Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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マカオの新時代 信頼の橋 友情の花で心を結べ

2000.2.19 随筆 新・人間革命2 (池田大作全集第130巻)

前後
1  思い出深き山々と、懐かしき道々と、別れを告げる。
 古き時代の岸壁を離れ、新しき時代の偉大な天地をめざして、私たちは船出する。
 わが愛する美しき国に、生命力あふるる、不思議にして新たな「二十一世紀のマカオ」の力が輝き広がることを、私は信じたい。
2  いかなる時代に変わろうと、いかなる社会に変動されようと、私というものは、変わらない。金剛不壊の人生を歩む。
 日本のように、いかに島国根性の世間が嘲笑っても、どんな悲しみに狂った世相であっても、そして、幾たびとなく引き裂こうとする、残忍な権力に対しても――。
 私たちは、満ち足りた、不可思議な力をもっている。
 私たちには、偉大なる永久不滅の目標がある。
 私たちは、楽しき遊楽の休息の場所を知っている。
 私たちの旅は、いかなる障害の嵐があろうとも、限りなく楽しい。
 いつでも、自身の生活を、よき方向へ前進させゆく智慧と使命を知っているからだ。
 私たちには、いつも無数の歓喜をもって、大いなる交響楽に包まれた、妙なる生命力の太陽が昇る。
 幸福、そして平和が、常に私たちを差し招いて、いつもキラキラと輝きて、決して消えることはない。
 私は見た――
 声高らかに笑いながら、大勝利の挨拶を交わしている尊き同志たちを。
 私は見た――
 いかなる苦悩にも打ち勝って、悠々たる信念の王者の雄姿を。
 君よ、頭を上げよ!
 君よ、胸を張れ!
 君の前には、希望と栄光と、無限の世界の宝が、輝き待っている。
3  私の生命には、私しか知らぬ栄光の調べがある。
 私たちの胸中には、私と、ただ私の心だけが知っている、永遠の生命の歓びの鼓動が高鳴っている。
 その歓喜で結ばれた、「異体同心」の友の連帯の強さよ!
 私は、私の宿命にも、労苦にも負けないし、むしろ、喜びとしている。
 誰が何と言おうが、誰が不幸の風を吹かせようが、私と私の心だけは、厳然と巌のごとく動じない。
4  宗教といっても、人間がつくったものである。
 人間が、人間として向上し、幸福になるための法則を、ある時は見いだし、ある時は体系化してつくった、時代の心の精華である。
 どこまでも、人間のために宗教がある。
 ゆえに、人間と人間が近しくなり、人間と人間が友人となり、そのうえで、宗教の善悪浅深を語り合うことが正しい。
 宗教という鎧を着し、ドグマ、独善を先行させて、人間が争い対立し、複雑な葛藤や紛争をもたらすことは、最も愚かである。
 戸田先生は――
 「大聖人をはじめ、釈尊、キリスト、マホメット、マルクス等の巨人が集まって、トップ会談をすれば、大きい慈愛の心の語り合いは、譲り合い、尊重し合い、反省し合うであろう。
 そして根本的目的である、人類の恒久の幸福に向かって、戦争・暴力・紛争を、断じて食い止め、人間の真の平和と真の繁栄の目標へと、完全な一致を見いだすことに、必ずや結論するであろう」と述べておられた。
5  一九九九年の十二月二十日の午前零時――長らくポルトガル統治下にあったマカオが、祖国・中国に返還された。
 この中国復帰によって、アジアに存在していた西欧諸国の植民地は、一切、消滅した。
 九七年にイギリスから中国に復帰した香港に続き、今回のマカオ返還が、全く平和裏に行われたことは、偉大なる壮挙といえよう。
 返還の祝賀行事には、マカオSGIも参加し、青年部が市民パレードに出場した。
 「芸術祭」出演や「『水滸伝』人物展」の開催なども、各界の絶賛を受けている。
 また、慶祝の一環である「中国京劇団」公演では、ぜひにと要請されて、マカオSGIが招聘元となったのである。
 さらに日本のテレビ・ラジオの報道のなかで、マカオ大学の専任講師を務める関西創価学園・創価大学出身の若き友が、マカオの将来像を堂々と論ずる姿も、私は嬉しく拝見した。
6  香港から船に乗り、海原を西に向かって約一時間。
 私が、初めてマカオを訪れたのは、忘れもしない一九九一年の一月三十日であった。
 マカオは、半島部と島部を合わせても、約二十平方キロメートルの広さ。人口は四十数万人である。街を歩けば、たいてい知った顔に出会うという。
 しかし、小さくとも住む人の心は大きい。広々と世界を呼吸しゆく懐の深さがある。
 私は、マカオは「東洋のアテネ」であると語ってきた。
 都市国家アテネが古代世界をリードしたごとく、「対話と共生の二十一世紀」には、必ずやマカオが珠玉の輝きを放っていくにちがいない。
7  ――マカオの広宣流布の一粒種は、初代地区部長の志賀尚子さん(故人)である。
 三十数年前、御本尊を抱き締め、あとは鍋だけもって、マカオに渡られたという。
 右も左もわからない新天地で、ただ懸命に、友の幸せのために奔走した。
 マカオに待望の地区が誕生したのは、一九七八年であった。
 さらに、私が初訪問した直後の、九一年の四月に支部へ、九五年には本部へと、大発展していく。
 わが友は、広宣流布という尊き使命に燃えて、地道に、堅実に、そして誠実に「信頼の橋」をかけ、「友情の花」を広げてこられたのだ。
 仏法では、最高の人間主義の指導者を「大橋梁」に譬える。いわば、仏法者とは、「橋をかける人」である。人と人との間に垣根をつくらず、「人間の心を結ぶ人」なのである。
 たとえば、李莱徳り らいとく(レイ・ロイタッ)理事長は、マカオを代表する実業家であり、人びとからの信用も絶大である。総合婦人部長の梁楊玉芙りょうようぎょくふ(リョンヨン・ヨッフ)さんも、事業で実証を示し、マカオの婦女連合会の顧問などの要職を歴任してこられた。
 厳しき現実のなかで、法のため、社会のために格闘しゆく姿は、まさに、法華経に「如蓮華在水」と説かれる通りの仏法即社会の英姿である。私は、両手をあげて喝采を送りたい。
 蓮華といえば、マカオは、古来、「蓮花島」「蓮花洲」と呼ばれてきた。新しいマカオのエンブレム(紋章)も「蓮の花」を象っている。
 先日、マカオの二十一世紀の若き指導者・何厚■か こうか<金へんに華>(ホ・ハウワ)初代行政長官を、私の名代として長男が表敬した。
 その席上、世界中の蓮の花を集める画期的な展示会が、本年、マカオで予定されていることも、話題になったという。
8  東西融合の天地・マカオにゆかりの、ポルトガルの大詩人カモンイスは、歌った。
 「すでに船は用意されている。いかなる恐怖も青春の意気をはばまない」(『ウズ・ルジアダス』小林英夫・池上岺夫・岡村多希子訳、岩波書店)
 わが愛するマカオの友よ!
 出発しよう、新しき千年の大海原へ!
 マカオの希望の船の、誇り高き航海者として、民衆の心と心を結ぶ、大いなる旅へ!

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