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日蓮大聖人・池田大作

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「SGI」の出発 全世界へ 平和と和楽の旅路を

2000.1.25 随筆 新・人間革命2 (池田大作全集第130巻)

前後
1  ガンジスの大河も、一滴から始まる。
 永遠なる平和の旅路も、一歩から始まる。
 勇気をもって、一歩を踏み出すことだ!
 そして、断固として、歩み続けることだ!
2  それは、太平洋の珠玉の島で行われた集いであった。
 そこには、大統領や大臣などの政治家も、富豪も、学者も、いなかった。テレビ局などマスコミ各社の報道陣の姿があったわけでもなかった。
 そこに集ったのは、皆、無冠の民衆の代表であった。
 しかし、世界平和と仏法流布の使命を、生涯の宝冠と決めた偉大な先駆者たちであった。
 一九七五年(昭和五十年)の一月二十六日――この日、青き珊瑚の海に浮かぶ、美しき花と緑のグアムで、「SGI(創価学会インタナショナル)」が発足したのである。
3  私が、アメリカ各地を回り、ハワイからグアムに入ったのは二日前であった。
 二十五日の夕刻には、島の南西部のリサール・ビーチで、友好の前夜祭が行われた。フィリピンの英雄ホセ・リサールの名を冠した浜である。
 席上、グアム政庁のボダーリョ知事から、先住民であるチャモロ族の伝統の衣装を贈られたことも忘れられない。
 今は平和な、この浜辺の近くは、太平洋戦争における日米の激戦地の一つであった。
 真珠湾攻撃の直後、グアム島は日本軍に占領された。だが、一九四四年(昭和十九年)七月下旬から三週間に及ぶ猛攻撃で、米軍が奪還したのである。
 この戦闘で、米兵千四百人、日本兵二万人が犠牲となった。
 また、一般の島民は塗炭の苦しみを強いられ、多くの方々が亡くなった。島内には、今も日本軍の大砲等の残骸が散在している。
 「戦争」から「平和」へ!
 「憎悪」から「友情」へ!
 「対立」から「調和」へ!
 私たちは、この新たな歴史の出発にふさわしい舞台として、グアムを選んだのであった。
 「世界平和の日」――ボダーリョ知事は、一月二十六日を、こう宣言してくださった。
4  当時は、厳しき「米ソ冷戦」「中ソ対立」の時代であった。
 そのなかで私は、前年の六月と十二月に中国へ、九月にソ連へ、年が明けてアメリカへと、東奔西走していた。
 中国では周恩来総理、ソ連ではコスイギン首相、アメリカではキッシンジャー国務長官など、多くの要人にお会いし、さらに国連本部も訪れた。
 しかし、「なぜ、宗教否定の国に行くのか」等々、とめどない無理解の非難・中傷の嵐が、内外から吹き荒れた。
 すべて覚悟のうえであった。
 「そこに人間がいるかぎり、どこにでも行く!」と、国家の壁、体制の壁を超えて、平和と友情の種子を植えに走った。
 ただ「対話」をもって、ただ「信義」の心をもって、分断の世界を結びたかった。
 周総理は、私に言われた。
 「二十世紀の最後の二十五年間は大事な時です」
 その言葉はまた、確かな平和の流れを創るために、私が深く心に期すところともなった。
5  思えば、二十世紀の百年間を振り返ると、学会は、ほぼ「四半世紀」ごとに、大きな節目を刻んでいるともいえる。
 初代会長牧口常三郎先生が、大著『人生地理学』を発刊されたのは、二十世紀の開幕から間もない一九〇三年(明治三十六年)のことであった。
 この時、既に先生は、「一世界民」の自覚をもって、「世界万国を隣家」として交流しゆくことを訴えておられる。
 それから四半世紀を経た一九三〇年(昭和五年)の十一月十八日、牧口先生と戸田城聖先生の師弟の手で、創価教育学会が呱々の声をあげた。
 さらに、戸田先生が第二代会長に就任し、広宣流布の大闘争を叫ばれた一九五一年(昭和二十六年)は、まさに、二十世紀の折り返し地点の年であった。
 それから、さらに四半世紀を重ねて、遂に「SGI」誕生の瞬間を迎えたのである。
 一九六〇年(昭和三十五年)に第三代会長に就任した私が、「世界へ征くんだ」との師の遺言を実現するために、初の海外訪問に飛翔して、満十五年になろうとしていた。
6  一月二十六日、「SGI」の発足式となる第一回「世界平和会議」の会場は、国際貿易センター(ITC)であった。
 グアムの商業の中心地タムニングにあり、空港にほど近い、白亜のビルである。
 開会前、私は、九階の会場の入り口で、大きな署名簿にサインを求められた。
 私は、一ページ目に、サインペンで名前を書き、国籍の欄に「世界」とつづった。
 わが心に去来したのは、恩師の「地球民族主義」の構想であった。世界の同志のために人生を捧げようと決めた、私の率直な真情であった。
7  「世界広宣流布」は、日蓮大聖人の御遺命である。
 それは――人類の平和のための戦いである。人間の幸福のための戦いである。正義と人権のための戦いである。
 二十五年前のあの日、崇高な使命の星を抱いて集った創価の戦士は、五十一カ国・地域の代表であった。
 今やSGIの同志は、岩盤に爪を立てての、地道にして勇敢なる慈悲の行動によりて、百四十八カ国・地域、まさに全地球を舞台に乱舞するに至った。
 仏法史上に永遠に輝き続けるであろう、未曾有の大偉業であると断言しておきたい。
 あの時、無念にも参加できなかった韓国も、模範の大発展を遂げた。本当に嬉しい。
 私は、地球上のあの地、この地で、広宣流布のために献身してくださる尊き皆様に、日々、ご健康とご長寿とご多幸を祈りに祈っている。
8  あの日、私は同志に語った。
 「地平線の彼方に、大聖人の仏法の太陽が昇り始めました。
 皆さん方はどうか、自分自身が花を咲かせようという気持ちでなくして、全世界に平和という妙法の種をまいて、その尊い一生を終わってください。私もそうします」
 今、創価の太陽は、赫々と、新世紀の大空に昇る。「仏法の人間主義」の光を求める世界の声は、いやまして高い。
 時は来た! 愛するSGIの同志よ! 「第三の千年」へ、朗らかに、威風堂々と、勇気と希望の旅を続けよう!

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