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日蓮大聖人・池田大作

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栄えの王国・佐賀 新世紀に光れ 人間交流の大舞台

1999.11.29 随筆 新・人間革命2 (池田大作全集第130巻)

前後
1  古来、佐賀の地は文化の先進国であった。中国、さらには東南アジア、ヨーロッパにもつながった地球規模の交流の大舞台である。
 たとえば、″伊万里″″柿右衛門″などで有名な有田の焼き物は、世界を魅了した。
 イギリスのウィンザー城などの多くの城館にも東洋の宝として所蔵され、あの名高いドイツのマイセンの磁器も、その淵源は、有田焼などを模倣したものから始まっている。
 しかも、有田焼の源流を尋ねていくと、著名な李参平り さんぺい(イー・サムピョン)をはじめ、韓半島(朝鮮半島)出身の陶工たちの手で築かれたものである。
 この優雅にして、芸術の極致ともいうべき「文化の至宝」は、多くの国々の人びとの「心」と「心」を結んでいった。
2  一九九〇年(平成二年)の九月――。
 私は、初めての韓国訪問を終えてから、福岡に行き、長崎自動車道路を飛ぶようなスピードで走りながら、佐賀県に向かった。
 十三年ぶりに、意義深き佐賀の都に着いた。
 そして、心から愛する佐賀のたくさんの友の瞳を見た。
 強さと優しさをもち合わせた、懐かしき同志の笑顔を見つめつつ、私は嬉しかった。
 私の胸には、いじらしいほど、心から信頼できる佐賀の同志の姿が躍動していた。いや、広宣流布の戦場を自らの舞台として、勝ち抜いてこられた名優の振る舞いの光がまぶしかった。
 特に、佐賀の方々には、すばらしい人格の光彩がある。
 ひとたび決めた信条は、決してゆるがせにすることなく、毀誉褒貶の風に吹かれることなく、貫き通す。
 お一人お一人に、生き抜く信念の風格がある。
3  「佐賀」の大空は、晴れ晴れとしていた。
 ほのかに色づいた稲の穂波は、秋風に揺られて合唱していた。
 「栄えの国」の同志は、生き生きと輝いている。
4  この佐賀県に広宣流布の支部の旗が翻ったのは、一九六〇年、すなわち昭和三十五年の五月三日である。
 私が、第三代会長に就任した、その日であった。
 その七年後(六七年=昭和四十二年)の九月、私は初めて、佐賀の天地に、わが同志と握手するために伺った。
 広宣流布の第一線で戦ってくださる、全県の中堅幹部の方々との記念撮影であった。
 当時、九州第一の折伏を敢行した、佐賀の「地涌の菩薩」の誇らしげな笑顔また笑顔。
 本当に人生を「価値ある道」に生き抜いた方々の姿。そして、本当に人生の真髄を勝ち抜いた方々の崇高なる「仏の使い」の陣列は、あまりにも神々しく、私の目には映った。
 記念撮影の会場は、大和町の中央公民館であった。
 そこには、「いざ前進!」と、勝利の人生の勢いにわき返る、二千百人の常勝人生の喜びの息吹が漲っていた。
5  再びの訪問は、その十年後の一九七七年(昭和五十二年)、新緑のまばゆい五月となった。
 立派に完成した佐賀文化会館が、友の歓びで輝いていた。
 尊き草創の功労者の、追善の儀式もさせていただいた。
 三日間の忘れ得ぬ滞在。
 ――佐賀は、青年がぐんぐん伸びている。佐賀は、これから強くなるぞ。
 二十一世紀の佐賀は楽しみだなと、私の胸は熱くなった。
 嫉妬に狂いに狂った宗門の坊主らの暴虐が始まったのは、その翌年のことである。
 彼らは、仏意仏勅の和合僧を陰険に引き裂き、広宣流布を進める健気な学会員を苦しめ抜いたのだ。
 ある時、県の青年部長であった原武継成君(現・総県総合長)が、男泣きの涙を流しながら、あまりの無念さ、悔しさをつづってきた。
 私は、彼の必死の心を、今でも忘れることはできない。
 「それなら、明るく楽しい音楽祭を、佐賀でやろうじゃないか!」
 私は、即座に、固い握手を交わす思いで激励を送った。
 こうして「佐賀県合唱音楽祭」(一九七八年)が実現したのである。
 佐賀の天地に、勇者たちの、正義の魂の歌声はこだました。
6  私の″会長勇退″から、ちょうど一年後の四月、私は中国・上海から長崎に降り立った。
 その長崎の空港にも、誠実なる佐賀の友が迎えに駆けつけてくれた。
 また、長崎から福岡に列車で移動する途中、佐賀駅のホームにも、わが同志が待っていてくれた。
 「佐賀よ、負けるな! 佐賀よ、頑張れ!」と、窓越しに手を振り、目と目は涙と笑みに光った、あの瞬間は、今も鮮烈に心に焼きついている。
7  あの苦難の冬に耐え、決然と立ち上がったのが、新世紀へ伸びゆく青年たちであった。
 一九八三年(昭和五十八年)に男子部四千人を達成した彼らは、新たな挑戦を開始した。
 「さあ、次は精鋭五千だ!」
 これが皆の合言葉となった。
 以後、この″悲願″は、代々の県男子部長に受け継がれた。
 「自分の代は、ここまでだ。次を頼む!」
 そして、誓願から五年――、四人目の県男子部長の時に、遂に、執念の勝利の金字塔を打ち立てたのだ。
 戦いは「執念」である。あきらめないことである。
 砂を噛んでも、岩に爪を立てても、断固として、目標に向かって前進する。この死に物狂いの執念があるところが、最後は勝つ! 断じて勝つ!
8  さあ、新世紀だ!
 二十一世紀は間近だ!
 遂に、「佐賀の世紀」の開幕だ!
 御聖訓には、
 「法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊し」と仰せである。
 わが郷土を、最高の「栄えの王国」に、わが一生を、最極の「栄えの人生」に荘厳する希望の行進は始まるのだ。
 ホイットマンは「大道の歌」で呼びかけている。
 「さあ、出発しよう! 君が誰であろうと来てわたしと一緒に旅をするのだ!
 わたしと一緒に旅をすれば君は決して疲れることがないのを発見する」
 「さあ、出発しよう! 道路はわたしたちの前にある」(『詩集 草の葉』富田砕花訳、第三文明社

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