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日蓮大聖人・池田大作

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迎賓館の思い出(上) 民衆の心を携え 世界の貴賓を表敬

1999.11.17 随筆 新・人間革命2 (池田大作全集第130巻)

前後
1  街の樹々も、黄金の彩りを広げる季節となってきた。
 信濃町の学会本部から、四谷方面へ車を走らせると、美しい装飾の門の向こうに、迎賓館が見えてくる。
2  今年は、元赤坂にある、この壮麗な建物ができて、ちょうど九十周年になると伺った。
 ここの土地は、もと紀州徳川家の所有であったが、明治維新後に皇室に献納され、「赤坂離宮」と命名された。そして、一九〇九年(明治四十二年)の六月、大正天皇の皇太子時代の御所(東宮御所)として、今に伝わる建物が完成したのである。
 フランスのベルサイユ宮殿やルーブル宮殿などを手本として、ネオ・バロック様式でつくられた、日本初の″洋風宮殿″であった。
 しかも、設計・施工とも、すべて日本人が行った。
 明治の建築家たちは、やっと日本の近代建築が西欧の水準に追いついたと胸を張り、また、多くの人びとは、夢の御殿か、竜宮城かと、感嘆の声をあげたのであった。
 ただ、明治天皇は一言、「ぜいたくすぎる」と感想を述べられたともいわれている。
 戦後、国会図書館などに利用されたあと、この″宮殿″が、装いも新たに国の″迎賓館″として生まれ変わったのは、一九七四年(昭和四十九年)の春のことであった。
3  ともあれ、学会本部から迎賓館まで、車で五分とかからない近さである。
 私が本部にいる時には、周辺を車で回る際に、毎日のように側を通ってもいる。
 各国の賓客からお招きをいただき、幾度となく迎賓館に表敬訪問しているが、こんなに近くであることが、不思議な感じがしてならない。
 今更ながら、今の場所に学会本部を定められた、わが師匠の深甚のご決断を思う。
4  私が、迎賓館で最初にお目にかかった賓客は、中国の周恩来総理の夫人であるトウ鄧穎超女史であった。
 一九七九年(同五十四年)の四月のことである。
 「桜の好きだった周総理に代わって、桜の満開のころに日本を訪問したい」――前年、中国でお会いした折におっしゃっていた通りに来日された。
 実は、私は、周総理に申し上げたことがあった。
 「桜の咲くころに、ぜひ、もう一度、日本に来てください」
 「願望はありますが、実現は無理でしょう」
 総理はご自身の死期を悟っておられたのであろう。今から、ちょうど二十五年前(一九七四年十二月)の、最初で最後の語らいであった。
 また、日中の復交が決まったころ、日本の首脳から、修築中の赤坂離宮が、迎賓館として新装なった暁には、周総理を最初の貴賓として迎えたいという話が出たそうだ。
 しかし、その時も、総理は「たぶん、私は行けないでしょう」と。
 日中の橋は架けても、それを渡るのは自分ではないと、ひたすら基礎工事に生命を注がれ、一九七六年(昭和五十一年)の一月に逝去されたのである。
 この周総理の心を抱き締めて、鄧穎超女史は来日されたのだ。総理の分身として、桜の咲く日本へ――。
 ところが、東京の桜は開花が早く、春嵐に散っていた。
 私は、せめて花の匂いだけでもと、迎賓館に八重桜をお届けしたのである。
 桜は会見の部屋である「朝日の間」に生けられ、幸い女史も大変喜んでくださった。
 女史は、いつもと変わらぬ、質素な人民服であった。
 慈母の温顔をほころばせながら、「私たちは家族です。時間が許せば、こういう部屋ではなく、池田先生のお宅に伺いたかった」とも言ってくださった。
 私の″会長勇退″の直前であった。
 歓談の最後に、会長を辞任するつもりであることをお伝えすると、女史は、即座に「まだまだ若すぎます。やめてはなりません」とおっしゃった。
 あの毅然としたお声は、今も耳朶から離れない。
5  その後も、賓客の方々から、ご招待を受けて、何度も迎賓館を表敬訪問してきた。
 お会いした当時のお立場で紹介させていただくと、中国の華国鋒首相(一九八〇年)、国連のデクエヤル事務総長(八二年)、ブラジルのフィゲイレド大統領(八四年)、インドのガンジー首相(八五年)、アルゼンチンのアルフォンシン大統領(八六年)、メキシコのデラマドリ大統領(八六年)、ポーランドのヤルゼルスキ国家評議会議長(八七年)、ベネズエラのルシンチ大統領(八八年)、中国の李鵬首相(八九年)――。
 そして、ソ連のゴルバチョフ大統領(九一年)、中国の江沢民党総書記(九二年)とも。江氏とは、昨年の秋、国家主席として来日された際にも、再び迎賓館でお会いしている。
 さらに、チェコスロバキアのハベル大統領(九二年)、マレーシアのアズラン・シャー国王(九三年)、ポーランドのワレサ大統領(九四年)、南アフリカのマンデラ大統領(九五年)にも表敬させていただいた。
6  世界からの、大切なお客様である。
 帰国される時に、日本のよい思い出をもち帰っていただきたいと願うのは、日本人として当然のことであろう。
 しかし、来日の″成果″が、政治的な交渉やお金の話だけでは、あまりにも寂しい。
 ゆえに私は、一千万の民衆の歓迎のエールを贈りつつ、新しき友情の道、文化の道、平和の道を開きたいと、真剣勝負で臨んできたつもりである。
 民衆は「海」である。民衆の心を離れた、政治や経済だけの交流は長続きしない。
 水面下の海流のごとく、民衆次元の深き交流があってこそ、国と国の友情の航海も安定するにちがいない。
 中国の古言に、こうあった。
 「人と交わるには、心にて交われ。樹に注ぐには、根に注げ」と。

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