Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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忘れ得ぬ5月の静岡 広布の先頭に翻れ 青年の旗

2000.5.18 随筆 新・人間革命3 (池田大作全集第131巻)

前後
1  よく戸田先生は、私たち側近に、語られた。
 「青年は、北風に向かって、堂々と進め!」
 また、ある時は、
 「苦難の道に向かって、悠々と走り抜け!」
 また、ある時は、
 「今は、逆縁広布である。御聖訓通りに大難がなければ、広宣流布は、できない。
 ゆえに、大聖人が、『難来るを以て安楽と意得可きなり』と仰せになっている意味を、知らねばならない」と。
 江戸時代の、ある思想家の漢詩を引きながら、
 「謗る者は汝の謗るに任せ
  嗤う者は汝の嗤ふに任す
  …………
  他人の知るを覓めず」
 と励ましてもおられた。
2  先生は、人生の指導者であり、大哲学者であり、大知識人であられた。
 最も貧しい人を、愛しておられた。そして、青年を、こよなく愛しておられた。
 今もって、私の心には、否、生命のなかには、師匠の脈々たる血脈が、激しく流れ、沸騰している。
 「大作!
 大聖人をいじめ抜いた、極悪の仏敵である平左衛門尉に対して、御書には″彼は、自分にとって善知識だ″と仰せになっておられる。
 敵など、断じて恐れるな!
 全部、自分自身を完成させ、仏にしてくれる、闇の烈風に過ぎない」と。
3  戸田先生との語らいは、私の青春時代の生命に、すべて宝となって、刻みつけられている。
 師匠というものは、本当にありがたく、師をもたぬ者は、かわいそうだ。
 師をもたぬ者は、増上慢となる。はかない毀誉褒貶の自己中心を自由と錯覚して、最も不自由な人間の欠陥をもってしまうのである。
4  先生とは、日本中、どこへ行く時も、ご一緒させていただいた。
 朝から晩まで、一緒であったといっても、過言ではない。
 静岡へも、何度もお供させていただいた。
 私の人生において、最極の幸福な師弟不二の時代を刻むことができた。
 人が何と批判し、非難しようが、師弟不二の生命の奥底にある大河の血の流れから見れば、すべて小波に過ぎない。
 先生は――
 人生の目的は何かを、語ってくださった。
 生命は永遠なのか、どうなのかということを、諄々と語ってくださった。
 人類は、いかにすれば、「幸福」と「平和」に生き抜いていけるか。そして、
 戦乱なき人類の未来は!
 戦争なき人類の夜明けは!
 等々、静かに深く、私の胸に刻んでくださった。
5  戸田先生は、「虚栄は、最も多くの場合、消費と結びついている」という、ある哲学者の言葉を引いて、語られた。
 「青年は、実力である。
 真剣勝負になって、自分を鍛えることだ。死に物狂いになって、勝ち抜く力をつくりあげることだ。
 多くの人びとは、虚栄で、上手に人生を渡ろうとしている。
 皆、虚栄で、自分自身を、ごまかしている。
 真実の信仰には、虚栄はいらない」と。
 ある人間は、学歴という虚栄で失敗し、ある人は、財産という虚栄で身を滅ぼし、またある人は、嘘をついて自分を有利につくりあげ、見せつけようとしながら、敗北している。
 皆、それは虚栄である。
 実像の人間をつくることが、創価学会だ。
 これが、仏法であるからだ。
 誰人にも宿命があり、誰人たりとも、その場で勝ち抜き、幸福になることができる。
 それが、信仰だ。
6  一九八〇年(昭和五十五年)の五月、ちょうど二十年前のことであった。
 第五次訪中を終え、四月の末に長崎に降り立った私は、そのまま、福岡、大阪、名古屋、岐阜と転戦した。
 衣の権威をカサにきた坊主の迫害を、耐え抜いてきた同志と会い、なんとしても励ましたかった。
 五月十二日、岐阜の指導を終えたあと、私は言った。
 「次は、静岡に行こう!
 青年に会おう!
 静岡から、反転攻勢を開始するんだ」
 すぐに、午後七時から緊急の男子部部長会を開催するとの連絡が走った。
 私は、皆より一足先に、会場の静岡文化会館(現・静岡平和会館)に到着した。
 疾風のごとく集い来る青年たちが待ち遠しかった。
 やって来た男子部のリーダーたちは、会館に着いて、初めて私の来訪を知り、驚いたようであった。
 聖教新聞の記者が、ぜひ写真を掲載したいと言ってきた。
 当時は、それさえも戦いであった。聖教に載った私の写真が大きすぎる等々、宗門から、幼稚な、陰険な苦情があったからである。
 私は、凛々しき青年たちと一緒に写真に納まった。
 この一枚の写真で、わが同志を元気づけるのだ!
 それは、激しき権威の宗門との攻防戦のなかでの知恵であった。
 私は、記念撮影に続いて、青年たちと勤行したあと、強く語った。
 「今こそ、信心修行の労苦を忘れるな!」
 「広宣流布に生き抜く『身軽法重』の精神を忘れるな!」
 そして、「社会と職場で勝利者たれ!」と。
 二百畳を超える大広間で、五十人ほどの青年との、ごく短時間の、小さな懇談会であった。
 真剣な語らいのなかから、たった一人でもよい、身命を惜しまず、獅子となって立ち上がる丈夫をつくることを願った。
 一人立つ勇者さえあれば、必ず二陣、三陣と続くことは間違いないからだ。
 御聖訓には、「謀を帷帳の中に回らし勝つことを千里の外に決せし者なり」と仰せになっている。
 学会の会合は、偉大な目的に生き抜く戦士が集う、深遠の場である。
 皆で作戦を練り、励まし合い、そして勇気凛々と、わが法戦場に打って出ていくのだ。
7  記念撮影の翌朝、早くから、静岡の同志が、滔々たる勢いで会館に集ってきた。
 午前十時から、自由参加の勤行会となった。参加者は、実に千七百人に上った。
 私は、偉大なる静岡の同志に訴えた。
 「信心の目的は、一生成仏にある! 永遠に崩れざる巌窟王のごとき、善の不滅の生命を築くことだ。
 ゆえに信心は強盛でなくてはならない。弱い心では、縁に紛動され、苦しみ多き人生となる。
 どうか、確固たる信念と強き信心で、断固として、一日一日を勝ち取り、充実の人生を送っていただきたい!」
 ――あれから二十年の歳月の審判は、厳格に、正と邪、善と悪とを峻別した。
 学会の正義は満天下に輝き、一方、日顕一派の邪悪は世界の笑い物となった。
 ここ二、三十年、その宗門の悪の陰には、常に例の提婆のごとき元弁護士がいたようだ。
 仏法は勝負だ。
 静岡は、見事に勝った!
 私は、正義を知りたる静岡の全同志が、永遠に戦い勝ちゆく雄姿に喝采を送りたい。

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