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日蓮大聖人・池田大作

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「ナポレオン展」を見て 「精神の皇帝」の戦い続ける生命

1999.5.26 随筆 新・人間革命2 (池田大作全集第130巻)

前後
1  「あの人は、なんといっても全世界に夢を与えてくれる人です。その点で、人類はお礼を言ってよいと思います」(ベッティーナ・フォン・アルニム『ゲーテとある子どもとの往復書翰』竹内英之助訳、日本評論社)
 一八〇七年、ドイツ訪問中のナポレオンを見たある老婦人は、こう語ったという。
 その理由は、「夢をみなかったら人は何の楽しみも無く、今までの時代がずっとそうだったように、みんながただ惰眠をむさぼるばかりでしょう」(同前)と。
 かの文豪ゲーテのお母さんの言葉である。
 ″たった一人の人間が、ここまでできる! 歴史を動かし、変えられる!″
 その功罪にはあまたの議論があるにせよ、ナポレオンは、人間の可能性という「夢」を、壮大に広げた大英雄であったことは間違いない。
2  八王子の東京富士美術館で、「特別ナポレオン展」が開幕して、間もなく一カ月になる。
 「波瀾万丈のナポレオン」の生涯を、約五百点に及ぶ貴重な品々で紹介するという展示は、大好評であると伺い、本当に嬉しく思っている。
 同美術館としては、二度目の″ナポレオン展″であるが、今回は、彼の側近のミュラ元帥の宝剣など「フランス国宝」五点のほか、ナポレオンの手袋やハンカチなど国宝級の遺宝十一点が初公開されている。
 アメリカのブラスナー博士をはじめ、開催にご尽力をいただいた、すべての方々に感謝を捧げたい。
 博士とは、既に、ナポレオンの「人間学」「指導者学」を縦横に語り合った。
3  私自身も、過日(四月二十九日)、実際に展示を拝見したが、その時の感銘は、今なお鮮烈である。
 会場に入って、すぐ目に飛び込んできたのが、流刑地のセント・ヘレナ島で使われた携帯用の椅子――国宝の″ナポレオン最後の玉座″であった。
 深紅の布地に、金の縁取り。そして四本の脚の先は、″獅子の足″にかたどられ、背もたれの後ろには、皇帝を表す「鷲」の紋章が付いているという。
 「私の人生は、何という小説ロマンであろうか」―― 一代の風雲児ナポレオンは一人、この″ 玉座″に座り、嵐のごとき来し方を振り返ったにちがいない。
 展示は、彼の記憶をたどるかのように、まず、地中海に浮かぶコルシカ島での生誕(一七六九年)にさかのぼる……。
4  昨年、私は、そのコルシカ島にあるレッチィ市から、「顕彰メダル」を頂戴した。
 私の名代として、授与式に出席した長男が、コルシカの美しき風光を語ってくれた。
 私の胸のなかに、この「海の中の山」とも呼ばれる起伏に富んだ島を駆け巡る、少年ナポレオンの姿が鮮やかに蘇った。
 ちなみに、「ナポレオン」には「谷間の獅子」の意味があるという。まさに、彼は、山あり谷ありの、コルシカの天地から世紀の舞台へ躍り出た「獅子」であった。
5  先日、私は、韓国の名門・国立済州チェジュ大学の招聘をいただき、初めて済州島を訪問することができた。
 韓国随一の漢拏ハルラ山がそびえ、コルシカ島と相通ずる勇敢不屈の気風をたたえた島である。
 私は、この済州島に、二十一世紀の知性の獅子が台頭しゆく力を、確かに感じとった。
6  余談になるが、私は、少年時代からナポレオンが好きで、随分と本も読んだ。
 友人から「ナポレオン博士」と呼ばれ、戦後、近所の中学校の夏季学校に招かれ、ナポレオンの講義をしたこともある。
 今回の展示には、「ナポレオンと日本」というコーナーもあり、鶴見祐輔(ゆうすけ)著の『ナポレオン』など、私が愛読した本も並んでいて、懐かしかった。
 思えば、戸田先生もナポレオンがお好きであった。尋常小学校の高等科のころ、教師に代わってナポレオンの話をされ、皆から「ナポレオン」と渾名あだなされたそうだ。
 さらにナポレオンは、私たち夫婦の″縁結び″の役もしてくれた。というのは、妻と知り合ってから、しばしば、本を貸してあげたり、読んだ感想を語り合ったものだが、そのなかに、ナポレオンの伝記も入っていたのである。
7  「数々の逆運に遭っても 私の魂は 大理石のように堅かった」(オクターヴ・オブリ編『ナポレオン言行録』大塚幸男訳、岩波文庫)とは、彼の有名な言葉である。
 展示作品のなかに、二度目の退位のあと、投降したイギリス艦の甲板に立つナポレオンの絵があった。
 彼は一人、屹立していた。帝冠を奪われてもなお、彼は厳然として皇帝であった。
 当時のこんなエピソードが伝えられている。
 流刑地セント・ヘレナに向かう船中のこと。乗組員に″彼を皇帝と呼ぶな、将軍で十分だ″との命令が出される。
 すると、ナポレオンは昂然と言い放ったという。
 「彼らは、私を好きなように呼ぶがいい。それでも、私が私であることまで妨げることはできまい」(長塚隆二『不可能を可能にするナポレオン語録』日本教文社)
 我は我なり! いかなる逆風があろうとも――なんと誇り高き心であろうか。
 胸に大闘争心ある限り、ナポレオンは不撓の皇帝であった。
 「戦い続ける生命」こそが、ナポレオンであった。
 彼は、生涯に、自ら六十余回もの戦闘の指揮をとったといわれる。激戦、また激戦の日々であった。
 そして、最後の流謫るたくの島においても、ナポレオンは「新たな戦い」を開始する。
 それは、未来のための「精神の闘争」であった。
8  「現在はつらい過渡期にすぎない。何が勝ち誇るべきであるか? 未来が勝ち誇るべきではないか?」(前掲『ナポレオン言行録』)
 ナポレオンにとって、「未来」とは、知性であり、産業であり、平和であった。
 その「未来」が、暴力・特権・無知という「過去」に勝ち誇る明日を、彼は見つめていた。戦争は「時代錯誤」だと見抜いてさえいたのである。
 「剣」に対する「精神」の勝利――歴史の水底の流れは、彼の志向の正しさを証明しているといってよい。
 「前進!」
 ナポレオンは、そう叫んで、世紀から世紀を駆けた。
 彼が未来の空に馳せた夢は、「平和と文化の二十一世紀」へひた走る、我らの「前進」への励ましではあるまいか。
 ――私は、心満たされた思いで美術館を後にした。

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