Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

大東京の不滅の地盤 我らの行進は 永遠に民衆と共に!

1999.4.19 随筆 新・人間革命1 (池田大作全集第129巻)

前後
1  「よい知恵や立派な思想は、すべて苦難にきたえられて生まれてくる」(『希望と幸福』秋山英夫訳編、社会思想社)とは、スイスの思想家ヒルティの有名な言葉である。
2  わが壮大な使命をもつ創価学会は、民衆の大地から誕生した。
 権力もない。財力もない。権威の地盤もない。そのなかから、宝塔の涌現するがごとく、この世界に、不思議な力と使命をもちながら、屹立した。
 ゆえに、わが学会は、永遠に、民衆とともに歩む!
 民衆のために戦う!
 民衆と民衆の連帯の平和の大要塞をつくりながら、人類の幸福を守る!
 今や、宗教界の多くは、沈澱してしまった。いな、衰微してしまった。活力もなく、当初の目的観も失い、幽霊のような状態になってしまった。
3  かつて、フランスの作家、アンドレ・モロワは語った。
 「ローマが英雄たちのローマであったかぎり、ローマは繁栄していました。ローマがみずから築きあげた価値を尊重しなくなったとき、ローマは滅んだのです」(『青年と人生を語ろう』谷長茂訳、二見書房)
 要するに、あの″永遠のローマ″が滅んだ根本原因は、結局、人びとが「草創の精神」を忘れ去ったためであったと。
 確かに、鋭い洞察といってよいであろう。
 世界に広がる創価学会の連帯は、ますます朝日の昇るがごとく、光り輝いている。それは、人類が待望している思想であり、哲学であるからだ。
 蓮祖の広宣流布の心は、加速度を増しながら進みゆく学会の姿のなかにのみ、見いだすことができよう。この原点の誇りを、絶対に忘れてはならない。
4  一九八〇年(昭和五十五年)のことである。
 この祝賀の創立五十周年は、果てしなき卑劣な攻撃と、大難の風波が吹き荒れた日々であった。
 その本陣たる、わが大東京も、さまざまな次元で、苦悩と苦杯を嘗めてきた。
 一歩、退いたら、牙を抜き取られるような、厳しい状態の日々であった。皆も、何をしたらよいか、どうしたらよいのか、ためらい始めていた。
 私は、その姿を見て、あまりにも情けなかった。
 なんと、ふがいない幹部たちよ。私を引退させておいて、自分の責任まで忘れ去っている臆病な姿に、私は怒りを覚えた。
 初代会長・牧口常三郎、二代会長・戸田城聖の、何ものも恐れぬ獅子のごとき、あの学会精神はどこへいったのか!
5  寒風の吹きすさぶ、年の暮れであった(昭和五十五年)。
 宗門一派の陰険な嫉妬のために、当時の私の置かれた立場は、会合にも自由に出られず、指導も思うようにできなかった。
 恐ろしく黒き権威の鎖が、いつも私を縛りつけていた。
 今でも、その黒い陰謀のつながりは、なんの道理もなく、私を脅し、中傷し、嘘八百を売り物にしている。
 しかし、レオナルド・ダ・ビンチの言葉の幾つかを思い出すと、笑いたくなる。
 「嫉妬は架空の醜名をもって、つまり、讒謗(ざんぼう)をもって攻撃する」
 「穴を掘るもののうえに、穴は崩れる」
 「脅迫とはひとえに脅えた者の武器にすぎない」(『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』杉浦明平訳、岩波文庫)
6  ともあれ、戦うことが信心である! 学会精神である!
 私は一人、戦いを開始した。
 小さな会合へ!
 小さな懇談会へ!
 小さな指導会へ!
 連日のごとく、東京各区の小さな城へ、同志の方々のもとへと、懸命に走り続けた。
 十二月十六日には、葛飾・足立・江戸川。翌十七日は豊島・練馬・板橋・北。二十二日には、江東・墨田・荒川。二十三日は大田。二十五日は杉並。
 二十六日に第二東京へ行ったあと、二十八日は新宿。三十日は世田谷・目黒・渋谷の同志と……。
 東京よ、勇敢に立ち上がれ!
 東京よ、強くなれ! 私に続け! と、私は真剣に叫んだ。
 私は、多忙な時間をこじあけ、大東京を回り抜いた。
 懐かしき草創の友のもとへ!
 新しき青年の渦のなかへ!
 中野、品川の新しい法城にも、足を運んだ。
 台東と中央、文京、また、港と千代田の皆様とも、何度もお会いした。
 独楽こまの軸は小さい。しかし、全体を動かす力をもっている。
 ゆえに、小さな会合や、少ない同志と語り抜いていくことが、大いなる回転を始める根本であることを、私は知っていた。
 ともあれ、″うず″から、真っ赤な炎を燃え上がらせるように、私は、東京に勇気の風を送り続けたのである。
7  一九八一年(昭和五十六年)の十月二十五日、″民衆の都″足立の一万五千人の友が、八王子の創価大学に集って来られた。
 東京の各地域の総会の、冒頭を飾る会合であった。
 この足立家族の友好総会で、私は訴えた。
 「いかなる迫害にも、私は不動である。何も恐れない! 私は戦う!
 そして、皆様の信心が盤石であるかぎり、学会は盤石である!」
 青空に轟きわたった、この時の同志の誓いの大拍手は、今再びの創価の進軍の合図となった。
 庶民は強い。
 庶民は正しい。
 そして庶民は、率直で、賢明である。
 家族のような温かさ、血の通った人情がある。そして、邪悪を許さぬ、まっすぐな正義の光線がある。
 この民衆の底力こそ、学会の地盤であることを、私は知悉していた。これこそ、全組織に、信心の血潮を通わせ、学会精神の電流を送る源泉である。
8  青春の日より、私の地盤も、たくましき庶民の街であった。
 一九五三年(昭和二十八年)一月から、一年三カ月余りにわたり、私は、男子部の第一部隊の幹部として戦った。
 部員の多くは、当時の小岩・向島・城東の各支部に所属していた。
 私は街々を駆けた。日の当たらぬ、路地の奥の奥まで、自転車で回り、同志と走り抜いたことは、誇り高き思い出である。
 「五月三日」の戸田先生の会長就任(向島の常泉寺)も、私の会長就任(両国の日大講堂)も、この下町の、庶民の舞台であったことは、決して偶然ではないだろう。
9  「生命は生命と出会うと輝き出て磁気を帯びるが、孤立すれば消え入ってしまう」(ジュール・ミシュレ『民衆』大野一道訳、みすず書房)という、大歴史家の言葉を思い出しながら、私は走った。
 今も、走り続けている。
 ――人と人を結べ!
 友情と友情を結合させよ!
 信頼の種を、植えつけよ!
 永遠に崩れぬ、人間と人間の団結の城をつくれ!
 何ものも恐れるな!
 何ものにも屈するな!
 獅子の軍団をつくれ!
 わが大東京よ、その偉大なる模範を天下に示すのだ!
 ――と、いつも祈りながら!

1
1