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日蓮大聖人・池田大作

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創価の戴冠式「3・16」 青年よ 21世紀の大舞台で舞え!

2000.3.16 随筆 新・人間革命2 (池田大作全集第130巻)

前後
1  私は、身動ぎもせず、未来を見つめていた。
 しかし、わが人生の師たる戸田城聖先生の衰弱の姿を見て、過去からの憂愁と危惧が破裂したように、計り知れぬ激痛が私の心のなかに走った。
 この輝かしい春の日に、なぜか私には、雲が低く降りてきて、心が沈み、最小光度の光しか感じられなかった。
2  その日は晴天であった。四十二年前(一九五八年=昭和三十三年)の三月十六日。
 あの日、白雪に光る富士の山を共々に仰ぎ見ながら、喜々として、信仰と信念と情熱に燃える、戸田城聖の若き弟子たち六千名は、堂々と集い来た。総本山大講堂前の広場である。
 わき起こる新しき波のごとく、賑やかであった。皆、生き生きとしていた。
 未来に向かって、若き英雄たちは、求道者らしく、また戦う戦士らしく立ち上がった。その凛々しき顔には、尊い使命を、わが青春の花とした、あまりにも雄々しく、高貴な薫りが漂っていた。
 微笑しながら、肩を組む同志の間には、なんの心の距離もなかった。
 何ものをもってきても、この師弟不二の心と、生死を共にしゆく同志の心を、絶対に引き裂くことはできなかった。
3  先生が創価学会第二代会長に就任されてより、激戦を続けて六年十カ月のことである。
 生涯の願業である七十五万世帯の大折伏を完遂した師は、もはや今世の終幕の近いことを自覚されていた。
 「3・16」の大儀式で、生命の最後の炎を燃やして、先生が教えられたのは、広宣流布に生き抜く闘魂であった。
 それは、師から真正の弟子へ、後継の若獅子たちへ、広布遂行の印綬を手渡す魂の儀式であった。
4  三月の上旬、時の総理大臣の参詣が十六日と決まった時、戸田先生は、私に言われた。
 「将来のために広宣流布の模擬試験、予行演習となる式典をしておこうではないか!」
 先生は「大梵天王・帝釈等も来下して……」と御聖訓に仰せの、広宣流布の一つの姿を、青年に教えておきたいとのお心であった。
 梵天・帝釈等の諸天善神の働きをする社会の指導者たちが、やがて御本尊に帰依する日がくることを、儀式として示そうとされたのである。
 それは、「仏法の人間主義」に共鳴して、世界中の指導者が集い、友情を結び、人類の平和と幸福の実現を誓い合う姿と見ることもできる。
 今や、全世界から、国家や民族の違いを超え、政治、経済、教育、文化など、あらゆる分野の指導者が、我らSGIの理念と行動に、絶大なる共感と賛同をもって、仏意の創価学会を永遠に顕彰するために訪れてくださる。
 誉れある、その一つ一つの儀式は、あの「3・16」の儀式の、精神の継承といってよいだろう。
5  先生のお体は、既に、歩くこともおぼつかない状態であった。しかし、先生は「断じて私が指揮をとる!」と、何度も言われていた。
 私は、同志に頼んで車駕を作ってもらった。『三国志』で、病篤き諸葛孔明が、四輪の車に乗って指揮をとった故事にならったのである。
 だが、完成した車駕をご覧になった先生は厳しかった。
 「大きすぎる。戦闘の役に立たない!」
 体は動かずとも、先生のお心は″常在戦場″であった。剣と剣が火花を散らす戦野を駆けておられた。
 そして、生命の燃え尽きる瞬間まで、後世のために、全魂を注いで、私を訓練してくださった稀有の師であった。
6  車駕は、幾百、幾千の青年たちの人波のなかを、ゆっくりと進んでいった。
 「先生だ、戸田先生だ!」
 青年たちの喜びが広がっていった。最後の最後まで、青年を愛された先生であった。
 数日後のある日、先生はこうおっしゃった。
 「大作、丈夫になったら、あの車駕に乗って、全国の指導にあたろう!」と。
 先生は、弟子の真心を、すべてわかってくださっていた。
7  出席するはずだった、来賓であるべき総理大臣は来なかった。しかし、先生は、未来を頼む青年さえいれば、それでよいとの決心であられた。
 そして、主賓のいない広場を埋めた、無数の若き弟子たちに向かって、「創価学会は、宗教界の王者である!」と、烈々と大師子吼された。
 まさに「3・16」は、青年の頭上に「王者の宝冠」を載せ、「王者の剣」を託された、戴冠式であった。この深き意義を、我ら弟子は決して忘れてはならない。
 私は、今、わが弟子である全青年部員の、広布に戦う尊き一人ひとりの頭に宝冠を捧げたい心境である。
 ともあれ、戦いに勝ってこそ、栄えある後継の冠を受ける資格がある。
 そのために大事なことは、第一に、生涯にわたって、仏勅のわが学会と共に生き抜いていくことだ。
 生涯、わが使命を貫き、信念の大道を堂々と走り抜いた人には、なんの悔いもない。
 古代中国の歴史家・司馬遷が叫んだごとく、「万ずりくせ被ると雖ども、豈に悔い有らんや」(「任少卿にかえす手紙」内田道夫訳、『中国散文集』〈『世界文学大系』72〉所収、筑摩書房)――必ず殺されようとも、どうして後悔などしようか――である。
 第二に、広宣流布の全責任を担って立つことである。
 「学会のなかに自分がある」のではない。「自分のなかに学会がある」という、主体者の自覚が大事なのである。
 青春時代より、私も、そうしてきた。たとえ、役職が最前線の一幹部であっても、学会のことは全部、わが課題であるととらえ、どうすれば一番、広宣流布が進むのかを悩み、考え、祈った。
 また、戸田先生ならどうされるだろうか、どうお考えになるだろうかと、広宣流布の大将軍である先生のお立場に立って、万事に対処していった。それが、勇気ある広宣流布の王者の道である。
8  「3・16」の儀式の司会は、私であった。
 六千人の若き弟子たちは、戸田先生の師子吼を聞いて、ただただ喜んでいた。
 先生の挨拶が終わると、学会歌の合唱のなかに式典は幕を閉じた。
 この日、なぜか、私の心には、先生のお姿が、消えゆく炎のように映り、灰色の、悲しげなわびしさを拭うことができなかった。
 これが師の人生の最後の旅となることが、惻々と、私の胸に迫った。
 あの命の壮んであった時代の、師弟の歓喜の闘争も、すばらしき法悦も、今や、有終の陽光を浴びた、彼方の残照のように思えてならなかった。私は、一人、孤独な獅子の道を決意した。
9  今から百年前のローマを舞台にした革命小説『永遠の都』。
 そのなかで主人公デイビッド・ロッシィは叫ぶ。
 「真実に生きようとすれば、だれかが殉教者になることを求められるものです。正義と人間性のために一命をささげるのなら(中略)――それは願ってもないりっぱな義務であり、ひとつの特権でさえあるのです! ぼくには、すでに覚悟ができています」(新庄哲夫訳、潮文庫)
 これは、若き日より、私が胸に刻んできた信念である。
10  二十一世紀の全責任を担う、わが生命の宝である青年よ!
 私と共に立ち上がれ! たった一人でも、獅子となって立ち上がれ!
 君のいるその場所、この瞬間から、決然と立ち上がれ!
 あの地に一つ、また、この地に一つと、民衆の勝利の旗を打ち立てていくのだ。
 「永遠の創価の都」は、君の戦う熱き胸から生まれる。

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