Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

文化と哲学の山梨 清新の宝土に 正義の光あれ

1999.5.29 随筆 新・人間革命2 (池田大作全集第130巻)

前後
1  山梨の「協調」と「前進」は、目覚ましい。
 人間は、「目標」と「張り合い」と「信頼」が連動すると、巨大な力を発揮するのである。
 山梨の広布の牙城は、生き生きとしている。今、固い岩盤を割って、新しき二十一世紀へ、みずみずしい潮流が流れ始めた感じを抱くのは、私一人ではないだろう。
 山梨は立ち上がった!
 全員が「勝利」と「満足」のために立ち上がった!
 中国の著名な文学者である、郭沫若かくまつじゃく氏は述べている。
 「一人の人間にとって最も悲しむべきことは、良心の死滅にほかならず、一つの社会にとって最も悲しむべき現象は、正義の滅亡にほかならない」(『討論註釈運動及其他』、尚学図書編『中国名言名句の辞典』所収、小学館)
 全くその通りだ。
 かく先生は、戦前は長年、日本に滞在し、戦中は祖国で抗日運動に挺身。さらに戦後は中日友好協会の名誉会長として、両国の友誼のために尽力された。
 いわば、日本を愛し、日本の国家主義と戦った、先人の警鐘とも思えてならない。
2  わが山梨が、涙に濡れながら立ち上がり、広布の正義の輝く支部旗を、郷土の空高く掲げたのは、私の会長就任から半年後のことである。
 一九六〇年(昭和三十五年)の十一月、私は、その結成大会に馳せ参じた。
 「広布は甲府から!」――山梨県民会館を埋め、希望の旅立ちを喜び迎えゆく、甲府支部四千名の、連帯の同志の意気は高かった。
 私が、アメリカのケネディ大統領の誕生を知ったのも、その時に宿泊した小さな旅館の中であった。
 新時代の到来を告げる、四十三歳の若きリーダーの登場である。私の心臓の鼓動も、早鐘のごとく鳴り始めた。自由の国の、政治の王者の意志と、仏法の信仰者の、屈することなき意志が、深い法則のもとに響き合うのが感じられてならなかった。
3  山梨は、日蓮大聖人の宿縁深き世界である。
 大聖人は、この地で、末法万年への広宣流布の楔を打たれ、無数の法戦の呼吸を残しながら、人材育成に精魂を傾けられた。
 そして、蓮祖に「常随給仕」された、日興上人の生誕の天地でもある。その常随給仕のお姿について、「百六箇抄」の末文にこう記されている。
 ――日興上人は、蓮祖の伊豆・佐渡の御流罪の時はもとより、その他の諸難の折節にも、常に先陣を駆け、あたかも影の形に従うがごとく、蓮祖に従ってこられた。その師弟一体の姿を誰が疑うであろうか、と。(御書869ページ、趣意)
 たとえば、伊豆では、真っ先に師のもとに馳せ参じ、炊事等の労をとりながら、寸暇を惜しんで、折伏・弘教に奔走されたと伝えられている。日興上人が十六、七歳頃のことである。いわば、師匠が一番大変な時に、決然と志願し、先陣を切って戦ってこそ、真の弟子たる資格があるといえよう。
 ここに、真実の「常随給仕の精神」があるといえまいか。日興上人が、「日興第一の弟子」と称えられた六人もまた、蓮祖の御入滅のあと、「身命を惜しまず」、法戦に立ち上がった門下であったことを忘れてはならない。
4  一方、師匠の大恩を報ずるどころか、ずる賢く、臆病にも「天台沙門しゃもん」を名乗り、邪義に染まっていったのが、五老僧である。
 この師敵対の極悪と戦わなければ、「師の真実」が隠没してしまう。「師の正義」が汚辱にまみれてしまう。
 ゆえに日興上人は、五老僧を許されなかった。鬼神も哭き、阿修羅も震えるがごとく、反逆の輩を呵責された。
 この日興上人の御精神を受け継いでいるのは、わが創価学会だけであり、天魔・日顕宗は、腐敗しきった″五老僧の末流″であることを、厳然と宣言しておきたい。
 「功徳」について、「御義口伝」に、「悪を滅するを功」「善を生ずるを徳」と仰せである。悪を滅するから、善が生じる。悪を責めるから、自身の生命の罪も滅し、福徳が生まれる。今、徹して極悪と戦う山梨の同志が、爛漫たる功徳の花に包まれゆくことは、御聖訓に照らして、絶対に間違いない。
 山梨が誇る、「正義と哲学の要塞」たる教学研修センターの意義も、実に大きいのである。
5  大聖人は、弘安五年(一二八二年)の秋、八年余を過ごされた身延を発ち、御入滅の地となる池上へと、歩みを運ばれた。
 その時、河口湖の湖辺を通られたことは有名である。
 一九五五年(昭和三十年)の六月、戸田城聖は、この河口湖、さらに山中湖で、いつも新しき、永遠の創造の輝きに包まれながら、八十余名の弟子の育成に汗を流した。それは、恩師の、最後の野外訓練となった。
 ともあれ、朝な夕な王者の富士を仰ぐ山梨の天地には、正義の闘争の誇りがあり、人材錬磨の不滅の伝統がある。
 山梨研修道場が、思い出深き山中湖畔に完成したのは、傲慢な″衣の権威″の名のもとに、迫害の嵐が吹き荒れていた創立五十周年の秋であった。
 翌年(昭和五十六年)の夏、この道場で開催された、民衆の勝鬨響く野外文化集会は、自由な魂の勝利であった。自由な翼の世界へ飛びゆく瞬間であった。
6  「世界には二つの力しかない。すなわち剣と精神の力である。(中略)ついには、剣は常に精神によって打ち破られる」(オクターヴ・オブリ編『ナポレオン言行録』大塚幸男訳、岩波文庫)とは、英雄ナポレオンの言である。
 今、人類の進歩に逆行するがごとき、危険な国家主義の台頭を憂慮する声は高い。だからこそ、精神の力、文化と哲学の「ソフト・パワー」をもって、民衆が傲慢なる権力を包囲することが、いよいよ大事になってきた。
 かつて、私は「文化の山梨たれ!」と期待を寄せた。
 文化とは、生きる喜びだ。
 人間性の勝利だ。権力の鎖を断ち切る、人間解放の歌声だ。
 清新なる「ニュー山梨」の、わが友よ!
 絢爛たる「文化の城」「平和の要塞」を、わが郷土に築いてくれ給え。新しき時代と世紀の旗は、君たちの手に握られ、君たちの生命に輝いているからだ。

1
1