Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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恩師と個人指導 学会永久に「御書」根本に勝利

2000.5.23 随筆 新・人間革命3 (池田大作全集第131巻)

前後
1  「戸田大学」での、毎朝の我が師・戸田先生の講義と、生徒である弟子・池田大作の受講の模様は、以前にも、ご紹介させていただいたことがある。
 多忙な戸田先生のもとへ、毎日のように、指導を受ける人が、多く来られた。
 仕事中であっても、先生は、別室で、その人びとを迎えられた。
 貧しい人、悩める人、苦しんでいる人、行き詰まった人、また、不満の人や退転の人等々、相談の内容は、多種多様であった。
 私は、側に置いていただき、陰で先生のお手伝いをし、大勢の人びとに先生の指導を伝達する役目を果たしてもいた。
 ゆえに、先生の一言一言を、耳朶に刻みつける覚悟でいることが、常であった。
2  戸田先生は、ある時は具体例をあげながら、わかりやすく、ある時は叱咤激励され、ある時は簡潔に、結論を明快に示された。
 また、ある時は笑いながら、さまざまな譬えを引いて、その人の心を和ませ、楽しそうに話を進められた。
 そして、ある時は厳父の如く激しい怒りをもって、その人の惰弱と傲慢を指摘し、打ち破っていかれたのである。
 それはそれとして、幼子を背負い、子供の手を引いて、貧しい婦人が来られた時、先生は、御書を開きながら語られた。
 「これは自分の言葉ではない。あなたが信仰している、大聖人の御言葉ですよ」と、丁寧に前置きして、指導をされていた、深い慈愛の先生の姿が瞼に浮かぶ。
 「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる
 「法華経を信ずる人は・さいわいを万里の外よりあつむべし
 厳しい生活と戦い、人生の険しい山を登りゆく婦人に対し、わかりやすい御文を多く用いて、「これは、大聖人の教えだよ。僕の言葉じゃないよ」と繰り返し言われながら、励ましておられた。
 ある時は、若き弟子たる青年部に、御書を拝しつつ、峻厳に薫陶された。
 ある時は、乙女らに対しても、「あなたの将来の幸福のために」と、御金言を通し、正しく厳しく指針を贈られた。
3  ある日、ある時、兄弟の仲が悪い人に、戸田先生は、池上兄弟への御手紙を通解されて、教えられた。
 ″兄弟二人が一体で進む姿は、車の両輪のようであり、鳥の二つの翼のようである。(中略)こう言うと恐縮ですが、二人が共に、日蓮のことを師匠として尊いと思って、心を合わせていきなさい。
 もし、二人の仲が不和になられたならば、二人に対する諸仏・諸天等の加護がどうなってしまうかと考えていきなさい。
 あなた方は、法華経のゆえに、はっきりとした敵をもたれている身です。
 それゆえ、内輪から争いを起こせば、鳥と貝が争い合っているうちに、どちらも漁師に取られてしまったように、共に敵につけ込まれる恐れがあります″(御書一一〇八ページ、通解)――と。有名な「鷸蚌いっぽう(一説にシギとハマグリ)の争い」「漁夫の利」の故事を引かれた御聖訓である。
4  同志を誹謗する人に対しては、諸御抄を拝し、厳然と戒められた。
 「「当に起ちて遠く迎えて当に仏を敬うが如くすべし」の道理なれば仏の如く互に敬うべし
 同志は、互いに仏を敬うがごとく、尊敬し合っていく。これが、法華経の経文であり、大聖人の仰せなのである。
 また、先生は、「仏になるみちは善知識にはすぎず」との御文を通し、一生成仏のために、善き同志の存在がどれほど大切かを語られた。
 さらに、「かかる濁世には互につねに・いゐあわせてひまもなく後世ねがわせ給い候へ」と拝読されながら、先生は、諄々と訴えていかれた。
 「このような濁った時代には、同志は、互いに常に語り合って、広宣流布ひとすじに前進し、共々に永遠の幸福を勝ち取っていきなさいと、大聖人が厳命されている。
 仲間の悪口を、言い合っているひまなど、どこにもないよ。
 目先の小さな感情に流されていては、大聖人から叱られる」
5  組織の問題で悩む幹部には、先生は、″異体同心″の基本の御書を示された。
 人生も、仏法も、すべて基本が、一番、大切だからである。
 「異体同心なれば万事を成し同体異心なれば諸事叶う事なし
 「日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし
 そして先生は、「生死一大事血脈抄」の一段を、厳として講義された。
 ″総じて日蓮の弟子檀那らが、自分と他人、彼と此れとの分け隔てなく、水と魚のように一体の心で、異体同心に南無妙法蓮華経と唱え奉るところを生死一大事の血脈というのである。
 しかも、今、日蓮が弘通する法の肝要は、これである。
 もし、この意を体していくならば、広宣流布の大願も成就するであろう″(御書一三三七ページ、通解)――と。
 この大聖人の血脈が、脈々と流れ通う広宣流布の和合僧こそ、創価学会なのである。
 ゆえに、「戸田の命よりも大切な学会の組織」を何ものにも破らせてはならない。
 創価学会は、永遠に、異体同心の団結で勝っていくのだ。
 仏意仏勅の学会を守り、強めていく以外に、広宣流布は絶対にあり得ないことを、先生は、烈々たる気迫で、「遺言」として訴えられたのである。
6  「法に依って人に依らざれ」である。
 学会は″御書根本″であるがゆえに、強い。
 いかなる時代になろうとも、常に、この原点に立ち返れば、決して行き詰まることはない。
 戸田先生は、『御書全集』の「発刊の辞」に、「この貴重なる大経典が全東洋へ、全世界へ、と流布して行く事をひたすら祈念して止まぬものである」と記された。
 今、この悲願通りに、御書は、世界中の言語に翻訳されている。
 韓国語の『御書全集』は、すでに完成し、中国語の『御書全集』も、創立七十周年の記念事業として、発刊される予定である。(=韓国語は一九八九年四月、中国語は二〇〇〇年十一月に発刊)
 また昨年(一九九九年)には、待望久しかった『英訳御書』も刊行された。英語の使用人口は十八億人に及ぶといわれ、その発刊の意義はまことに大きい。
 百五十六カ国・地域に広がったSGI(創価学会インターナショナル)は、どこまでも御書を中心に、団結していくのである。
7  「法華経に勝る兵法なし」
 御書こそが、いっさいの闘争の要諦である。
 「蓮祖の御聖訓である『広宣流布』に戦い続けた人が、菩薩であり、仏である」とは、戸田先生の結論であられた。
 ″仏法は勝負″である。
 ゆえに、我々は、法理に則って、戦い生き抜き、戦い勝ち抜いていかねばならない。
 それが、大聖人に対する、信仰の実像であるからだ。
 その功徳は不滅であり、福運は無量であり、三世にわたる生命の勝利は、確実であるのだ。

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