Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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香川の共戦の絵巻 戦う一念が広宣流布の魂

1999.10.21 随筆 新・人間革命2 (池田大作全集第130巻)

前後
1  近代ドイツの大哲学者・ヘーゲルは、若き日、思想界の革命児の″決心″を歌った。
 「敢然と 神々の子は完成の戦ひを 心に期するがよい
 いざ 汝との和平を断て 世の業と妥協する勿れ!
 努めよ 試みよ 今日よりも昨日よりも いや増しに! さすれば 汝
 時代を越ゆるものたらざらんも いともよく時代たらん!」(速水敬二『ヘーゲルの修行遍歴時代』〈筑摩書房〉に中で紹介)
2  一九七八年(昭和五十三年)の一月、私は、香川県の四国研修道場を初訪問した。
 その道場から、湾を隔てて対岸に見える台地が、あの有名な「屋島」であると伺った。
 かつて、この屋島を仰ぐ陸上競技場に、全四国の同志三万が意気高く集ったことも、よく覚えている。(一九六二年=昭和三十七年)
 入り江の奥は、″源平の合戦″の古戦場で、那須与一が、舟の上の″扇の的″を射落としたという『平家物語』の舞台であった。この地は、あまりにも多くの歴史を宿した天地である。わが道場の前の海岸も、平家の水軍が潜んだ場所として、「船隠し」と呼ばれていた。
3  ところで、栄耀栄華を誇った平家が、なぜ滅亡したのか。
 種々に論じられようが、その根源を探れば、人間の「一念」の問題に突き当たる。
 当時、平家の武将たちは、贅沢に慣れ、戦いを忘れ、弱体化していたといわれる。
 他方、源氏は、かつて一敗地にまみれた教訓を忘れず、仇討ちの執念に燃えていた。「地の果てまでも平家を追いつめ、攻め落とさないかぎり、都には帰らない」(『平家物語』趣意)――それが、平家追討の大将軍たる源義経の覚悟であり、源氏の武士たちの決心であった。
4  わが創価学会の空前の大前進も、「仏敵と戦う心」「法に殉ずる心」を燃やし続けたからこそ、成し遂げられてきたことを絶対に忘れてはならない。
 ″この数十年の輝ける栄光の軌跡は、数百年にも匹敵するであろう″と、多くの心ある識者が称え、驚き、語っていることは、皆様もご存じの通りだ。
 蓮祖は、源頼朝と、平宗盛が天下を争った″源平の合戦″など、法華経の行者の大法戦に比べれば、足元にも及ばないと仰せである。(「頼朝と宗盛が七年・秋津嶋にたたかひし(中略)此にはすぐべからずとしるべし」)
 広宣流布は、仏と魔の戦いであり、すべての人を永遠の幸福へ覚醒しゆく聖業である。
5  この年、私は三度(一、七、十二月)、四国を訪れ、そのたびに香川に足を運んだ。
 香川が、四国の″異体同心の要″であり、正義の進軍の″電源地″であるからだ。
 七月には、小さな船に揺られて、小豆島にもお邪魔した。わずか三時間ほどの滞在であったが、黄金の思い出である。
 その前日の四国の幹部会で、私は、こう訴えた。
 「これからの四国は『人材になろう』『人材にさせよう』を合言葉に前進を!」
 「法」を弘めるのは「人」である。広宣流布の成否は、ただ「人材」で決まる。
6  当時、四国でも、聖職の仮面をかぶった魔性の悪坊主による、学会攻撃の策謀が始まっていた。
 翌年(一九七九年=昭和五十四年)、名誉会長になってから二年半の間、私は、学会破壊の邪悪な謀略によって自由に動くこともできなかった。
 すべて、私の存在を恐れ、怖がり、焼きもちを焼いた、宗門の邪悪な坊主をはじめ、奸智と強欲の退転者らの一大結合による陰謀・謀略であった。
 その鉄鎖を厳然と断ち切り、大反撃の戦闘を開始した原点が四国であったことは、明快にして不滅の史実の刻印である。
 一九八一年(昭和五十六年)の十一月――私は、徳島から香川に入った。
 懐かしき研修道場には、愛する同志が多数、生き生きと集まってこられた。
 「宗門や反逆者への反撃は、私がいたします!
 これ以上、皆様にご心配、ご苦労をかけたくない。
 私の心を知ってくださる方は、一緒に戦ってください!」
 私の呼びかけに、嵐のごとく轟いた共戦の大拍手は、香川の大空に響き渡っていった。
 皆の心に、魔性との戦い、激しき攻防の戦い、すなわち広宣流布への炎が、赤々と燃え上がっていった。
 この日を、誰人も忘れることはできない。
7  ともあれ、「共戦」の二字が金文字で刻まれた、四国・香川の広布の大絵巻は、今も燦然と輝いている。
 あの黒く陰湿な″衣の権威″の陰謀をものともせず、白亜の大客船「さんふらわあ7号」に、胸を張って乗船し、私のいた横浜まで駆けつけてくださったのも、皆様方であった。
 「共戦」とは、師弟一体の広宣流布への真剣な祈りであり、行動である。最も大切な、戦いの呼吸も、「師弟不二」も、ここから深まる。
 「共戦」とは、自分の一念を広布の主戦場に定めることだ。そこに自己の殻を破り、大我の人生を開く道もある。
 そして「共戦」とは、広布の全責任を勇んで担わんとする精神だ。誰かがやるだろう、自分は関係ないという官僚主義と、徹して戦うことだ。
 「共戦」の心があれば、広宣の大河は無限に広がる。
 その雄々しき中核の闘士は、青年である。
 もう一度、ヘーゲルの言葉を借りれば、「総じて英雄時代の状態は(個人でいえば)とくに青年時代のそれに相当する」(『美学 一の下』竹内敏雄訳、『ヘーゲル全集』18C、岩波書店)からだ。
 いよいよ、新世紀の凱旋門も眼前に見えてきた。
 私は、心から敬愛し信頼する皆様に申し上げたい。
 「さあ、共に戦おう! われらの勝利のために!」

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