Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

昔のわが家 大田区の 小さな城

2000.5.15 随筆 新・人間革命3 (池田大作全集第131巻)

前後
1  先日、大田区小林町のわが家について記した。
 すると、多くの読者の方から、「もう少し続きを教えてほしい」という趣旨のお手紙を、数多く頂戴した。
 大切なわが友に、少しでも知っていただければと思い、加齢のために、少々、記憶が違ってはいけないので、妻に尋ねながら、その続きを書かせていただくことにした。
 その妻も、笑いながら、「あなたが年を取った分、私も年を取ったのですから、記憶が途切れるのも同じかも知れませんよ」と言っていた。
2  大田区山王の秀山荘というアパートから、小林町に移ったのは、一九五五年(昭和三十年)の六月十九日であった。
 縁も深き地元の小林町支部の方々は、今も、この日を「支部の日」として、前進の節にしてくださっていると伺った。
 木造で、門も塀もなかったが、会長に就任するので、みっともないからと、簡単なブロック塀と小さな門をつくった。
 部屋は、玄関を入ってすぐの四畳半の仏間と、二つの六畳間との三間しかなく、廊下もなかった。
 あまりにも狭いので、安普請で、廊下を付け、さらに二部屋増やした。
 私の休む部屋と、もう一つは、三人の子供たちの部屋である。
3  子供たちが、小学生のころ、夏休みの研究課題で、小鳥のジュウシマツをつがいで飼って、育てたことがあった。卵を産んで、雛が孵り、皆で大喜びしたことを覚えている。
 ある時は、火鉢を庭に置き、水槽がわりとした。そこに、夜店で買ってきた金魚を入れ、育てていったが、たくさん増え過ぎてしまったこともあった。
 このわが家には、何か魅力があったのか、ガランとしている所へ、ウグイスはじめ、何羽かの鳥が入ってきて、驚いたこともあった。
4  蒲田の駅から自宅まで、妻と二人で帰る時には、二十数分かかった。
 途中で、あまりにおなかがすいて、お好み焼き屋に入ったことを思い出す。
 そこにも、学会員の方がおられた。たまには二人きりでと思っていたのに、招かざる、しかし偉大な同志がお見えになって、結局、こちらが御馳走して差し上げるようになったことも、楽しく、ありがたい思い出である。
5  駅の反対側には、毎週、土曜日になると、夜店が出ていた。
 江戸っ子としては、帰りに妻と一緒に、ちょっと寄ってみることもあった。
 そこに植木屋が出ていて、折鶴蘭を、確か、百八十円で買って帰った。
 その折鶴蘭を楽しみながら、植え替えて殖やし、何百軒と、多くの方々に差し上げたことがある。
 それが、人から人へと広がり、「折鶴蘭の広宣流布だ」と、二人で喜んだことも、付け足させていただきたい。
 四十年前に買った、もとの折鶴蘭は、今でも、わが家にある。
 夜店では、ドラセナの植木も買ってきて、家の庭に、三本、植えた。どんどん伸びて、見上げるほどになってしまった。
 妻が、「家よりも大きくなって、みっともないわ」と言ったけれども、私は、「お題目の力で、威光勢力がついて伸びた。学会が伸びていく証拠だよ」と応えたのである。
6  多くの人が、わが家に出入りしていた。
 ある時、初代鼓笛部長となる方をはじめ、女子部の乙女ら何人かが来宅して、懇談をした。そのなかで、鼓笛隊の結成の話になった。
 当時は、貧乏な、わが家であった。学会も同じである。
 「どうにかして、楽器を買ってあげるから、少々、時間をくれないか」と、私は語った。みな、喜んで帰っていった。
 しばらくたって、幾つかの楽器を買って差し上げた。
 世界一の鼓笛隊の歴史の淵源が、ここにある。
 この小林町には、一九六六年(昭和四十一年)九月十二日、信濃町に引っ越すまで、足かけ十二年、住んだことになる。
7  私は、広宣流布の指揮をとらねばならぬ、運命のその日が来るのを知っていた。
 小さな貧しい、わが家は、第三代の学会の本陣となった。
 わが生命は、広宣流布のために、生き生きと命の脈拍を打ち、数々の激闘を繰り返しながら、燃えたぎる若き血潮となって舞踏していた。
 毎日通ったこの道は、生涯、忘れ得ぬ、思い出の道である。なじみの花咲き、燃え立った生命を歌いながら、歩んだ歴史の道である。
 幾度となく、夜遅く、闇の濃い日々を、疲れ果てて帰ったこの道。しかし、その道は、勝利、勝利、勝利の足跡となって、残っていった。
 絶望という響きは、まったくない。希望のラッパの鳴り響く、調和のとれた道であった。
 太陽が東に昇る時、小鳥は鳴き、朝の響きは新たな生命となっていくなか、私は、この道を通った。
8  まったく質素な、この家は、華やかな大宮殿よりも、さらに美しい、安らぎと思索の邸宅であった。
 このつつましい部屋から、新しい世界が現れていくであろうと、私はいつも思っていた。
 愛の家庭は、微笑みと献身的な妻が、永遠なる勝利への完成の礎の城としてくれた。
9  わが永遠なる人生の師・戸田先生が、「大作の家に行きたいけれども、どうやら、あんまり小さくて、入る所がなさそうだ。
 大作は、お酒を飲まないし、香峰子が、俺の酒を買いにいくのも大変だし、行って迷惑をかけちゃうな。遠慮しようね」と、呵々大笑しながら言われたことが、懐かしく、ありがたく思い出されるのである。
10  全国の創価のお母さま!
 「母の日」、おめでとうございます。
 お体を大切に! お達者で!
  偉大なる
    創価の母は
      偉大なる
    幸福城で
      この世送れや
 五月十四日「母の日」に――

1
1