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日蓮大聖人・池田大作

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美しき山形の心 正義の大道輝く 民衆の理想郷!

1999.8.10 随筆 新・人間革命2 (池田大作全集第130巻)

前後
1  「随筆」の百回目の舞台は、「虚栄を振り捨てた、ああ、なんとすばらしき人間たちだろう!」と、太く低い声で、諸天善神も讃え、喜々として福光に包まれゆく、山形県となった。
 山形は、光沢ある「庶民勝利」の軍旗を、高らかに掲げゆく城であり、天地である。
 陽光に照らされている山々!
 高貴な最上川の流れよ!
 広い雲の中から、水晶のように透明な風が、穏やかに肩を打った。
 今、私の心は、八月の山形県に立っている。
 彼らは、厳寒の歴史と戦い、永遠の明るさを失わない。
 動くたびに、人生の尊さと勝利の軌跡をつくりゆく、心の巨大な山形の仲間たち!
2  一九八七年(昭和六十二年)七月、私は、夏の太陽に包まれながら、山形の緑の山河に馳せ参じた。総務時代の初訪問(一九五八年)から数えれば、通算九回目の訪問であった。
 この時、私は、美しき自然と人情に恵まれた山形は、「アルカディア」ともいうべき国土であると申し上げた。「アルカディア」とは、ギリシャの地名で、古代ローマの昔から、あまたの詩人たちが謳い上げた「理想郷」である。
 以来、山形の同志らは、新しき「民衆のアルカディア」の建設のために、新たな天使のごとく、温かき涙を流しながら、愛する郷土を懸命に走り、戦ってこられた。
 その尊き使命の行動に進みゆく、清らかな瞳には、美しく歌う心の真珠の光があった。
3  「信心のこころ全ければ平等大慧の智水乾く事なし」とは、仏法の偉大な法理である。
 「信心とは、精進行である」との純粋なる信念は、何ものにも惑わされない。
 それは、現実の苦難と苦悩を乗り越えながら、広宣流布の大道と人間革命の行動を、一歩、また一歩と、高みへ前進し抜いていく実像である、と申し上げたい。
 経文には、この姿を「勇猛精進」と説いている。
 そして、この妙法流布の勇者の名前は、あまねく世に響きわたっていくと約束されている。
4  勇気の人には、希望がある。
 前進の人には、無限の歴史が開ける。
 十二年前、山形は六圏(ゾーン)で、九十六支部の陣容であった。
 今や、大山形は、太陽県、明朗県、そして和楽県の三分県に拡大し、圏は九圏、支部は百十三支部へ――と発展。
 まさしく、久遠の誓いの城は、大きく天下を眺望する時代に入った。
 草創期には、この地も、御聖訓通りに、無理解の壁は、当然、厚かった。
 しかし、いかなる非難、中傷の北風をも忍び、額の皺を青春の顔に変えながら、わが山形の同志は、先駆者の誇りの月桂冠を頭上に掲げ、折伏に歩み抜いた。
 あまりにも貴き、偉大なる母たち、父たちの姿を、断じて忘れてはならない。
5  山形は、夏の暑さも厳しい。日本一の最高気温は、山形市で記録された四〇・八度である(一九三三年七月二十五日)。
 一方、県下の最低気温は、大蔵村の肘折でのマイナス二二・九度(一九八四年三月四日)。
 また、立川町の月の沢では、六メートル四十五センチという積雪が観測された(一九六八年二月二十五日)。
 雪の降る三十五年前の二月十八日、私は山形に向かった。やがて晴れた空のもと、山形会館の落成式を終え、同志たちと白雪の蔵王に行ったことも、生涯、忘れ得ぬ思い出の一つである。
 今でも、真冬は深い雪に埋もれてしまう。農道も、田畑も、一面の銀世界となる。
 しかし、若き友は語る。
 「大変だけど、いいこともあるんです。家庭訪問する時は、歩いてでも、車でも、雪原を真っすぐに行けばいいし、近道で助かります!」
 わが勇敢王は、いかなる障害にも決して屈しない。不屈の心意気は、新しき世代にも厳然と受け継がれている。
6  戸田先生は、十七歳の時、「桜桃おうとう」の筆名で、若き心情をつづっておられる。
 「桜の如く咲き桃の如く実を結ぶ。
 三日見ぬまに咲く桜だとて、決して三日のうちに用意ができて咲くのではない。前年の冬、雪をしのいで咲くのだ。あたら散ってたまるか、桃の如く実を結ばずして」
 幾多の大難を忍ばれ、先生が人類に残された果実が、いかに偉大であったか――。
 ともあれ、誰でも、その人らしい「桜梅桃李」の人生を飾る権利がある。
 一人ひとりの人間の魂のなかに、夢がある。太陽がある。目には見えない金剛石ダイヤモンドが光る。
 私たちが自らの人生を荘厳していく、その着実な積み重ねのうえに、わが郷土の繁栄も築かれていくにちがいない。
 ちなみに「桜桃」とは、サクランボの意味をもっている。
 山形はサクランボ、西洋ナシで日本一の生産を誇り、リンゴやブドウも盛んな、全国有数の「果実王国」である。
 十二年前、私は、山形市内で果樹農園を営む青年を訪ねた。
 トンボの舞うサクランボ畑で語り合った、あのひと時のことは、まことに懐かしい。
 母子して丹精込めて創られた、「ナポレオン」の名をもつ、もぎたてのサクランボも本当に美味しかった。
7  東北出身の方々は、信念と人格の模範の人が多い。
 風土と人間との関連性は、非常に大きく、相互に深く影響し合っている。
 山形県出身で、創価大学に学んだ、ある女子部の幹部が語っていた。
 「都会に憧れる人は、実に多い。しかし、山形県にいる、私の同志、私の後輩は、喜々として、すばらしき人生を送っている。信仰即社会の正義の大地で戦っている。
 仏法では、『本有常住』『常寂光土』と説いているが、真実の幸福は、都会とか、地方とかという問題では、絶対にない」
 毅然と話していたその姿が、頭に浮かぶ。
 「私は勝った!」という友の歌声は、今や、山形のあの地、この地に轟き渡る。
 わが愛する山形こそ、名実ともに、壮大なる二十一世紀のアルカディアである!

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