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日蓮大聖人・池田大作

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「4・2」と広布の誓い 学会は仏意仏勅の組織 正義の獅子のスクラム

2000.4.2 随筆 新・人間革命2 (池田大作全集第130巻)

前後
1  今年も、信濃町の学会本部前の「青年桜」が満開になる季節となった。
 桜を思うころになると、四月二日が巡ってくる。
 人間は、最も深く自身にかかわった、重要な人の死に直面し、その遺体を見つめた時、悲しみ、奮起し、無限の覚悟を決めるものだ。
2  四十二年前の昭和三十三年、あの記念すべき「3・16」の儀式が終わったあとも、戸田先生は総本山の理境坊にあって、指揮をとられてはいたが、お体は一段と衰弱されていった。
 しかし、先生は、主治医として容体を診た、弟子である学会員の医師に言われた。三月の二十六日のことである。
 「私が衰弱していることを家族の者に知らせないでほしい。
 今、ここで、家族の者に知らせても、それは、家族の者が心配するだけで、なんの益にもならないだろう。私には全部わかっているのだから、私が死んだ時に知らせればよい。心配させるだけ無駄なことだ。これが価値論だぞ」
 先生の容体をご家族にお伝えすることができたのは、四日後の三十日のことであった。
 私と理事の和泉覚さんの二人でご自宅に伺い、今後のことを話し合った結果、入院していただくことに決まった。
 先生は、四月一日の午前二時過ぎに暗夜の総本山を発ち、沼津駅から、列車で東京に向かわれた。既に、起きあがれないために、布団に横たわられたままのご移動であった。
 そして、早朝、東京駅に着くと、直ちに駿河台の日大病院に入院された。
 明けて二日。ひとたびは容体が落ち着かれたと聞いて、弟子たちは狂喜したが、午後六時四十五分、学会本部にいた私のもとに、先生が亡くなられたという訃報がご子息から届いた。
 広宣流布の大指導者であられた戸田先生の、五十八年の波瀾万丈のご生涯は、これで幕となる。永久に太陽が沈んだような、その永訣の衝撃は、今なお筆舌に尽くしがたい。
 ただ不思議にも、その瞬間、広宣流布の本陣たる学会本部には、理事室、男女の青年部のリーダーが勢揃いしていた。先生亡きあと、皆が心してゆくべき「団結」の姿が、そこに厳然と現れていたのであった。
3  思えば、先生の一言一句、一挙手一投足は、すべて、弟子に後事を託すための遺言であり、後世への訓練であられた。
 三月二十二日、病床から身を起こした戸田先生を囲んで、最高首脳の会議が行われた。
 生命を振り絞るような、先生の稲妻の言葉が光った。
 「学会の組織は、この戸田の命だ。どこまでも広宣流布のための、清らかな信心の組織であらねばならない。不純な心によって、尊い学会が汚されてなるものか!」
 その峻厳な獅子吼が、皆の胸から離れない。
 「戸田の命より大事な、広宣流布の創価学会の組織」とは、先生の口癖であった。
 戦時中、軍部政府の弾圧によって、初代会長・牧口先生は獄中に亡くなり、幹部は退転し、学会の組織は壊滅した。
 敗戦の年の七月三日、生きて獄門を出た戸田先生は、激しき復讐の念に燃えておられた。それは、師匠を獄死に至らしめ、民衆を塗炭の苦しみに突き落とした、権力の魔性への復讐といってよい。
 本気になって、広宣流布のために戦えば、三障四魔、三類の強敵が競い起こることは必然である。その時に、臆し、恐れ、戦時中の二の舞いになるような弱い学会では、師匠の″仇討ち″はできない!
 たとえ、いかなる大難、迫害があろうとも、絶対に崩されぬ鉄のごとき決意の民衆の軍団をつくる!
 そして死を賭して、毅然と、邪悪と戦い抜く、嵐にも揺るがぬ正義の闘士を、必ずつくってみせる!
 ――これが、死を乗り越えた戸田先生の遠大なる決心であられた。
 民衆がただ集まるだけでは、漠然として、究極の意志と力はわかない。ゆえに、「仏」と「魔」の闘争に勝つことはできない。
 初代・牧口会長が常に教えてこられたのは、「羊千匹よりも獅子一匹」である。
 第二代・戸田会長は、暗く長い未来を見通し、また、遠く何が起こるかわからない彼方を見つめて、一人、また一人と、完全なる弟子を手塩にかけて育て始めた。
 いかなる暗黒の末法のなかにあっても、最大限に生き抜く、最も強き一騎当千の指導者を鍛えられていった。
 御聖訓には「日蓮が一門は師子の吼るなり」、また「日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候」と仰せである。
 わが学会は、御聖訓通りに、多くの陰険なる悪魔たちと戦わねばならぬ、また断じて負けてはならぬ、崇高な使命の、獅子の団結の組織である。
 だからこそ、他の誰人もなしえぬ広宣流布を断行する資格をもつ、仏意仏勅の教団なのである。
4  では、いったい、広宣流布とは何か。
 一次元から見れば、断固として、嫌悪と謀略と策謀の邪悪と戦いながら、仏天の声を知りたる「仏の軍勢」を「前進」させていくことだ。最初から最後まで懸命に戦い抜く「民衆の善のスクラム」を「拡大」していくことだ。
 一九五一年(昭和二十六年)の五月三日、先生は第二代会長に就任すると、七十五万世帯の大折伏の遂行を宣言された。
 当時、学会員はわずか三千人であった。二百五十倍の「拡大」という大目標を聞き、誰もが驚愕し、耳を疑った。
 しかし、先生のご胸中では、七十五万の獅子の陣列は、日本の広宣流布の永遠の基盤をつくるために、絶対に、成し遂げると誓願された目標であった。
 そして、先生のご一念のままに、七年足らずにして、すべての目標を成就されたのだ。
 先生のご逝去から一カ月後、日淳上人は、この「七十五万世帯」の甚深の意義について、こう講演された。
 「その方々(=地涌の菩薩)を会長先生が末法に先達になって呼び出されたのが創価学会であろうと思います。即ち妙法蓮華経の五字七字を七十五万として地上へ呼び出したのが会長先生だと思います」
 七十五万世帯達成は、まさに先生の「出世の本懐」であったと思えてならない。
 しかし、先生は、その生涯の願業の成就さえも、一つの通過点にすぎないかのように、瞬時も立ち止まらず、一心に未来を見つめておられた。
 この世から「悲惨」の二字をなくすことが、わが師の念願であった。
 「一閻浮提広宣流布」――すなわち全人類の「幸福」と「平和」が、仏の御命令であるからだ。
 逝去の前年(一九五七年=昭和三十二年)の十二月、先生は七十五万世帯達成を前に、次の戦いの目標として、「次は二百万世帯だ!」と言われた。
 そのご構想は、年が明けて、最後のお誕生日の前日には、さらに、大きく広がっていた。
 「大作、あと七年で、三百万世帯までやれるか?」
 私は即座にお答えした。
 「はい、成就いたします。ますます勇気がわきます!」
 先生は笑みを浮かべて、言われた。
 「一千万の人が信心する時代がきたら、すごいことになるぞ。楽しみだな……」
 また三月のある日、先生は、メキシコに行った夢を見たと、嬉しそうであった。そして、私に言われた。
 「大作、世界が相手だ。世界へ征くんだ」と。
 私は、師匠の遺言の通りに、第三代会長として世界広宣流布の扉を開き、一九六二年(昭和三十七年)の十一月には、三百万世帯を堂々と達成した。
 さらに、その瞬間から、新たな勝利と栄光の大陸をめざして立ち上がった。
 「さあ六百万世帯へ!」
 この偉大なる拡大の戦いも、四年後の昭和四十一年に、悠然と成し遂げた。
5  戦いは勝てば嬉しい。負ければみじめである。戦うからには、断じて勝たねばならない。
 一つの戦いの成就は、新たな闘争への出発である。
 戸田先生は折伏の師であり、大将軍であられた。ゆえに先生の弟子もまた、広宣流布の闘士として立たねばならない。
 私は、その決意で、ありとあらゆる三類の強敵の嵐に耐え、未曾有の創価の勝利の栄冠を勝ち取ってきた。
 日蓮大聖人が、三世十方の仏菩薩が賞賛してくださる。
 戸田先生が、にっこりと微笑んで、喜んでくださる。
 私は、それだけで幸福だ。
 ともあれ、広宣流布の戦野は広大無辺である。世界が我らを待っている。未来の人類が我らを待っている。
 さあ勇敢なる創価の同志よ、いざや進もう! 新たなスクラムを組みながら、無敵の獅子の布陣を整えながら、正義が栄える二十一世紀へ!

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