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日蓮大聖人・池田大作

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黒潮躍る和歌山の城 建設は死闘 熱き命の勝利舞

2000.3.2 随筆 新・人間革命2 (池田大作全集第130巻)

前後
1  秋から冬へ、そしてまた、冬から春へ、流れゆく季節の雲を貫き、永遠の太陽は惜しみなく輝いていた。
 わが生命の不思議な魂の火もまた、過ぎ去った歳月の影にとらわれることなく、無数の歓喜をもって、私たちに新たな世紀を見つめさせる。
 今日も進歩だ。世界は立ち止まることなく前進する。
 我々も、人間としての進歩と栄光のための前進を誓いたい。
 イギリスの詩人ブラウニングは歌った。
 「いっしょに年をとろう!
 最上のものはまだ先にある。
 人生の最後、そのためにこそ最初は作られた」(ピーター・ミルワード『英語の名句・名言』別宮貞徳訳、講談社)
 それは、一九六九年(昭和四十四年)の「建設の年」のことであった。
 新しき幸福と平和の道、正義の大道を開こうと、目覚めた民衆は立ち上がった。
2  建設は死闘なり! 私は、年頭から、西へ、東へと、休む間もなく、日本中を全速力で走り続けた。
 それこそ、東北から帰ったかと思うと、今日は中部、明日は関西、その翌日は九州――といった強行軍の連続で、全国の二十五都道府県と返還前の沖縄を巡ったころ、季節は冬になっていた。
 学会は、ぐんぐんと勢いを増した。破竹の進軍であった。
 しかし、会長就任から十周年を前に、このころほど、私の体調の悪い時もなかった。
 十二月。この年、七度目となる関西に向かう直前に、私は妻と息子たちに言った。
 「私の体は、もう、だめかもしれない。ひょっとしたら途中で入院したり、倒れるようなことがあるかもしれない」
 「しかし、同志が私を待っているんだ。会長として、皆の気持ちを踏みにじるわけには断じていかない。だから、私は行ってくるよ」
3  関西入りした二十日、大阪での大会を終えた私は、四〇度を超える熱があった。
 同行の幹部の連絡で、急きょ妻も駆けつけていた。
 ″急性肺炎″であった。しかし、翌日には和歌山の県幹部会が予定されていた。
 医師に来てもらい、注射を何本も打った。
 妻はまんじりともせず、夜を明かしたようだ。
 二十一日のお昼近く、熱は、かろうじて三七度八分に下がった。私は断固として言った。
 「行けるね、和歌山に!」
4  御聖訓にいわく。
 「命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也
 広宣流布のために捧げた生命である。同志のために捧げた生命である。同行の幹部は、和歌山行きを止めたが、私の心は決まっていた。
 「汝は高きこころ誠の信仰
 そは一つなる神性万象滅すとも揺ぐことなし」(速水敬二『ヘーゲルの修行遍歴時代』〈筑摩書房〉の中で紹介されている詩〈『エレシウス』〉の一節)
 ――大哲学者ヘーゲルの若き日の信念のごとくに揺るぎなく、私も生き抜きたい。
5  悪寒は続き、咳と痰は止まらなかった。胸も苦しかった。
 自分ではないような重たい体を列車の座席に沈め、和歌山に向かった。
 会場は、県立体育館である。
 午後五時二十分ごろ、私が入場すると、一万人の広宣流布の闘士の、熱湯のような熱気と、大鐘のような拍手に、会場は戦艦のように揺れた。
 ああ、なんと健気なる和歌山の同志か!
 友よ、断固、共に戦おう!
 友よ、断じて負けるな!
 私は、御書を拝して励ましを贈った。民衆を「王」とする、栄光不滅の革命に生き抜くことを訴えた。
 そして、拍手のなか、友の求めに応じて、学会歌の指揮を、元気にとった。
 それは、私と和歌山の戦友の、雄々しき常勝への出陣の舞となった。
 永遠に、共に戦い、共に勝ちゆく、創価の師弟の誓いの指揮となった。
 「和歌山は必ず勝ちます!」
 大会終了後の夜、初代支部長・婦人部長であった長田嘉一さん・光子さん夫妻が、真剣な瞳で語った姿は、決して忘れることができない。
  和歌山の
    友に魂
      とどめむと
    熱き生命の
      舞の歴史は
 この日、私が詠んだこの一首を、妻がそっと手帳に書き残しておいてくれた。
6  以来――和歌山は、堂々たる「常勝の城」を築き上げてきた。
 私が会長を辞めた前後、和歌山でも、民衆蔑視の本性を現した魔性の坊主たちが学会員を苛め、苦しめ抜いた。皆様の悔しさ、怒りの涙を見た私の闘争の心は、炎と化した。
 大聖人は仰せである。
 「いかに強敵重なるとも・ゆめゆめ退する心なかれ恐るる心なかれ」と。
 また、「悪侶を誡めずんばあに善事を成さんや」と。
 荒れ狂う三障四魔の激流を受けながら、県長を中心に、和歌山のわが同志は、仏意仏勅の尊き創価の大城を厳護していったのであった。
7  嵐と怒涛を切り抜け、暗雲を破り、学会創立五十五周年にあたる一九八五年(昭和六十年)の四月には、晴れ晴れと、あの日、あの時と同じ県立体育館で、勝ち誇った顔も明るく賑やかに、和歌山の青年平和文化祭が開かれた。
 私が舞ったその場所で、今度は、凛々しき後継の若武者たちが雄渾なる乱舞、そして、学会歌の大合唱をしてくれたのであった。
 若々しく空に伸びゆく青年の姿が、私は何よりも嬉しい。
 君の心の中に、あなたの心の中に、不滅の勝利の舞が、輝いているからだ。
 あの時、私は、「城良し人良し青年良し」と贈ったが、今や、新世紀の和歌山の正義の大城は盤石なりと、厳然と断言しておきたい。
8  本年は、私の会長就任と同じ日に誕生した、和歌山支部の結成四十周年である。
 早くも、和歌山の同志は、五年後の二〇〇五年の五月三日をめざし、二百支部、七百五十地区という壮大な平和と正義の布陣を構築していこうと、威風堂々、勇舞の前進を開始した。
 晴れ渡る朝、友と歩んだ南紀・白浜海岸――。幾度、私は、金波、銀波がきらめく水平線の彼方に、広宣流布の栄光を見つめたことだろう。
 和歌山は、私の胸に光り続ける、憧れの世界だ。
 美しき紀の国・和歌山!
 「木の国」の名のごとく、わが同志の心には、不動の信念の大樹がそびえる。
 黒潮躍る光の国・和歌山!
 恐れなき同志は、青き太平洋のごとく、悠然と、勇気と希望の大波を広げる。
 私は、そんな和歌山の輝ける天地を愛する!

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