Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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恩師の獄中闘争 創価の原点 広宣流布

2000.2.11 随筆 新・人間革命2 (池田大作全集第130巻)

前後
1  ジョン・F・ケネディは、演説した。
 「やるべきことをやりきるのだ。それが、自分にどのような結果をもたらそうとも、また、いかなる障害や圧力があろうとも。これこそ、人間の道徳の基本である」(″Profiles in Courage,″ Harper & Brothers : Publishers : New York)
2  巡り来た、この二月十一日は、我らの人生の師匠・戸田城聖先生の生誕百周年の佳節である。
 尊敬し、お仕えしゆく師匠をもった人生ほど、誇り高きものはない。
 私も、また同じであった。
 「師弟不二の道」にしか、生気に充ち充ちた青春はない。
 私の人生は、戸田先生を父とも慕い、肺腑をえぐる峻厳な、仏法の師弟の道を生き抜いてこられたことが、最高唯一の誉れであった。
 私は、先生と共に生き、先生の正義を全世界に宣揚するために戦ってきた。
 これこそ、私の一生であり、人生の目的である。
3  出獄後、学会を再建しゆく先生の周りには、常に硝煙に包まれて朦朧とするかのような、激しき戦場が展開していた。
 来る日も、来る日も、勝負のつかない戦場で、地面に倒れては立ち上がるがごとき、毎日であった。
 戦後の厳しい社会情勢、また、経済闘争から、逃げるわけにはいかない。身を退くこともできない。
 当時の先生の切なる願望は、何があっても、泣き崩れずに、戦い、創価の未来を切り開いていくことしかなかった。
4  私たちが悲願とするものは、ただ、ただ、広宣流布である。
 そのために、我らは臆せず、動ぜず、忍耐強く、来るべき「時」を創りゆくことだ。
 その第一歩として、「信心即生活」「仏法即社会」の行動を貫くことだ。現実の生活の勝利なくして、広宣流布の前進はありえないからだ。
5  一九四三年(昭和十八年)の七月六日(火曜日)。
 偉大なる弟子・戸田先生は、偉大なる師匠・牧口先生と共に、陰険なる権力と戦い、信教の自由を守って逮捕された。
 傲慢な軍国主義の日本が、本来、最大に親しくしていくべき、平和を愛するアジアの国々を、奴隷のごとく軽蔑し、侵略していた、暗き時代である。
 先生は、折に触れ、ご自身の獄中生活を語ってくださった。
 シラミとの共同生活。目をつぶって、一気に掻き込んだ″臭い飯″……先生一流のユーモアで包み、「普通なら一週間だってもたないよ」と。
 「私は二年間、牢に入れられた。苦しかったが、今、考えてみれば、随分と得をしている。
 この二年間の、暗い、苦しい牢獄の生活がなかったならば、大仏法を会得することはできなかった。人生最高にして崇高なる目的に生きることはできなかった」
 地獄即宝処である。この世に耐えられぬ苦難はない。これが仏法の力である。
6  先生の入獄は、具体的には、多くの人びとを折伏し、神札を廃棄させたことが、「治安維持法違反」と「不敬罪」に問われたものであった。
 たとえば、逮捕の五カ月前、現在の学会本部がある、信濃町にも折伏に来られていたことが明確に記録に残っている。
 先生は、牢獄の中にあっても、取り調べの検事や、看守に対し、堂々と、仏法を語り、折伏されたのであった。
 当時、看守をしていた人の証言を伺った。
 ――見回りで、戸田先生の独房の前を通ると、常に朗々と唱題の声が聞こえてくる。
 中を覗くと、端座した先生が、牛乳瓶の蓋で作った念珠をもち、題目を唱えている。その前の小机には、一冊の本が置かれていた、と語っていた。
 ある日、その看守は、独房の扉を開けて、戸田先生に話しかけた。
 「私も、題目を唱えたことがあるんですよ」
 「何の題目ですか」
 「鬼子母神に南無妙法蓮華経と唱えるのです」
 「君、それは間違いだよ。この題目はすごい力があるんだ。僕の題目が本当の題目だ。君の信心は、大きな間違いだよ」
 この方は、出獄後の戸田先生とは、直接、言葉を交わす機会はなかったが、仏縁であろう、一九五六年(昭和三十一年)に入会しておられる。
7  ところで、戸田先生は、獄中で、法華経を繰り返し読み、その真髄を知覚せんと、懸命なる唱題を重ねておられた。
 看守が目にした「一冊の本」――それは、法華経の経典であった。
 いうまでもなく、この法華経への二度、三度の探究、さらに四度、五度と重ね抜いた格闘が、ついに、先生の″獄中の悟達″につながっていったのであった。
 法華経の開経である「無量義経」に表れる、「其の身は有に非ず亦無に非ず、因に非ず縁に非ず……」という難解な文。
 三十四回も″非ず″を繰り返して表現しようとされた「其の身」、すなわち「仏の身」とは何か。否定形を幾つ重ねても、それでもなお、厳として存在する実在とは一体、何か。
 戸田先生は、その思索の果てに、豁然と、「仏とは生命なり」と覚知されたのである。
 一九四四年(昭和十九年)の早春のことである。
 それは、仏法を現代に蘇らせた一瞬であった。
 これまで、多くの人たちは、「仏は別世界の実在」と思ってきたのである。
 しかし、本来、日蓮大聖人は、御書のなかで、「あなた自身が仏である」、また「一切衆生が妙法の当体である」と、繰り返し、教えておられた。
 「生命」という、この一語を鍵として、法華経の真髄が民衆に理解され、そしてまた、民衆に大きく開かれていった。難解な厚い壁の仏法の扉が、広々と庶民に開放された瞬間である。
8  さらに、同じ年の、秋霜の十一月中旬のことである。
 先生は、法華経の広宣流布を誓って大地から出現した、六万恒河沙の「地涌の菩薩」の会座に、我らも厳然と連なっていたと自覚される。
 そして、「わが生涯の使命は、広宣流布にあり!」と奮い立たれた。
9  まさにそのころ、牧口先生は獄中にて、尊き生涯を閉じる。「学会創立の日」と同じ十一月十八日である。
 その死を、戸田先生が知らされたのは、翌年の一月八日のことであった。
 「誰が師匠を殺したのか!」
 先生は、慟哭と憤怒の血涙のなかで、真の弟子として師匠の″仇討ち″をと、殉教の決意をされた。
 師を獄死させた日本の、敗戦直前の七月三日。先生は痩せ細った、疲れ果てた姿で、獄門を出られた。
 しかし、正義の巌窟王・戸田先生は、鉄の鎖を断ち切って、創価の炎の剣と炎の魂を、高く掲げて立ち上がった。
 先生の偉大なる信念は、今や全世界に轟き、人びとの賞賛の声が高らかに鳴り始めた。
10  戸田先生ご生誕百周年 二月十一日を記念して 沖縄にて

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