Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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新世紀の黎明・千葉 誉れの門下よ 一生を勝利で飾れ

1999.3.30 随筆 新・人間革命1 (池田大作全集第129巻)

前後
1  春光とともに、不滅の四月二日がやってくる。
 我らにとって、忘れ得ぬ師弟の誓いのその日がやってくる。   
 妙法に包まれた一家!
 蓮華に包まれた一家!
 「冬は必ず春となる」とは、天然の法理である。
 難を忍んで打ち勝ち、永遠の幸福を築くのが、仏法であり、信心である。
2  一九五九年(昭和三十四年)の四月――。
 それは恩師が逝いて、はじめて迎える桜の季節であった。
 私は、千葉へ、広宣流布の転戦を進めた。
 千葉市中央区(現在)の教育会館での会合へ向かう途中、幕張の海岸で、懐かしい海苔の養殖場の光景が、目にとまった。私は、同行の青年に語った。
 「海苔は、手が凍りつくような冷たい海水の中で育つ。
 水が冷たければ、冷たいほど、芳しい海苔となる。
 人材の育成もまた、方程式は、それと同じではないだろうか」と。
3  大聖人は仰せである。
 「日蓮は安房の国・東条片海の石中の賤民が子なり威徳なく有徳のものにあらず
 千葉の天地の貧しき無名の庶民であることを、大聖人は、最大の誇りとされた。
 この千葉の地で、二千年前の蓮華の種が発掘されたのは、戸田先生が第二代会長に就任した一九五一年(昭和二十六年)のことであった。
 この有名な大賀ハスが、立宗七百年にあたる翌年、見事に開花した。
 戸田先生は、これぞ、蓮華の法である日蓮仏法が大興隆しゆく瑞相なりと、それはそれは喜んでおられた。一説には、「千葉」という名前それ自体が、「千葉せんようの蓮華」に由来するといわれる。古文書には、「池田の池とて清浄の池あり。此の池に蓮の花 千葉に咲けり」等と記されていた。
 蓮華といえば、茂原の同志が、すばらしい蓮華の花を届けてくださっている。
 ある時は、私は、真心に感謝しつつ、即座に詠んだ。
  荘厳な
    蓮華の姿の
      偉大さは
    皆さま方の
      当体義抄か
4  時移り、一九九一年(平成三年)の十一月――。
 ″衣の権威″で信徒の奴隷化を狙う、魔性の日顕宗と戦い、学会は、最初の創立記念日を迎えようとしていた。
 「創価ルネサンス」の開幕となった、この新しき創立の日を祝賀してくださった方々こそ、わが千葉の友であった。
 十一月十六日。千葉市の千葉ポートアリーナで、六千五百人の青年が文化友好祭を開催したのである。多くの来賓を迎え、絢爛たる乱舞を、千葉の同志は、歌い舞った。
 宗門から学会に、解散勧告書が送りつけられてきたのは、この一週間前のことである。もとより学会は、独立した宗教法人であり、まったく無意味な通知であった。また、社会の常識からかけ離れた、勧告書の内容は、物笑いになっただけであった。
 ともあれ、解散勧告の直後ということもあり、学会の動向は注目を集め、この千葉の文化友好祭には、多数の報道関係者も取材に来ていた。
 その注視のなか、青年の熱と力は、厳然たる学会の勝利と正義を、堂々と示しきったのである。多くの来賓方が、心から驚かれていたようだ。 
 十九世紀のドイツ最大の、革命とロマンの詩人ハイネは言った。
 「ぼくは革命の子だ」
 「ぼくは全身、よろこびと歌、全身、剣と焔だ!」(『ハイネの言葉』井上正蔵訳編、彌生書房)
5  ある仏教学者が、″どうして、日顕宗は狂乱坊主の集団になってしまったのか。供養を取るだけ取って、大功労者である学会を、一片の通知だけで切り離すとは、何たる狂気の沙汰か″と。
 しかし、学会は強かった。微動だにせぬ不動の姿に、日本中の宗教界は驚いた。
 なぜ、宗門は狂ったか。
 法華経に照らし、御聖訓に照らすならば――
 「我慢偏執」であるが故に、
 「軽善憎善」であるが故に、
 「嫉善恨善」であるが故に、
 「悪人親近」であるが故に、
 「邪智諂曲」であるが故に、宗門は、瓦解した。
 それに対し、
 「如説修行」であるが故に、
 「法華折伏」であるが故に、
 「破邪顕正」であるが故に、
 「死身弘法」であるが故に、
 「当如敬仏」であるが故に、学会は大発展を続けている。
6  私と千葉の皆様の思い出は、限りない。
 わが青年部と共に、銚子や富津で語り合ったこと。また千葉の広宣流布の草創時代から、浦安や佐原に走り、船橋や市原に駆けたこと。そして、市川、松戸、柏、野田、佐倉、勝浦、天津小湊、大原等の同志と語り合ったことも、懐かしい。さらに、成田は、世界への飛翔の窓口である。
 今、館山には、″菜の花″に包まれた、王者の千葉研修道場も完成した。
 千葉の舞台は、いつも何かが躍り出るが如く、賑やかである。永遠に、新鮮な旭日の昇る勢いが感じられる。
 末法の御本仏・日蓮大聖人が、東天に向かいて、大宇宙に南無妙法蓮華経の宣言をなされた御姿と魂を、断じて忘れてはならない。千葉の同志は、大聖人の直結の門下の誉れと魂を受持して、この誇り高き一生を飾り、三世にわたる栄光を胸に抱きながら、前進されんことを祈りたい。

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