Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

ある日恩師と共に 戦え青年よ 君の人生に勝て!

2000.1.15 随筆 新・人間革命2 (池田大作全集第130巻)

前後
1  懐かしき戸田先生との対話の光景が、幾度となく、わが心に浮かんでくる。
 先生の事業が苦境に陥っていたころのことである。
 ある日、西神田の旧学会本部の近くにあった外食券の食堂で、先生と昼食をとりながら、語り合ったことを思い出す。
 外食券というのは、戦中・戦後の米の統制下に、外食する人のために、役所で交付された食券である。
 当時、御飯類は、この外食券が使える食堂でないと食べられなかった。
2  その折、先生は言われた。
 「人生、最後の勝利が、真の勝利だよ。
 大作、青春時代の勝敗は、決定的なものではない。
 最後の最後の、人生究極の勝利のための訓練にすぎない」
 先生の指針は、私の胸に、深く深く残った。
 先生の指導は、常に――
 「勝負」であった。
 「戦闘」であった。
 「勝つか、負けるか」であった。
3  西神田は学生の街である。
 お昼には、よく師弟二人して、活気ある、多くの大学の学生たちと一緒に、賑やかに食事したことも懐かしい。
 先生は、目を細めて、学生たちを見ながら、「二十年先には、この学生たち、青年たちが、どのように育っていくかな。それが楽しみでもあり、心配でもある」とも言われていた。
 ある日、食事が終わろうとした時に、一人の学生が、「戸田先生!」と、大きな声で挨拶をしてきた。
 先生も、「よー」と、嬉しそうであった。
 生き生きと、その学生の瞳は輝いていた。学究肌の利発な学徒であった。
 先生は、私の方をご覧になると、厳しく言われた。
 「あの青年の一生を、大作、見つめていけ!」
 私は、青年の名前を即座に聞いた。彼は、快活に答えてくれた。五十年前のことである。
 「人材は、見つけて、育てるものだ」
 それが先生の教えであった。
4  その後も、先生とご一緒して、西神田の食堂に行くと、
 「あの青年は、今日はいないね。どうしたのだ……」と聞かれた。
 会員を思う師の心!
 弟子を思う師の心!
 先生は、一瞬しか会っていない、この一青年に、「結婚する時は、使命の王冠を贈りたいね」と言われた。
 「大作、しっかり育ててくれよ」と付け加えながら……。
5  後に、彼は、優秀な成績で、某大学を卒業した。
 草創の学会の青年部としても、多くの貢献を残している。明け方に輝く、金星のような人材であった。
 当時は、まだ同志の少ない、小さな学会であった。
 しかし、いかなる運命か、宿命のゆえか、彼は、その後、数年にして、この世を去った。
 先生に、そのことを申し上げると、「悲しい思い出ができたな」と、今は亡き青年に思いを馳せながら、一言、言われた。
6  ともあれ、いかなる苦痛や悲嘆の日々があっても、妙法の道は、常に賢者の道である。
 蓮祖は、「法華の心は煩悩即菩提生死即涅槃なり」と、生命に通達した光の道を、明確に教えてくださっている。
 惑ってばかりいてはならない。悲しんでばかりいてもならない。
 一時、負けたからといって、へこたれてはならない。
 妙法は、絶対の人生の勝利への「永遠の宝の法」であるからだ。
 また、三世に敗れざる「金剛不壊の生命の法」であるからだ。
 至福の天地に到達する、快活な「生命の旅路の宝道」であるからだ。
7  この西神田の街も、夕暮れの茜色に包まれていった。
 太陽が、はるかなる西の空に沈むころ、家路につくのか、幾多の人びとが、賑やかに、騒がしく、動き走っていた。
 「希望の人生を歩む日々の人びともいる。
 挫折に苦しみ、栄光を失って、悲しむ人もいる。
 しかし、若人は、雄々しく血潮を燃やしながら、今日も、また明日も、″戦舞″していくものだ」――。
 師の言葉は、私には、詩のごとく響いた。
8  「君よ、輝かしく、雄々しく生きるのだ。
 地涌の勇ましき、良き友をつくれ!
 やがて、すべてに勝ち、高杯を同志とともに、あげ給え!
 暗き影を追うな!
 軽やかな思想と哲学なき友をつくるな!
 互いに魂の祝福をしあう真の同志をつくれ!
 汝の声に、汝の胸に応えてくれる友をつくれ!
 汝が、心より讃えゆく友をつくれ!
 痛ましい誓いを捨てよ!
 悲しみの誓いも捨てよ!
 喜び勇んで青春を走れ!
 気高く新世紀を迎えよ!
 生きよ! 生きるのだ!
 おのれの最後の力を出しきるまで、生きて、生きて、生き抜くのだ。
 そこに、花々に囲まれた、勝利の君があることを、忘れてはならない」
 ――と、私は、その日の日記帳に記した。

1
1