Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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昇りゆく太陽・茨城 永遠の幸福へ今世を勝ち抜け

1999.8.27 随筆 新・人間革命2 (池田大作全集第130巻)

前後
1  哲人ソクラテスは、彼を亡き者にせんとする黒い謀略の嵐を前にして、こう厳然と語った。
 「いずれにしても私は、決して私の行動を変えないであろう、たとい幾度死の運命に脅かされるにしても」(プラトン『ソクラテスの弁明・クリトン』久保勉訳、岩波文庫)
 我、永遠に戦うとの、魂の王者の言である。
2  今、戦ったぶんだけ、自分自身が最高の福徳を得る。また、永遠に成仏という最極の大境涯を開いていける。
 今世の戦いによって、自分自身が「仏の寿命」「仏の永遠の生命」を得る。永遠に幸福になっていくのである。これが法華経の寿量品の心である。
 御書には、「設ひ・いかなる・わづらはしき事ありとも夢になして只法華経の事のみさはぐ思索らせ給うべし」とある。
 いかなる煩わしいことがあっても、「深く強い信心」を貫き通すことである。
 その具体的な方途は、どこまでも広宣流布を中心にした、「信行」の一念を定めることである。ここに、まばゆいばかりの偉大な世界の境涯が、豁然と開かれていくというのである。あたかも、イギリスの詩人バイロンが、一詩集によって、一躍、世の脚光を浴び、「一朝、目覚めれば、天下の大詩人」とつづったように――。
3  戦時中のある日、私は、上野から蒸気機関車に乗って、茨城の土浦まで一人旅をしたことがある。
 海軍航空隊の予科練(海軍飛行予科練習生)になっていた先輩を訪ねたのである。予科練は、当時の少年たちの憧れであった。しかし、この先輩の口から飛び出したのは、私の予想と全く違う言葉であった。
 「身体の弱い君は、絶対に志願なぞ、止めたほうがいい。ここは話で聞くような、いい所じゃないぞ……」
 その言葉には、戦死した私の長兄が、「戦争は美談なんかじゃないぞ!」と語った口調と、同じ響きがあった。
 今も私は、世界の平和のために奔走するなかで、あの日の、真実の心の奥底からわき起こった、葛藤の語らいを思い出すのである。
4  この戦時下の一九四二年(昭和十七年)二月、牧口先生は、茨城・下妻在住の会員宅を訪問し、病床にあった七歳のお子さんを見舞われたという。
 先生が軍部政府の弾圧で投獄される前年のことであった。
 当時の日本は、前途ある青年を次々に戦地に送り出し、国家のために生命を捨てることを強制していったのである。
 そのような時代に、先生は、″未来を担うべき少年が、病気で苦しんでいる。なんとしても救ってあげたい!″と、七十歳の老躯を運ばれ、真剣に激励されたのである。
5  水戸の偕楽園の梅が、満開に咲き香る季節は、近づいてはいたが、まだまだ寒かった。
 一九八二年(昭和五十七年)の二月七日、私は、牧口先生と同じ決心で、寒風のなか、茨城の同志のもとへ走った。
 少々、風邪気味の体は熱っぽかったが、一夜明けると、すっかり楽になり、同志の題目を感じてならなかった。
 私は、完成間もない、水戸の茨城文化会館に本陣を置いて、北は日立、東は鹿島、南は土浦へと、広宣流布の大波を起こす決意で、正義の軍艦のごとく動きに動いた。
 その日立も、鹿島も、また、土浦方面の竜ケ崎、谷田部などでも、邪僧が正義面して、仏意仏勅の学会に泥をかぶせ、唾を吐いていた。可憐な花のごとく、清らかな魂の同志は、こんな悪逆非道はない、これが正しき仏法を守る坊主であるはずがないと、悔し涙をのんで、耐えに耐えてきたのだ。
 仏法の世界にあるまじき、この悔しさは、当時の同志たちの心からは、永遠に消え去ることは絶対にない。
 いかなる嫉妬と中傷の矢も、太陽を射ることはできない。威風堂々、太平洋に昇りゆく太陽のごとく、正義の旭日が昇れば、邪悪の闇は破れる。
 私は、あの地でも、この地でも、雄々しき戦闘を勝ち取ってゆく、わが広布の同志の頭上に、勝者の月桂冠を載せながら、戦い抜いた。
 その間、わが師である戸田先生のご生誕の日(二月十一日)も、茨城で迎えた。先生の年齢と同じ、八十二個の鉢植えの梅が、寿ぐように香っていた。
 この日、二十一世紀を託しゆく男女青年部、三千五百名による、「茨城二〇〇〇年会」が結成された。
 若き勝鬨の声は、今でもこだまして聞こえるようだ。
 以来十七星霜。この時の青年部から、総県幹部、分県の県長・県婦人部長など、現在の指導者たちが続々と誕生した。
 茨城広布の勝利と栄冠は、今や眼前に、栄光輝く陣列として、勢揃いしていく思いがしてならない。
6  明春には、いよいよ、七会ななかい村に「茨城メモリアルパーク」も開園する。(=二〇〇〇年三月五日に落成)
 常陸の国・茨城は、古人が、不老不死の「常世の国」と憧れた夢の国でもある!
 そしてまた、御入滅を間近にされた大聖人が、最後の旅の目的地として「常陸の湯」を挙げられたごとく、太陽の仏法に有縁の、永遠に太陽が昇りゆく「日立」という不思議なる国である!
 さらにまた、真実の大白法の大道への直道というべき「直通ひたみち」の国であろうか。
 「わが同志の、万感の広布の歴史は、ここ茨城を見よ!」と叫んでいるかのように、今、二十一世紀の太陽は昇り始めた。

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