Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

「御書根本」の正道 「第三の千年」照らす仏法の大道

2000.1.6 随筆 新・人間革命2 (池田大作全集第130巻)

前後
1  荘厳なる「新しき千年」の旭日は昇り始めた。
 今や、日蓮仏法の人間主義の光は、百四十八カ国・地域に広がり、「一閻浮提広宣流布」という、永劫に滅びざる平和の天地も、混沌の闇の彼方に、はっきりと見え始めた。
 栄光の星座はきらめき、希望の明星が輝く、まさに「創価の時代」の夜明けである。
 永遠の調和を奏でる、妙法の音楽の魂は、ありとあらゆるものに、新しき生命を吹き込み、新しき創造の世界を広げていくだろう。なんと嬉しく、なんと楽しきことか!
 また、仏法の透徹した眼から見るならば、一千年の歳月も、なお遠くはない。
 「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもなが流布るべし」と、蓮祖大聖人は仰せである。
 われら「創価の大行進」は、たとえ激しい雷鳴にも微動だにしない。皆が歓喜し、打ち叫びながら進む、滅ぶことなき平和と幸福の大遠征である。
2  この世紀の新しき旅立ちにあたり、私は、学会の根本軌道について再確認しておきたい。
 それは、「わが創価学会は永遠に『経文通り』『御書通り』に進む」という事実である。
 厳然たる永遠不変の姿として、創価学会は、初代会長、二代会長以来、蓮祖の仰せ通りに「如説修行」してきたのである。
 だからこそ、経文通りに「三類の強敵」「三障四魔」が競い起こった。
 だからこそ、「法師の皮を著たる畜生」たる日顕宗の邪悪を粉砕し、学会破壊の謀略も打ち破ることができたのだ。
 だからこそ、学会は仏意仏勅の教団の実証として、無量の大功徳が集まるのである。
 ともあれ、「信」「行」「学」との御聖訓通り、教学がないと、いざという時に、感情や状況に流され、紛動されてしまうのだ。
 戦時中、軍部政府の弾圧によって、大半の幹部は退転してしまった。これは、真実の教学の力がなかったゆえである。
3  思えば、牧口先生が、終焉の地となった巣鴨の東京拘置所に移されて、真っ先に家族に所望されたのが「御書」であった。しかも「書き入れしないもの」を頼まれている。
 獄中で、心新たに御書に取り組もうとなされていたのであった。そこには、深い深い大決意が表れていた。
 牧口先生は、幾度となく、法華経ゆえの大難であることを、「経文や御書の通りです」と手紙につづられている。
 また、逝去の一カ月前、絶筆となった手紙では、ご自身の『価値論』と「法華経の信仰」を結びつけ、数千人にまで実証できたことに言及されて、こう断言されている。
 「コレ故、三障四魔ガ紛起スルノハ当然デ、経文通リデス」(『牧口常三郎全集』10、第三文明社)
 これが、偉大な″創価の父″の大確信であられた。
4  第二代戸田城聖先生もまた、獄中にあって、地涌の菩薩の使命を自覚され、法華経と御書を根本として、広宣流布の大闘争に立たれた。
 ことに、先生は、第二代会長に就任される前、事業が窮地にあったころから、生命を削るようにして、私に御書を教えてくださった。
 今、当時の日記から拾ってみても、「御義口伝」「草木成仏口決」「一生成仏抄」「観心本尊抄」「生死一大事血脈抄」「立正安国論」「諸法実相抄」「三大秘法抄」「総勘文抄」「顕仏未来記」「諫暁八幡抄」等々の御抄が記されている。
 ご自宅や西神田の旧学会本部はもとより、出張にご一緒した折には、列車の中も御書講義の教室となった。
 また、「百六箇抄」の講義を受けた時期もあった。
 ある日、先生は、横になってお休みであったにもかかわらず、「よし、やろう!」と言われて、快く教えてくださったこともある。
 しかし、私に少しでも真剣さが欠けた時には、先生は言下に叱咤された。
 「やめた! 私は機械じゃないんだ」
 ともあれ、このように火花が散るごとく、全魂を傾けて、師から弟子へ、生命から生命へ、日蓮仏法の真髄を伝授してくださったのである。有り難い師匠であった。
5  私も、先生をお守りするために、ただ一人、悪戦苦闘しながら、毎日毎夜、疲れきった体に鞭打ち、御書を開いた。
 ある時は、「日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし」の御文を拝し、また、ある晩は、「各各思い切り給へ此の身を法華経にかうるは石に金をかへ糞に米をかうるなり」
 苦しい時ほど、必死になって御聖訓を求めた。
 そのたびに、胸に勇気がわいた。暗闇を破って、不撓不屈の太陽が昇った。
 また、わが黄金の青春譜たる大阪の大法戦の時も、常に、必ず御書を拝しながら戦った。
 関西の同志が、よくご存じの通りである。
 「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」――仏法は勝負なるがゆえに、この勝利の要諦を、絶対に忘れてはならない。
6  人類は「第三の千年」を照らす光源を真剣に求めている。
 仏法は、人類を救う「希望の太陽」であり、万人が、人生の荒波を乗り越え、勝ち越えるための「精神の灯台」である。
 御書には、その慈悲と智慧の大光が輝いている。生きる勇気の無限の泉があり、魔軍との激戦にあっては、邪悪を切り裂く破邪顕正の剣がある。
 この「末法の経典」たる御書を抱きしめて進む限り、われらの前には、「末法万年」への常勝不敗の王者の道が広がっている。
 新しき時代は、いよいよ、若き火を吐くがごとき獅子吼をもって、堂々と、仏法の正義と真実を叫び続ける者が、勝利する時代に変わった。
 「御仏の力あふるる御書持てば山抜く力胸に湧き出ず」――これは『御書全集』が発刊された時に、恩師・戸田先生が詠まれた一首である。
 広宣流布のリーダーならば、一行でも一節でも、日々、御書を拝し、血肉としていくべきである。
 特に、青年部は、戦いのなかで徹して学ぶことだ。学ばざる者は卑しき心の持ち主だ。
 教学は、学会の骨髄であり、慈悲と哲理の武装なくして広宣流布はないからだ。
 戦おう! わが親愛なる、勇敢なる同志よ! 二十一世紀の大道に向かって、猛然たる血潮を燃やしながら、前進していこうではないか。

1
1