Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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わが宝の青年に贈る 使命ある君よ 断じて生き抜け

2000.6.7 随筆 新・人間革命3 (池田大作全集第131巻)

前後
1  つい先日、わが創価学園、創価大学出身の若き優秀な同志が、夜遅く、バイクに轢かれて死亡したという連絡が入った。
 驚きとともに、本当に悲しかった。
 私は懇ろに追善し、和歌を贈らせていただいた。
  素晴らしき
    母を残して
      君逝きぬ
    早く帰れや
      母のもとにと
 また、創価大学で、上海雑技団の公演が行われた日(六月四日)の晩、創大の草創期から活躍してこられた土井健司教授が、癌のために逝去された、との訃報に接した。
 シルクロードの遺跡や、福島県会津地方の古墳の発掘にも尽力してくださった先生である。
 まだ五十六歳の若さであり、大事な人を失い、私は、残念でならない。
 亡くなられる前日、お見舞いにお届けした、私の和歌と虹の写真を見て、にっこりと微笑み、喜んでおられたと、奥様から伺った。
2  人の宿命というものは、凡夫である私どもには測りがたい。
 しかし、仏法の眼を開く時、人の死には、深い深い意味があるはずだ。
 また、生命は永遠である。生も死も不二であり、御本尊を持ち、妙法を唱える人は、永遠に千の仏の手に抱かれ、万の仏の光に包まれていくことは絶対に間違いない。
 創価の青年たちは、皆、わが命であり、わが宝である。
3  「生命」を一番、大切にするのが、仏法である。
 青年よ、若き君たちよ! この尊き人生を「無用の死」といわれぬように!
 人生は、連続の勝負である。
 不注意や不用意は、敗北に通ずる。
 仏法もまた、厳しき勝負の世界である。
 負ければ、悲劇であり、不幸である。
 勝てば、喜びであり、幸福である。
 ともあれ、君よ、黒い嫉妬の弾丸に当たって、死んではならない!
 すべてが地上最大の楽しみである、と受け止めながら、胸にわく勝利の光を、太陽のごとく抱くのだ。
 心が、もはや老いぼれの、後悔の道を、夕闇に吸い込まれていくような人生で終わるな!
 わが魂の壮麗な光輝ある記念碑を建てながら、茂りゆく月桂樹の中を、悠然と歩みゆけ!
 悪辣な憎悪の連中など、歯牙にもかけるな!
 自分自身の心を憎んで生き抜く連中には、自らの怒りの風が吹き荒れて、苦悩の一生と終わりゆくにちがいない。
4  私は祈る。
 春風が四方から吹くが如く、あらゆるものを幸福に薫らせ、強くまた強く、すべてに、必ず勝ちゆくという生命の当体を、汝が魂の中に、もち続けていけ、と。
 いつも快活な君を、快活な日光が照らしゆく。
 光り輝く太陽の大海原が、君の戦いを讃え、護りゆくであろう。
 ともあれ、厳たる人間たれ!
 いかなる環境であろうと、偉大なる人間王者として、生き抜け!
 君は、大仏法という、不可思議な、大きな大きな翼をもっているのだ。
 ひとたび剣を抜けば、あらゆる暗黒の悪魔たちを切り裂いていける、高貴なる宝剣を、君はもっている。
 君には、諸天善神が守り支える「誓いの水」が、血管の中に流れ込んでいる。
 微笑む君の笑顔に、何ものかがいくら敵対してもかなわない。
 完璧である君の純粋な信仰の行動には、誰人も孤立して支配することはできない。
 無駄骨に終わることを知らずして、幾たびとなく中傷批判などを繰り返すのは、哀れな老醜の怒り狂っている姿であるのだ。
 人間の英雄には、暗い道はない。残虐な嫉妬の嵐など、眼中にない。
 巧みなる詐取も、鬼のごとき脅迫的な苦渋の刃も、正義と勝者の輝く信仰の魂には、絶対に嫉妬の毒酒を飲ませることはできない。
 いな、悪人自身が、荒れ狂う毒に包まれた、苦痛の最後を見せつけるに決まっている。
5  何があっても愉快に、人のため、法のために、いつでも語り相手となっていく、力ある君であってもらいたい。
 汝は、無名であっても、世間から冷たくされても、三世の王者の精神の魂が、羽のように楽しく舞っていくことを、決して忘れるな!
 君の一生は、「信仰」の一生である。
 君の一生は、「広宣流布」の一生である。
 君の一生は、「創価」という連帯の一生である。
 それは、不滅の「黄金時代」を生き抜く一生なのである。
 哲学なき人びとの多い社会にあって、大きな瞳をもった金色の英知の光が宿る人生なのである。
 社会の醜さを前に、深い傷を受けながら、そしてまた、戦慄を覚えながらも、汝の広大な道を歩む姿は、菩薩であり、仏身なのである。
 汝の真実の尊き大道を歩みゆく力には、いかなる階級の人間もかなうことはできない。
 無上無量の光輝ある、気高き無二の人間道を、闊歩しているのである。
 君には、誰もかなわない。
6  ともあれ、若き君は、使命ある君たちは、悔いのない、価値ある人生を、生き抜いていかねばならない。
 それが、創価の魂である。
 常に、民衆の中で生き抜くことだ。
 そしてまた、常に、民衆を愛して、行動していくことだ。
 かのマハトマ・ガンジーは叫んだ。
 「民衆を抜きにした主義は死んだ物」であると。(『わたしの非暴力』1、森本達雄訳、みすず書房)
7  君よ、後悔の春夏秋冬であってはならない。
 朝な夕なに、そしてまた、真昼の空に君臨する太陽のごとく、君は、偉ぶった王侯貴族を下に見ながら、皆がため息をつくような、痛快な勝利の人生を飾りゆけ!
 肩書が、なんだ!
 栄誉、栄華が、なんだ!
 外面の名誉が、なんだ!
 世の人びとが想像もつかぬ、最高善の大法と共に生き抜く「行躰即信心」こそ、人生究極の立派な生涯なのである。
8  大詩人ユゴーは、幾多の戦闘を、勇敢に勝ち進んできた英雄たちを謳った。
 「あの最後の戦いの、最後の兵士たちは
 偉大だった。彼らはあらゆる国を征服して、
 あまたの国王を追いはらい、アルプスを越え、ラインを越えた。
 そして彼らの魂は青銅のらっぱの音とともに鳴りひびいたのだ!」(『懲罰詩集』、『ユゴー詩集』〈辻昶・稲垣直樹訳〉所収、潮出版社)

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