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日蓮大聖人・池田大作

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「歓喜の歌」響く徳島 喜べ喜べ! 人生を勇気で勝て!

1999.9.24 随筆 新・人間革命2 (池田大作全集第130巻)

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1  「国々の国歌はあるが、人類の国歌はない」(『人間の洗濯』松田銑訳、角川文庫)
 ″アメリカの良心″と敬愛され、私の親しい友人でもあったノーマン・カズンズ氏は、かつて、こう指摘された。
2  「戦乱と分断の二十世紀」から「平和と共生の二十一世紀」へ――。今ほど、国家や民族の差異を超えて、人びとの心と心を結ぶ″人類意識の歌″が必要な時代はない。
 あえていえば、楽聖ベートーベンの交響曲「第九」の「歓喜の歌」が、それに近いのではないだろうか。″歓喜の優しき翼のもと、すべての人びとは兄弟となる″とうたい上げた、あの不滅の歌声が――。
3  「第九」といえば、私は懐かしき四国の徳島を思い出す。
 一九一八年(大正七年)の六月一日、第一次世界大戦で捕虜となっていたドイツ兵たちが、「板東俘虜ふりょ収容所」(現・鳴門市大麻町)で、「第九」の演奏会を行った。
 これが、「第九」の日本初演となったことは、今では、あまりにも有名な歴史である。
4  その徳島へ、私は、大阪から空路、見えない偉大な力に引かれるように飛び込んだ。
 一九八一年(昭和五十六年)の十一月九日のことである。
 午後三時前、空港に降り立つと、直ちに、わが同志の待つ、徳島講堂へ駆けつけた。
 同志との記念の勤行会は、その日に二度、翌日に一度、計三回にわたった。
 生命と生命が触れ合った、あの雷鳴のような大拍手、真珠のような涙、天使のような笑顔は、生涯、わが胸から離れることはないだろう。
 この感動的な、民衆決起の集いのなかで、婦人部の「若草合唱団」の皆様が、太陽のごとく女王のごとく歌ってくださったのが、ベートーベンの「歓喜の歌」だったのである。
 当時、宗門と反逆者は、私を追い落とし、広布と学会を破壊するために、私を策謀の鎖で、がんじがらめにしていた。
 また、徳島の同志も、邪心の坊主のために、どれほど苦しめられてきたことか。どんなに悔し涙を流してきたことか。
 この徳島訪問こそ、邪悪な鉄鎖を断ち切り、正義の獅子が立ち上がる突破口となったのである。
 思えば、「歓喜の歌」の源泉である、詩人シラーの頌詩「歓喜に寄す」(一七八五年作)には、当初、「暴君の鎖を解き放ち……」という一節があったそうだ。
 われらの歓喜の翼は、邪な権力の束縛を解き放ち、魂の自由の空に飛び立ったのである。
5  本来、「第九」は、天界の喜びの花々に包まれて誕生したわけでは、決してない。
 当時の社会を見れば、ナポレオン戦争が終わったあとの、反動的な権力政治が自由を圧迫した暗黒時代であった。
 自由を愛する共和主義者として知られたベートーベンには、常時、警察の監視がついていたし、一度などは、実際に留置されたこともあったようだ。
 彼自身も、病苦やスランプや親族の悩みに悶えていた。
 「喜びは苦悩の大木にみのる果実」(アンドレ・モロワ『ビィクトール・ユゴーの生涯』辻昶・横山正二訳、新潮社)とは、文豪ユゴーの名言である。
 ベートーベンは、懊悩の溶鉱炉から、永遠なる歓喜の宝光を輝かせていく。
 今こそ、重き苦悩の雲を吹き払え! 鉄の鎖を断ち切れ!
 断固として、夜明けの光を、新しき希望の歌声を!
 彼は叫んだ。
 ――もっと快い、もっと歓びに満ちたものを歌い出そうではないか!
 苦悩を突き抜けて歓喜へ!
6  「わが心は本来、仏なり!」「われら広布の大使命に生まれたり!」と自覚することこそ、無上最高の喜びである。
 それを、大聖人は、「歓喜の中の大歓喜」と仰せである。
 「煩悩即菩提」である。試練に負けず、勇気をもって苦難に打ち勝つ、その時、自分らしい「歓喜の歌」が、わが生命の青空に轟き渡るのだ。
7  徳島の同志が、希望の大空へ飛翔する時は、いつも「歓喜の歌」がともにあった。
 一九八五年(昭和六十年)の四月――私が初めて春に、愛する徳島を訪問した折に、「徳島青年平和文化祭」の冒頭を、見事に飾ったのも、「歓喜の歌」であった。
 さらに、菊の花の香る、一九九四年(平成六年)の十一月には、徳島の全四百三十七地区(当時)で、実に三万四千八百五人の尊きわが同志の英雄が、声も高らかに「歓喜の歌」を歌い上げたのである。
 あの山間の村々で、海辺の町々で、わが同志は、厳冬を越えた春の万花のごとく、毅然と頭を上げた。
 わが人生を堂々と勝ち得た友らも、そして可愛い未来の使者たちも、ともにドイツ語の詩に挑戦し、魂の自由を轟かせた。その声は、天空までも、凛々と響き渡っていった。
 そして、私が訪れた翌十二月の四日――そのフィナーレともいうべき、「『歓喜の歌』大勝利合唱祭」が、晴れ晴れと開催されたのであった。
 三万五千の歌声は、まさしく一人ひとりの勝利の歌であった。正義に生きる凱歌であった。三世十方の仏菩薩にも響いていくであろう、「創価の勝鬨」の稲妻であった。
8  ベートーベンは、「心より来る! 願わくは更に心へと赴かんことを!」(『ベートーベェンの言葉』原田義人訳、創元社)と祈った。
 「歓喜」もまた、心の奥からあふれ出し、心から心へ、友から友へ、飛び火していく。
 歓喜は、勇気の火花であり、雄々しき戦いの閃光である。
 わが胸の信念を語れ! 正義と真実を叫び抜け! 自由の炎で邪悪な壁を焼き尽くせ!
 文豪ロマン・ロランは「フランス大革命は『歓喜』から発した」(「第九交響曲」蛯原徳夫・北沢方邦訳、『ロマン・ロラン全集』25所収)と洞察した。
 われらの妙法の広宣流布は、生命の「歓喜の中の大歓喜」に発して、全人類待望の「人間革命の世紀」「人間勝利の世紀」の無上の扉を開いていく行動である。
 自分が存在するその場所で、断固として、正義の旗、栄光の旗を打ち立てながら!
 徳島、万歳!

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