」の言うことで、心を曇らせるな!(メレジュコーフスィイ『神々の復活』2、米川正夫訳、岩波文庫、引用・参照)
 「自分も他人も欺くような、誹謗の輩を沈黙せしめよ!」(レオナルド・ダ・ビンチ『絵画論』加藤朝鳥訳、『世界大思想全集』9所収、春秋社、参照)と。
 戸田先生は、「古今東西を問わず、師弟の道とは、かくあるものだ」と語られた。眼鏡の奥の眼差しが、鋭く光っていた。
5  先生との語らいは続いた。
 大聖人の流罪・死罪も、讒言によるものであった。
 御書には、「良観房が讒訴に依りて釈迦如来の御使・日蓮聖人を流罪し」「讒言を企て日蓮が頸をきらせまいらせん」等と、繰り返し仰せになっている。
 さらに、御本仏が「悪名一天にはびこれり」という包囲にさらされたのも、「悪業の衆生に讒言せられ」たゆえであった。
 創価学会が、御聖訓の通り、讒言によって攻撃され、迫害され、冤罪を被ることは、まさしく、大聖人の正統直結の証なのである。
6  戸田先生は、「佐渡御書」の結びの一節を拝された。
 「日蓮を信ずるやうなりし者どもが日蓮がか(斯)くなれば疑ををこして法華経をすつるのみならずかへりて日蓮を教訓して我賢しと思はん僻人等が念仏者よりも久く阿鼻地獄にあらん事不便とも申す計りなし」(御書九六〇ページ)
 この御金言は、牧口先生が、何度も何度も、門下に教えられた御書でもある。
 七十二歳の牧口先生は、獄中から、三男の洋三さんの妻・貞子さんに書簡を送られた。
 「お互に信仰が第一です。災難と云ふても、大聖人様の九牛の一毛です、とあきらめて益々信仰を強める事です。広大無辺の大利益に暮す吾々に、斯くの如き事は決してうらめません。経文や御書にある通り、必ず『毒変じて薬となる』ことは今までの経験からも後で解ります」(『牧口常三郎全集』10、第三文明社)と。
 この牧口先生のご精神こそが、「学会魂」であると、戸田先生は、私に、諄々と語られたのである。
 「ただ一えんにおもい切れ・からんは不思議わるからんは一定とをもへ」である。
 広宣流布の戦いは、末法万年尽未来際への、長い長い遠征である。
 目先のことで、一喜一憂することは、まったくない。
 何があっても、「信心」で勝つことだ。
 「広宣流布」で勝つことだ。
 「大作、戦いは、いよいよ、これからだよ。
 楽しく、また断固として一緒に、戦おうじゃないか!」
 先生は、そう言われると、にっこり微笑まれた。

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