Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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荘厳な高知の夜明け 先頭を走れ 人間主義の世紀へ!

1999.8.12 随筆 新・人間革命2 (池田大作全集第130巻)

前後
1  私の愛する詩人の一人に、ホイットマンがいる。
 彼は、「先駆者(パイオニア)」という言葉が、大変好きなようで、「先駆者よ! おお、先駆者よ!」と呼びかけ、その精神を強く謳っている。
 「(=先駆者とは)安逸で飽満した金持どもではない、わたしたちのためには、馴らされた楽しみなど要らぬ」(『ホイットマン詩集』木島始訳編、思潮社)と。
 それは、一九七八年(昭和五十三年)十二月、六度目の高知訪問の朝に読んだ詩である。
2  「日本を今一度、洗濯しようじゃないか!」と、幕末の志士・坂本竜馬は言った。
 彼は先駆者である。それは何より、こびりついた時代遅れの垢を落とし、新しき意識に立たねばならないとの、決意であった。
 彼のごとく、近代日本の黎明を告げた多くの先駆者を輩出した「夜明けの天地」こそ、わが高知である。
3  私が初めて高知の大地を旅したのは、一九五五年(同三十年)の一月のことである。大阪から、戸田先生にご一緒して、小さな飛行機で飛んだのであった。
 それは、わが師の最初の四国訪問であり、大阪、仙台、札幌に次ぐ、地方への″師弟の旅″の四都市目にあたる。
 その時、先生は、板垣退助、中江兆民ら、自由民権の先人の闘争について講演され、「新時代の平和革命の大思想」こそ、日蓮仏法であると宣言されたのであった。
 実は、この先生のご訪問は、妙法流布の創価学会を理解できない、悪逆の坊主たちとの攻防戦の渦中で行われた。
 当時、大阪では、蓮華寺が学会員の御本尊の返却を要求する事件が起こり、高知でも、学会を快く思わぬ寺院の問題などがくすぶっていた。皆、日蓮仏法を利用した、法盗人の連中であったわけだ。
 「広宣流布をせぬ坊主は、クソ坊主」と、よく戸田先生は怒り、笑っておられた。
 学会とともに、広宣流布に働いている人びとは、諸天善神が守り、輝いている。
 広布なき法盗人の連中らは、傲慢な心の牢獄のなかで、自分自身が自分自身のエゴの奴隷となっている。
4  私の、この一九七八年(同五十三年)の高知指導は、滞在も七泊八日となり、その間に、約八千人もの同志にお目にかかった。
 記念の勤行会や幹部会だけでも十回以上にわたった。
 満潮の潮のごとく、喜々として集まる情熱が噴き出し、その希望と抱負に満ちた同志の生命の輝きは、決して忘れることはできない。皆、質素であるが、尊き広布の英雄たちである。
 折から行われた教学の初級試験の当日も、私は、自ら試験会場を回って激励もした。
 相手が一人であれ、何百人、何千人であれ、可能な限り、直接、会って語る。
 誠意を尽くして激励する。
 それが、真のリーダーの責務であろう。
 戦う人には勇気の風を。
 悩める友には希望の光を。
 そして、求道の闘士には、歓喜と満足を送るのだ。
 民衆のなかへ!
 人間のなかへ!
 これが、私の信念であり、行動の原理である。
 ここにしか、生きた、熱き血の通った人間主義はないと信ずるからだ。
 この一点を忘れれば、仏法といえども、傲慢な権威主義、官僚主義に堕落するからだ。
 その本末転倒の民衆利用の姿こそ、天魔と化した宗門の本質である。
 当時の高知の寺は学会攻撃の謀略に狂った、悪の巣窟そのものであった。
 私は、高知の真実の夜明けを開くために、嵐の夜に屹立する灯台のごとく、「人間のための仏法」の光を掲げ、一人、死力を尽くして戦った。
5  この訪問中、私が強調したのは、「″水の信心″を貫いてほしい」ということであった。
 御聖訓にいわく。
 「今の時・法華経を信ずる人あり・或は火のごとく信ずる人もあり・或は水のごとく信ずる人もあり、(中略)水のごとくと申すは・いつも・たい退せず信ずるなり
 持続は力である。持続の行動こそ、歴史を根底から動かす。
 楽聖ベートーベンも、病に苦しみながら、必死に創作に挑んでいた四十代の半ば、「ほんとうに点滴石をうがつ。実際、ほんとうに点滴石をうがつ」(『音楽ノート』小松雄一郎訳編、岩波文庫)と書いた。
 流れる水のごとく、何があっても、弛まず、断固と前進する闘争のなかにこそ、信仰と人生と革命の勝利がある。
6  このあと、私は、一九九〇年(平成二年)の十一月にも高知を訪れた。
 それは、嫉妬の法主が、私の総講頭罷免という暴挙によって、学会破壊を狙う本性を顕す一カ月前のことであった。
 今、振り返れば、「創価ルネサンス」の前夜である。
 まさに「夜明けの大地」高知の、不思議なる宿縁が感じられてならない。
 ともあれ、暗く灰色の宗門への隷属の道から離れ、われらは喜々として、桜満開の優美な道を、そしてまた、自負と決断と高邁なる道を、愛する友と歩み始めたのである。
 「改革が必要だ!」
 新しき宗教改革を叫ばれた、戸田先生の声が、創価の血管のなか、血液のなかに、奔流のごとく流れ始めた。

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