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日蓮大聖人・池田大作

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創価大学の「第九」 走れ友よ! 凱旋の英雄の如くに

1999.12.25 随筆 新・人間革命2 (池田大作全集第130巻)

前後
1  指揮者のタクトが止まり、曲が終わった瞬間、講堂は、嵐のような喝采に包まれた。
 拍手はいつまでも、いつまでも、鳴りやまなかった。
 この十二月十八日、八王子の創価大学記念講堂で行われた、ベートーベンの「第九」演奏会のことである。
 ″歓喜の歌″に導かれ、皆の心は一つになり、新しき世紀へ行進しゆく感動があった。深い深い芸術性があった。
 私は「満点」を差し上げたい気持ちであった。
2  今年で第九回の伝統――私も二回目から、毎年、聴かせてもらっているが、年々、上達してきているのがよくわかる。
 今回の演奏には、創価大学の新世紀管弦楽団、銀嶺合唱団を中心に、約四百五十人が参加している。
 このなかには、第一回(一九九一年=平成三年)から九回連続の出演者をはじめ、多くの卒業生、留学生も参加されている。まことに麗しい光景であった。
 そこには、「苦悩を突き抜けよ!」と金の汗を流し、自己の課題に立ち向かった、幾つものドラマがあるだろう。「もっといいものを!」と挑戦を重ねた日々があっただろう。
 努力と持続と勝利! この生命の歓びの勝鬨こそ、われらの「第九」の伝統である。
3  今回、指揮をとってくださったのは伊藤栄一先生である。
 「二期会」の常任指揮者も務められた著名な音楽家であり、現在、東京学芸大学名誉教授、そして、わが創価大学の教授として、学生の指導にあたってくださっている。「第九」演奏会の指揮も三度目と伺った。
 伊藤先生は、演奏会を前に、学生のインタビューに答えて、「一回一回の演奏会でさらに向上しようという気迫が欲しい」「情熱だけでは″いい演奏″にはならないのです」と励まされている。一流の芸術家、一流の教育者の言葉であった。
 何事も情熱なしには成し遂げられないが、情熱の爆発だけで完璧なものはできない。そこに芸術の妙がある。
4  聴き終わって、私は思った。
 ″中国の周恩来総理に聴かせて差し上げたかった……″
 大政治家であり、大革命家であられた総理。全心全意で民衆に尽くされた人民の総理。また、芸術をこよなく愛する、″革命の大芸術家″でもあられた。
 総理自身も迫害された、あの文化大革命の暴風雨の時には、ベートーベンやシューベルトも攻撃にさらされたという。世界の民衆との文化交流にも、常に心を配られていた総理の苦渋は、いかばかりであったか。
 かつて文豪・魯迅が、香港を訪れた際、こう叫んだことを思い出す(一九二七年二月)。
 「古い調べは、もう歌い終わった!」
 ″歓喜の歌″の合唱の歌い始めは、「おお、このような調べではなく!」であった。魯迅の言葉は、おそらく、これを踏まえたものであろう。
 彼が「新しき調べ」「新しき時代」を願ったごとく、周総理もまた、人民の勝利の歌が轟く「新しき中国」を築くために、生命を削られたのである。
 私が、その総理にお会いしたのは、ちょうど二十五年前(一九七四年=昭和四十九年)の十二月であった。一期一会の、忘れることのできない出会いであった。
 ――ともあれ、ベートーベンが、自らの芸術を「貧しい人々に捧げたい」と考えていたように、「第九」には、民衆の胸を打つ凱歌の響きがある。
 その意味で、″歓喜の歌″をドイツ語で歌うのは外道礼讃だと非難し、世界の笑いものとなった宗門は、文化への無知のみならず、民衆蔑視の本性も暴露していたといえようか。
5  「第九」を聴くたび、私は、ドイツのことが心に浮かぶ。
 私が、初めてドイツを訪問したのは、東西冷戦の象徴である″ベルリンの壁″が建設された直後のことであった(一九六一年十月八日)。
 同じ民族を、家族を、東西に引き裂いた権力の″壁″は、冷たく、傲然とそびえていた。
 ″壁″を越えようとした人を狙撃した弾痕が、街角の柱に生々しく刻まれていた。脱出に失敗して命を落とした人に捧げられた花が、雨に濡れていた。
 しかし、あの日、ブランデンブルク門の前に立ち、私は同行の友に語った。
 「三十年後には、きっと、このベルリンの壁は取り払われているだろう……」
 単なる未来の予測でも、願望でもなかった。いかに凶暴なる権力が圧迫しようとも、自由を求める人間の魂は、その鉄の鎖を必ず断ち切るはずだと、私は確信していた。
 それから二十九年後(九〇年)、私たちは東西ドイツの統一という民衆の勝利の劇を、目の当たりにしたのである。
6  「(=歓喜は)世の習わしが強く引きはなしたものを再び結びつけてくれる
   汝のやさしい翼のひらくところ
   すべての人々は兄弟はらからとなる……」(シラー「歓喜に寄す」渡辺護訳、「第九」東芝EMIの解説)
 ″歓喜の歌″が謳い上げたように、ブランデンブルク門には百万の人が集い、″歓喜″の翼に包まれて兄弟となった。
 この歴史的な日を祝った曲こそ、「第九」であった。
7  さあ、「第三の千年」は明け始めた。
 それは、民衆勝利、人間勝利の歌が轟く新時代である。
 その主役は青年だ。自分らしい″歓喜の歌″を歌い、正義と栄光の旗を振りながら、新しき世紀の先頭に立て!
  「走れ、兄弟たちよ、汝らの道を
  凱旋の英雄のように歓びをもって」(同前)
 ――なお、八王子市民会館での「第九」演奏会も、大成功と伺った。おめでとう!
 最後に、全国の大切な同志の皆様、この一年、本当にありがとう! 本当にご苦労様!

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