Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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21世紀の天地・岩手 地域に誇りを! 勝利と栄光の橋を

1999.7.22 随筆 新・人間革命2 (池田大作全集第130巻)

前後
1  そこには、唯一最高の真実と正義の調べがあった。
 私は、若き友の一団とともに、知識の息吹の洗練された、近代日本の大国際人・新渡戸稲造博士を偲んで造られた記念庭園に立った。
 池には日本流の橋がかかり、水辺には挫折を知らない石灯篭があった。
2  一九九三年の秋、私は、カナダのバンクーバーを訪問した。
 その折、ブリティッシュ・コロンビア大学のストラングウェー学長が、この庭園を案内してくださった。
 新渡戸博士が、ここバンクーバーにほど近いビクトリア市で病没して、ちょうど六十年後の十月であった。
 若き日、博士が「われ太平洋の橋とならん」と計り知れぬ決意を宣言したことは、大変に有名である。そして、国際連盟事務次長などを歴任し、日本と世界を結ぶ自らの生涯の完結を決心して、太平洋の対岸の街で人生の幕を閉じたのであった。
3  博士は、牧口初代会長とも深い親交があった。
 「創価教育学」の出発にも、「余の久しく期待したる我が日本人が生んだ日本人の教育学説」と、絶大な讃嘆を送っておられる。(『創価教育学体系』〈冨山書房〉の発刊に寄せられた序文、『復刻・創価教育学体系』1所収、第三文明社)
 私は、いずこに旅をしても、世間の風に侵されず、また世の喧噪と悪臭に左右されず、常に、わが誓いは熱烈たる先師・牧口先生とともにあった。また、恩師・戸田先生を偲びながら、情熱的に、また若々しく広布の旅を歩んできた。
 この私の決意は、最後の太陽が沈むまで振り向かず、厳然たる姿勢と態度で、前を見つめながら、何一つ惑わず進んでいくことであろう。
 「人類活動の最終の目的は世界の開拓にあり、よしその開拓が、人の心の開発であれ、また田畑を切り開くことであれ」(新渡戸稲造『人生雑感』講談社学術文庫)
 これは、新渡戸博士が感動をもって紹介された、ドイツの詩人の名言の趣旨である。
 正しい、まことに正しい。
 かくある人が、最大限に国家より称賛され、守られるべきである。
 いうまでもなく、この新渡戸博士の生まれ故郷こそ、岩手の盛岡であった。
4  一九七九年(昭和五十四年)の新春。
 新年というのに、学会に生気はなく、かの宗門に裏切られた純真な友の落胆とショックは、あまりにも大きかった。
 やがて、学会の破門に至るまでの、これほどの残酷な仕打ちは、もう未来にはないだろう。
 私は新たな開拓の決意をもって、東北路を走った。
 一月十一日、仙台から岩手の水沢に到着。六年半ぶり、四度目の岩手訪問である。
 その夜、真新しい水沢文化会館では、早速、新春の幹部会が行われ、私は「一人ひとりが、″広宣流布の村長″になってください」と叫んだ。
5  ともあれ、岩手の天地は広大である。
 「未来」という、あまりにも大きい、二十一世紀への不滅の晴れ舞台が、生き生きと待っている。
 いかなる幹部であっても、この岩手の大地ほど広大なる大舞台で指導しゆくことは、並大抵ではない。岩手の幹部に、頭が下がる。
 その地で、使命に活躍される方が、一番、大事である。
 御本仏から、「其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ」と託された、不思議なる大菩薩であると、私には思えてならない。
 その方々を尊敬し、一切を願っていく以外に、広宣流布は達成できない。
 岩手の面積は四国にも匹敵し、川井村の一村だけでも、約六千人(当時)の人口に対して、その広さは東京の二十三区ほどもある。
 その無辺の天地は、燕の羽をもっても飛べない。
 白馬にまたがり疾走しても、その彼方は見えない。
 その大天地のなかを、偉大なる、無名の広布の英雄たちは、時刻の消え去ることも忘れて、大きな大きな旅立ちと法戦を、毎日、展開しておられる。
 ある時は朝陽に包まれ、ある時は風雪に阻まれ、断崖沿いに生死を賭しながら歩みゆく戦闘の姿は、仏に非ずんば為し得ぬ、尊貴の作業である。
 わが岩手の同志には、「落胆」という二字はない。「勝利」という二字と、「栄光」という二字しかない。
6  「明日は、自由勤行会にしよう!」
 私の提案を受けて、翌十二日は、朝早くから、大勢の同志が、水沢文化会館に集って来られた。
 県都・盛岡をはじめ、花巻、北上、一関、遠野。また、県北の二戸や、三陸の久慈、宮古、釜石等から……。冬場であり、遠い所は車でも五、六時間かかると伺った。
 自由勤行会は、午前から夕刻まで、二度、三度……と続き、夜は新春幹部会である。
7  私は、岩手の皆様が喜んでくださるならと、ともに勤行し、ともに語り、自ら″司会役″もこなした。
 目と目が合った、おじいさんに登壇してもらったり、支部長からブロック員さんまで、十人の方々に自由奔放にスピーチをしていただいた。
 皆が微笑んでいた。
 その至福の心の輝きは、あまりにも美しかった。
 その目には未来をも照らす閃光が光っていた。
 多くの仮面の人間には決して見ることができないが、ここに初めて冬の圧力を抑え、生き生きと、伸び伸びと、人生の花を咲かせゆく、霊鷲山の縮図があった。
8  この日、会館に来られた同志は八千人にも上った。
 なかでも、青森との県境にある二戸方面から、疲れ果てた様子も微塵もなく、その心は歌や音楽の調べに包まれながら、意気揚々と集まって来られた勝利者の笑顔は、断じて忘れることはできない。
 ここに不屈の魂がある。
 ここに創価学会がある。
 ここに創価学会の勝利の根本がある。
9  実は、この二戸にできた寺は、学会攻撃の坊主らの巣窟となっていた。
 しかも、当時の宗門の暗黒の権力は、私の追い出しに懸命であった。まるで嫉妬に狂った狂気の連中の化け物であった。
 御聖訓に「冬は必ず春となる」と仰せである。今、学会は冬であるが、必ず、爛漫の希望を輝かせて、春が到来することは絶対である――。私は皆に、静かに、しかし、断固として強く申し上げた。
 皆は、いかなる試練にも微動だにせぬ姿で、毅然としていた。
 「その通りです。まったく、その通りです。私たちには、黄金の学会魂があります。
 永遠不滅の信心があります。
 地球上に、天より励ましの、無数の諸天善神が守ってくれています。
 恐ろしいことも、悲しいことも、まったくありません」と。
10  あれから二十年――。
 今、南部富士・岩手山の秀峰を背にして、新世紀の夜明けに輝く宝城たる新・岩手文化会館も、堂々と完成した。
 その開館式は、八月五日と伺っている。
 おめでとう! 二十一世紀の新天地・岩手の勇敢なる英雄の友よ!
 いよいよ、至る所に正義のバラの花が咲き薫る、岩手の黄金時代が始まったのだ。

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