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日蓮大聖人・池田大作

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スコットランド初訪問 知性と勇気光る「緑の谷」

1999.6.15 随筆 新・人間革命2 (池田大作全集第130巻)

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1  「我は正直なる誇りを以て有らゆる利己の目的を嘲り、
  我が最上の褒美とするは友の尊敬と称讃となり」(『バーンズ詩集』中村為治訳、岩波文庫)
 青春時代に愛誦した、スコットランドの国民詩人、ロバート・バーンズの詩である。
2  このスコットランドの天地から、貴き雁書がんしょが舞い飛んできた。グラスゴー大学のマンロー教授ご夫妻のお便りである。私が同大学の「名誉博士号」を拝受して、六月十五日で満五年。その記念にと、思い出の写真も添えてくださった。変わらざる友情に、私は合掌する。
 荘厳なる学位授与式で、私への「推挙の辞」を述べてくださった大学評議会の議長こそ、このマンロー教授である。
3  それは、ヨーロッパ最高峰の伝統と品格の式典であった。
 グラスゴー大学は、二〇〇一年に、創立五百五十年を迎える。名門のなかの名門である。
 ステンドグラスの窓から、静謐な光が差し込むホールに、荘重なるパイプオルガンの調べが鳴り渡った。
 入場を先導する銀の職杖は、十五世紀から伝わる「大学の尊厳」のシンボルという。
 受章者が案内されるのは、「ブラックストーン・チェア」と呼ばれる椅子である。砂時計が付されている。古来、学位の試問を受ける際、時間を計った時計と伺った。
 真理の探究に徹し抜いてきた「学問の王座」とは、かくも厳正なるものか。
 精神の自由を守り通してきた「教育の殿堂」とは、かくも神聖なるものか。
 なかんずく、グラスゴー大学には、常に歴史的先進性を擁護する気風が漲っている。
 この開かれた実学の牙城は、十八世紀、不遇な一職人のジェームズ・ワットを、厳として庇護した。古典経済学の父である、同大学のアダム・スミス教授も、若きワットの作業場に足を運び、激励の声をかけた。
 その無名の青年が、やがて、画期的な蒸気機関を発明し、「産業革命」のエネルギーを沸騰させていった史実は、あまりにも有名である。
 同大学は、十九世紀アメリカの画家ホイッスラーの世界最大のコレクションでも知られる。彼が世間から全く認められない時代、グラスゴー大学の教授だけが、評価し宣揚した。その感謝を込めて、大学に贈られたものという。
 さらにグラスゴー大学は、明治の日本の夜明けに、惜しみなく教育の光を注いでくれた、大恩ある学府でもある。
 要するに、新しき道を切り開きゆく人が、不当な逆風に晒されているのを、断じて傍観しない。その人が大変な時だからこそ、手を差し伸べ、応援し、共闘しようというのが、真のヒューマニズムの知性である。
 正義の人を断固と守れ!――わが創価の精神も、また同じである。
 濃紺のローブを纏ったマンロー教授は、演壇に立って、名優のごとく凛々と、幾たびも「創価学会」、また「戸田城聖」と語ってくださった。
 その誇らかな声の響きは、私の胸奥にこだまして、永遠に消えることはない。
4  マンロー教授は、推挙のスピーチを、私の詩で結んでくださった。
 「滝の如く 激しく
  滝の如く 弛まず
  滝の如く 恐れず
  滝の如く 朗らかに
  滝の如く 堂々と
  男は 王者の風格を持て」
 私が、かつて青森の奥入瀬の滝に寄せて詠んだ詩である。
 受章より二カ月後、私は十五年ぶりに青森を訪問し、縁深き東北の同志と、この栄誉を分かち合った。
5  グラスゴーは、北緯五五度の北国である。
 私たちが到着した日は、ローモンド湖も照り映える快晴だったが、式典の日の風は、六月とは思えぬ肌寒さであった。天候の変化が、日々微妙である。
 妻は、「四日間の滞在で、四季を味わうことができました」と、友に語っていた。
 特に、冬は、午後三時を過ぎると、暗くなり始め、四時にはとっぷりと、日が暮れてしまう。朝は九時になっても、薄暗い。
 創価大学からの留学生にとっても、試練の季節となる。
 その留学生の心を明々と照らし導いてくれるのが、マンロー教授ご夫妻の慈愛である。
 また、父母のような、地元SGIの方々の真心なのである。
 生涯の宝となりゆく、錬磨の思い出を刻んだ創大留学生は、短期の研修を合わせて、二百二十七名を数えるに至った。
 つい先日も、全員の頼もしい活躍の近況が、届けられた。
 皆、現実の大地を堅実に踏みしめて、立派に育っている。
6  「グラスゴー」という地名は、先住のケルト人の言葉で、「緑の谷」という意味である。
 その豊かな緑に包まれた、市内のボタニック・ガーデン(植物園)で、懐かしき故・コーストン理事長と共に、スコットランド家族と撮影した記念写真は、今も、私の座右にある。
 リチャード・ポーチャス本部長、アケミ・ポーチャス本部婦人部長を中心として、グラスゴー、エディンバラ、アバディーン、″ポート・オブ・スコットランド″の各地域に、偉大な異体同心の連帯が広がっている。
 ポーチャスさんのお宅で、毎週一回の唱題会を、十年間、実に五百回にわたって持続し、私たちを待っていてくださった。
 御聖訓には、「末法に入て今日蓮が唱る所の題目は前代に異り自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」と説かれている。
 和合僧の友と一緒に、妙法を唱え、広宣流布に共進しゆく人生は、グングン勢いを増しながら、栄光と幸福と勝利のリズムに一致していく。
 いわゆる″独己(独りぼっち)″修行では、結局は、歓びも充実もない、わびしき落日の人生となる。
7  七百年前、悪逆な圧政に立ち向かった、民衆の大英雄ウィリアム・ウォレスも、ここグラスゴー西部の出身であった。彼は、卑劣な裏切りによって囚われ、見せしめに、残忍きわまる極刑に処せられる。
 しかし、その勇猛なる魂は生死を超えて、民衆の心に炎と燃え広がり、暴君を退散させた。さらに、当時の抵抗の指導者らが残した人権の文書は、アメリカの「独立宣言」にも反映されているという。
 勇気が、すべての道を開く。
 歴史と風土の艱難に鍛え抜かれた、スコットランドの人びとは、まことに勤勉であり、誠実であり、忍耐強い。そして、「自由のある所、これ、わが故郷なり」という気宇壮大な心で、世界を舞台に雄飛してきたのである。
 この点に、牧口先生も、『人生地理学』の中で、いちはやく着眼しておられた。
8  グラスゴー訪問の翌九五年(平成七年)十一月。私は、釈尊生誕の国・ネパール王国に飛んだ。
 国立トリブバン大学での「名誉文学博士号」の授与式の折である。音楽隊の方々が祝賀に演奏してくださった曲は、なんと「勇敢なるスコットランド人」であった。
 私は、ヒマラヤのごとく誉れ高き、スコットランドの友情と善意に輝く多くの友の顔を浮かべつつ、最敬礼して聴き入った。

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