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日蓮大聖人・池田大作

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大関西の底力 いざや新世紀へ 威風堂々と!

1999.4.21 随筆 新・人間革命1 (池田大作全集第129巻)

前後
1  第二関西の方々から、「私たちの方面の随筆を、是非とも、書いていただきたい」との、切々たる祈りある手紙が舞い込んできた。
 その雁書がんしょの中には、わが同志である神戸の友が、少し沈んでいるという意味のことも、書かれていた。
 戦には、勝つ時も、負ける時もある。
 古今東西、大なり小なり、すべての戦の方程式である。
 「常勝」とは、最後の勝利を、トータルして勝ちきることを指すのである。
 一喜一憂しては負けである。
 「鉄の忍耐、石の辛抱」(『ドイツの名詩名句鑑賞』高橋健二編、郁文堂)とは、ゲーテの有名な言葉である。
 また、トルストイも、「勝負の決しがたい場合には、常に根気の強い方が勝利者」(『戦争と平和』米川正夫訳、岩波文庫)という名言を残した。
 ともに、人生の真髄を突いた、世界の文豪の放つ言葉は、誠に重みがある。
2  昨年(一九九八年=平成十年)、「世界文化遺産」である二条城の側に、新しき京都国際文化会館が完成した。まさに、同志の美しき心の七宝で荘厳された、哲学と友情と文化の宮殿である。
 この会場で、晴れの創立記念日に、私は、関西の友と一緒に、韓国・慶山キョンサン市の名誉市民の称号を拝受した。慶山市は京都の城陽じょうよう市と姉妹交流を結ばれている。
 会館の敷地は、かつて、草創の功労者である、広谷キヌさんが経営する織物工場があったところで、京都の支部事務所も置かれていた。私も何度、お世話になったかしれない。
 ともあれ、いかなる権力にも権威にもよらず、われら庶民の力が、尊き幸福の法城をそびえ立たせていったのである。本当に、私は嬉しい。
3  私が第三代会長に就任する時、ある力強い響きの歌が、全国の同志に歌われ始めた。それは、大波のごとく澎湃として、日本中に轟きわたっていった。
 これこそ、京都からわき起こった「威風堂々の歌」である。
  ♪濁悪の此の世行く 学会の
   行く手を阻むは 何奴なるぞ
   威風堂々と 信行たてて
   進む我らの 確信ここに
 フランス革命の折に、一人の青年の熱情から生まれた、あの「ラ・マルセイエーズ」と同じような波及といってよい。上から作って、これを歌えというのではなく、自然のうちに、第一線から盛り上がって歌える歌は、人間の共感を呼ぶ。
 わが学会は、広宣流布の歌とともに前進してきた。
 ただ、二十年、三十年と歌われてきた、多くの学会歌も、若干、年老いた感がある。今ふたたび、新世紀に向かう歌を、二十一世紀の新しいマーチを、各方面の青年部の有志で作ってはどうかと、提案しておきたいのである。
4  ちょうど四十年前(一九五九年=昭和三十四年)の三月、恩師である戸田先生の一周忌を前に、私は中部から大津に入り、さらに福井、京都の福知山を駆け巡った。奇しくも、今日の「第二関西」の地である。
 先生が行けなかった土地へ、私が名代として派遣されたのだという決意で、大切な同志を激励したことは、あまりにも懐かしい。
 小高い丘に建っていた、小さな旧・彦根会館にも、私は、たびたび足を運んだ。今年は、彦根支部の結成三十五周年である。
5  今、大津市の滋賀文化会館に立つと、眼前には、銀の鏡のように琵琶湖が広がり、近江大橋が湖上を渡る。
 さらに右手の、湖の南端からは、瀬田川が流れ始める。
 この瀬田川(勢多川)は古来、京都の防衛の要であり、下流の宇治川と並んで、幾度となく、激しい攻防戦が繰り返されたことは、あまりにも有名な歴史の物語である。
 「仏法は勝負」である。
 大聖人は、門下に対し、その法戦に臨む覚悟を、こう教えておられる。
 「此れこそ宇治川を渡せし所よ・是こそ勢多を渡せし所よ・名を揚るか名をくだすかなり
 同じ戦うなら、断じて勝つことだ。わが胸中に堂々たる勝鬨を上げることだ。
6  一九八九年(平成元年)の春四月にも、私は、美しき湖国にいた。
 湖北の滋賀研修道場で、滋賀・京都・福井三県の頼もしい青年部の大会や、創価同窓の集いに出席した。
 また、長浜市でも、関西の最高会議を行った。
 私が名誉会長に就任して十周年の時である。
 関西にとっては、一九七九年(昭和五十四年)に「次の十年を開こう!」と誓って、遂に迎えた黄金の節目であった。
 「この十年、一番、尊き学会を守ってくれたのは、関西であった!」
 その時、断固として宣言した私の心は、生涯、変わらない。
 昨年、全国のどこよりも早く、福井のわが友のお名前を、東京牧口記念会館に永久保管することを提案したのも、この心情からである。福井市、鯖江(さばえ)市、武生(たけふ)市、敦賀市、そして小浜(おばま)市をはじめ、全六十支部の「広宣流布の闘士」の芳名は、牧口先生の殿堂に、永代にわたって光り輝くにちがいない。
7  御聖訓には「太陽が東の空に昇れば、天の空は、すべて明るくなる。『大光』を備えているからである」と仰せである。
 〈「日輪・東方の空に出でさせ給へば南浮の空・皆明かなり大光を備へ給へる故なり」〉
 いくら、夜がどす黒くとも、太陽が出れば必ず明るくなる。
 太陽の日蓮仏法を修行しゆく、わが学会の広宣流布は、世界を明るくする。
 学会は、永遠不滅の太陽の団体である。
 なかんずく、その核と燃えゆく存在こそ、関西である。
 いかに闇のごとき外敵が攻めようとも、絶対に恐れる必要はない。
 最後は、必ず一善が勝つ。
 「悪は多けれども一善にかつ事なし」とは、大聖人の御確信であられる。
 愛する関西の同志よ!
 断じて負けるな!
 悠々と勝ち進みゆけ!
 大関西の正義の旭日よ、二十一世紀の常勝の空へ、いよいよ威風も堂々と、再び昇りゆけ!

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