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日蓮大聖人・池田大作

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ざくろの紅い花 民衆王よ 使命の庭で勝利の果実を!

2000.7.5 随筆 新・人間革命3 (池田大作全集第131巻)

前後
1  夏が、もう来ていた。
 六月のある日、本部の側の広場を妻と歩くと、陽射しがまぶしかった。
 竹、梅、桜、柿……小さな庭を彩る草木も、日に日に、緑を濃くしていた。
 その緑の小宇宙に煌めく赤い星々のごとく、鮮やかな橙色がかった紅い花が輝いていた。
 「ざくろ」の花である。
 まさに、中国の詩人が「万緑叢中紅一点」(王安石おうあんせきといわれる)と謳ったごとくに光っていた。
 「紅一点」とは、多くの男性の中に、女性がいるという意味で用いられることが多い。
 しかし、多数のもののなかで異彩を放つという意味もある。
 この広場は、後継の青年たちと、幾度となく、師弟の対話を重ねてきた、″青春の広場″である。私は、ざくろの紅い花を見ながら思った。
 わが青年よ、いかなる場所であれ、必ず「紅一点」と光れ!
 いかなる逆境であれ、使命の炎を燃やして輝け! と。
2  私が幼少期を過ごした大田の糀谷の家は、歩いて海まで十分とかからなかった。現在の羽田空港のすぐ近くである。
 広い敷地の家で、庭に大きな池もあった。
 その庭の一角に、懸命に根を張る、一本のざくろの木があったことを懐かしく思い出す。
 秋口になると、ざくろの実の厚い皮が割れる日が楽しみで、よく木に登っては、今か今かと確かめたものであった。
 はじけた実は、紅玉のように透き通ったピンク色。種をより分けながら食べると、ほんのり甘酸っぱかった。
 羽田の尋常小学校に入学する前、私は突然、高熱を出して寝込んだ。肺炎であった。
 私の病状が、やっと峠を越したころ、懸命に看病してくれた母が言った。
 「あの庭のざくろをごらん。
 潮風と砂地には弱いというのに花を咲かせ、毎年、実をつける。おまえも、今は弱くとも、きっと丈夫になるんだよ!」
 八人の子を抱えながら、海苔屋の家業を支えた母の、あの力強い声は耳朶から離れない。
 布団の中で、満開のざくろの花を思い浮かべながら、「強くなろう」と決心した。
 苦難や悩みのない人生はありえない。大事なことは、それに負けないことだ。強く生き抜き、断固と勝つことだ。これが、幸福の賢者の道である。
 後年、私が、東京・関西の両創価学園に、ざくろの木を植樹したのも、「わが子よ、強くなれ! 大きく育て!」との願いからであった。
3  ざくろは、漢字では「りゅう」の字で表され、普通は「石榴ざくろ」「安石榴」等と書かれる。
 これは、安石国(現在のイラン地方にあったとされる国)から、中国に伝わったことに由来するようだ。
 ところで、このざくろを中国に伝えたのは、紀元前二世紀の英雄・張騫ちょうけんだとする有名な伝説がある。
 彼は、漢の天子・武帝の命を受け、使者として、西の彼方の遠国に派遣された。
 道中、敵国に捕らえられ、十年余りも抑留されるが、使命を忘れず、脱出して大月氏国へたどり着く。帰途も一時、囚われの身となるが、再び脱出し、祖国に帰り着いたのである。
 結局、出発から帰国まで実に十三年。当初、百人余りいた使節団も、帰還できたのは張騫と随員一人だけであった。(『史記』2、『筑摩世界文学大系』7〈小竹文夫・小竹武夫訳〉所収、筑摩書房、参照)
 この波瀾万丈の旅が、西方の未知の世界の扉を開いたのである。いわば彼は、東西の文化交流の道を先駆した″シルクロードの英雄″であった。
 有名な『史記』は、この張騫の人となりを、「生来、堅忍不抜の志と寛大な心をもち、よく人を信じた」(同前)と記している。
 幾度も、生死の境を越えて、酷烈な砂漠や見知らぬ異境を越えての長途の旅であった。十年余の虜囚生活さえあった。
 にもかかわらず、彼は、断じて志操を曲げず、鉄石の信念で使命を貫き通した。
 一方で、敵をも魅了し、味方にする、寛やかで大きな心があった。不信を信頼に変え、敵意を友好に変えゆく、深き人格の力があった。
 何事であれ、偉業の陰には、道なき道を切り開く、不撓不屈の「強き心」が必要なのである。
4  ざくろがシルクロードを旅して、東の終着駅・日本にたどり着いたように、仏法も、勇気を奮って熱沙を超えた、人間によって伝えられてきた。
 そして、今――。
 私たちは、仏法のヒューマニズムという「幸福の種子」を、全世界に広めようとしている。
 「平和の種子」を未来永遠に残し、伝えようとしている。
 御書には、「いよいよ道心堅固にして今度・仏になり給へ」と仰せである。
 どこまでも「強き心」で進もう! わが創価の同志よ!
 不信と対立の砂漠を超えて、希望と平和の「精神のシルクロード」を開くのだ! 誰も成し得なかった、″仏法西還の大遠征″を完遂するのだ!
5  ざくろは、がくの形が「王冠」の姿をしているからか、″果実の王″として、しばしば、王権などの象徴とされてきた。
 ところが、一説では、ざくろは、反対に、″民が王″の民主主義のシンボルともされているようだ。
 つまり、″王冠に見える萼″よりも、食べられる果実の方が価値がある。価値があるのは、王や権力者よりも、民衆なのである――と。
 民衆こそ偉大である!
 民衆こそ尊極である!
 御書にも「王は民を親とし」と説かれている。
 今、この「民衆王」の勝利の劇をば、あの地、この地で、痛快に繰り広げているのが、創価の正義軍の陣列なのである。
6  青年の七月。情熱の七月。
 そして、師弟の七月――。
 本部周辺に植えられたざくろは、ほぼ一カ月咲き続けて、今はわずかな花を残すのみとなった。再び、万緑のなかにとけ込みながら、黙々と、あの宝石のような果実、勝利の果実を育んでいくことであろう。
 友よ、勝て!
 創価の友よ、堂々たる栄冠を勝ち取れ! と見守り、祈るかのように――。

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