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日蓮大聖人・池田大作

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師子の誉れ「7・3」 大難の嵐に翻れ 広宣の旗!

1999.7.3 随筆 新・人間革命2 (池田大作全集第130巻)

前後
1  遠大なる人類の目的のために、仏法はある。
 何ゆえか満たされぬ生命を、悔いなき、満足しきった完成に向かって昇華させゆくために、信仰はある。
 それゆえに、私たちは、長く、あまりにも長く、広宣流布のために、戦わねばならない。
 一歩も後退できない。
 悲痛の人生の運命を変えゆくために!
2  時代の闇を破り、天晴れたる七月三日!
 一九四五年(昭和二十年)のその日は、戦時中、軍部政府の弾圧と戦った、戸田城聖先生が出獄され、広宣流布に一人立たれた日である。
 それから十二年後(一九五七年=昭和三十二年)の、同じ七月三日、私も″師子″として、誉れある法難に連なったのである。
3  千歳空港から大阪に向けて飛び立った私は、途中、乗り継ぎのために、羽田空港に降りた。空港の待合室には、戸田先生が待っておられた。大阪府警に出頭する私のために、衰弱した体で、わざわざ空港までおいでくださったのである。
 戦時下の獄中闘争で、牢獄がどのような場所か、知悉されていた先生は、病弱な私の体を心配された。私の肩に伸びた先生の手に、力がこもった。
 「死んではならんぞ。大作、もしも、もしも、お前が死ぬようなことになったら、私もすぐに駆けつけて、お前の上にうつぶして一緒に死ぬからな」
 深く、尊き師の慈愛に、私は高鳴る心臓の鼓動を抑えることができなかった。
4  夕刻、私は自ら、真実と虚偽とを明確にするために、決意の極まる心をもって、大阪府警に出頭した。
 そして午後七時、待ち受けていたかのように、逮捕、投獄されたのである。戸田先生の出獄と、ほぼ同日同時刻であった。
 妙法とは、なんと不思議なる法則か。悲嘆の心は、豁然と開かれ、喜悦へと変わった。
 時に、私は二十九歳――。
 私の逮捕は、全くの冤罪であった。参院大阪地方区の補欠選挙(一九五七年四月)で、最高責任者の私が、買収等の選挙違反を指示したという容疑である。
 熱心さのあまり、戸別訪問をしてしまい、逮捕された会員がいたことに、私は胸を痛めていたが、買収など、私とは全く関係のないことであった。
 だが、新聞各紙には「池田渉外部長を逮捕」の見出しが躍り、「創価学会の″電撃作戦″といわれる選挙違反に重要な役割を果していた疑い」などと、盛んに書き立てられた。
 当時、マスコミは、当局の意向をそのまま反映し、選挙違反は、学会の組織的犯行であり、学会は、反社会的団体であるかのようなイメージを流していったのである。
5  勾留中、関西の友には、特に、多大なご心配をおかけした。一目、私に会いたいと、炎天下に、何時間も立っていらした方々もいたと伺った。
 申し訳ない限りである。
6  当局は、逮捕した会員たちを脅し上げ、選挙違反は、ことごとく、私の指示であったとする虚偽の供述をさせ、罪を捏造していった。
 私への取り調べは、過酷を極めた。
 夕食も抜きで、深夜まで責め立てられたこともあった。手錠をかけられたまま、屋外に連れ出され、さらしもののようにされたこともあった。
 獄中で、私は御書を拝した。本も読んだ。ユゴーは、私に、「戦え! 負けるな!」と、励ましと勇気を送ってくれた。そのユゴーは亡命十九年。インドのネルーも投獄九回、獄窓約九年に及んでいる。
 いわんや、大聖人を思え! 牧口先生を思え! 戸田先生を思え!
 私は、断じて屈しなかった。創価の誇りがあった。
7  すると検事は、遂に、罪を認めなければ、学会本部を手入れし、戸田会長を逮捕すると、言い出した。脅迫にも等しい言辞である。
 私はよい。いかなる迫害にも耐える。しかし、先生のお体は衰弱の極みにある。再度の投獄ともなれば、死にもつながりかねなかった。
 私の苦悩が始まった。
 身に覚えのない罪など、認められるはずはない。だが、わが師まで冤罪で逮捕され、まして獄死するような事態は、絶対に避けなければならない。
 ″権力の魔性″の陰険さ、恐ろしさを肌身で感じつつ、眠れぬ夜を過ごした。
 そして、決断した。
 ″ひとたびは、罪を認めるしかない。そして、裁判の場で、必ず、無実を証明して、正義を満天下に示すことが賢明かもしれない″と。
 その日から私の、まことの人権闘争が、「正義は必ず勝つ」との大逆転のドラマが開始されるのだ。
8  戸田先生は、七月の十二日には、蔵前の旧国技館で東京大会を開かれ、私の即時釈放を要求された。
 また、足もともおぼつかぬ憔悴したお体で、手摺にしがみつくようにして階段を上り、大阪地検にも抗議に行かれた。後にその話を聞き、師のありがたさに、私は涙した。
 広宣流布とは″権力の魔性″との壮絶なる闘争である。メロドラマのような、その場限りの、浅はかな感傷の世界では断じてない。
 大聖人は、大難の嵐のなか、「本より存知の上」(御書951p)と、厳然と仰せられた。
 私は、恩師・戸田先生の弟子である。もとより「革命は死なり」と覚悟してきた。
 広宣流布とは、殉難を恐れぬ創価の勇者によってのみ、成就される聖業といえるのだ。
9  青年よ、民衆の勝利のために″師子″となって立ち上がれ!
 そして、友のために走れ!
 何ものも恐れるな!
 出よ! 幾万、幾十万のわが門下たちよ!
 時代のすべては、やがて移り変わる。
 花が乱れ咲く時もあろう。
 悪魔たちが正義を葬り去ろうとする狂気の時代もあろう。
 しかし、黄金の道をつくれ!
 歩め! 極善の一歩を踏み出すのだ!
 創価の宝である、師弟不二なる若き弟子たちよ!

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