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日蓮大聖人・池田大作

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炭労事件と学生部結成 民衆を守れ! 民衆とともに戦え!

1999.6.30 随筆 新・人間革命2 (池田大作全集第130巻)

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1  「この上とも頑張れ、わが兄弟、わが姉妹よ!
 投げだしてはならない――『自由』はどんなことがあっても、りたててゆかねばならぬ、
 一度や二度の失敗で、また幾度失敗しようと、逼塞(ひっそく)してしまうなどとは何ごとか、
 また、民衆の冷淡、忘恩、あるいはまた裏切りなどのために、
 あるいは権力や軍隊、大砲や刑法などのおどかしで蟄伏ちっぷくさせられるとは何ごとか」(『ホイットマン詩集』長沼重隆訳、白鳳社)
2  この一節から始まるホイットマンの詩が、私は大好きだ。
 一九五七年(昭和三十二年)の六月のことである。
 事件は、炭鉱の街・北海道夕張で起こった。
 前年の七月に行われた参議院議員選挙で、夕張炭鉱の学会員が、学会推薦の候補者を推したところから、炭労(炭鉱労働組合)は、「統制を乱した」として、学会員の締め出しを図り、公式にも″対決″を決議したのだ。いわゆる「夕張炭労事件」である。
 当時、炭労といえば、「泣く子と炭労には勝てない」といわれるほど、組合員に対しては、絶大な権力を誇っていた。それまでにも、何人もの同志が、事務所に呼び出され、「信心をやめなければ、組合をやめてもらう」と、迫られた。組合を除名になることは、そのまま、失職を意味していた。
 学会員というだけで、村八分同然の仕打ちを受けた。親ばかりでなく、子供までもが除け者にされた。悪質なビラが、電柱や家の壁に張られた。有線放送でも非難・中傷が流された。労働者の権利を守る組合が、「信教の自由」を侵し、人権を踏み躙(にじ)るという、転倒であり、卑劣なる暴挙であった。
 私たちは、激怒した。そして立ち上がった。
 ″愛する同志を、断固として守ろう! 断じて勝ってみせる!″と。
 六月二十八日、若き獅子は、北海道に飛んだ。
 わが師・戸田先生の逝去の九カ月前である。先生のお体の衰弱は、既に甚だしく、私は、師に代わって、いっさいの学会の責任を担う″船長″の立場にいた。そして、庶民の人権闘争の先頭に立っていた。
 既成の権力が、非道な弾圧を仕掛けるなら、われらは正義の旗のもとに立ち上がる! 不屈の勇気を燃え上がらせる!
 私は、信仰に励む健気な庶民の家々を駆け巡り、訴え抜いた。
 「同志よ、共に戦おう!」
 「絶対に、負けてはならぬ!」
3  その渦中の六月三十日、東京・麻布公会堂で、学生部の結成大会が行われた。
 私は、この朝、若き学生たちの喜びと誓いの顔を思い浮かべながら、長文の電報を打った。
 ――新しき世紀を担う秀才の集いたる学生部結成大会、おめでとう。戸田先生のもとに、勇んで巣立ちゆけ。
 戸田会長は、生前最後に実を結んだ学生部の誕生を、「ただ嬉しい」と心から喜ばれた。
 「この中から半分は重役に、半分は博士に」と、学生部員の輝く未来に期待された。
 先生は、民衆のために戦い、民衆を守り抜く、慈悲と英知の新時代の大指導者を心から待ち望んでおられた。「指導者革命」であり、「エリート革命」である。そこにこそ、学生部の永遠不変の使命がある。
 ところが、自己の栄誉栄達に狂って、民衆を踏みつけ、民衆を見下す、「才能ある畜生」のいかに多きことか。
 一時の享楽を求め、遊興にふけり、二度と来らざる人生の建設の時代を無にする青年のいかに多いことか。
 邪悪と戦わずして、なんの知性か! 民衆を守らずして、なんの学問か! 自らを鍛えずして、なんの青春か!
4  「キューバの使徒」ホセ・マルティは言った。
 「人間の能力は、それを引き出し、伸ばしてくれる民衆のためにある。民衆に奉仕するために、自分の力を使わなければ、それは無価値であり、恥ずべきものである」
 私は、学生部諸君が後に続くことを信じ、臨時の大会が行われた北の天地で、炭労への抗議の矢を放ち、決然として宣言した。
 「わが学会は、日本の潮であり、その叫びは、獅子王の叫びである!」と。
 やがて炭労側は、学会員を排除しようとする闘争方針を改めていくことになる。民衆の真実の団結と雄叫びが、傲慢な弾圧攻勢を打ち破ったのである。
 御聖訓には、「始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」と。それがわれらの確信であり、厳然たる仏法の法理である。
 強大な力をもった炭労も、やがて衰え、時代の表舞台から去っていった。(=二〇〇四年十一月十九日には解散し消滅)
5  大阪府警から、私に出頭の要請が来たのは、この北海道の激戦のさなかであった。四月に行われた参院大阪地方区の補欠選挙で、一部の会員のなかから選挙違反の容疑者が出たことから、支援活動の最高責任者であった私に、出頭せよというのである。そこには、創価学会という新しき民衆運動の波を恐れ、打ち砕こうと動き始めた、国家権力のどす黒い意図があったことはいうまでもない。
 学生部は、この波乱の大海に船出し、新時代の開幕を告げる暁鐘を打ち鳴らしていったのだ。
 「願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ」とは、蓮祖は仰せである。
 われらは、背信の輩が勝ち誇るような時代を、断固、変えねばならぬ。
 無名の庶民の真の英雄たちが、人生の勝利の賛歌を、高らかに謳い上げていける時代をつくらねばならぬ。そのためには、何ものにも、臆せず、動ぜず、忍耐強く、断じて戦い抜くことだ!
6  七月三日の朝、私は飛行機で北海道を発ち、自ら出頭するために、大阪に向かった。そして、無実の罪で獄につながれることになる。
 「大阪事件」であった。

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