Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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広宣の光・信越 友情とロマンの花咲け 人材王国

1999.3.24 随筆 新・人間革命1 (池田大作全集第129巻)

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1  夜は明けた!
 今、信越の空にも、赫々と、感激の太陽が昇る。黄金の使命の門を通り抜けて、彼自身の軌道を正確に進む。
 私も、わが人生の道を、今日も歩む。先頭に立って歩む!
 偉大な目標に向かって、壮大な使命の方向へ! そこには、少しの悔恨もない!
 君たちが今日も戦いゆくその道、わが使命の道は、新潟であり、長野である。
 その新潟と長野とは、兄弟であり、姉妹なのである。
2  それは、二十一年前(昭和五十三年)のことであった。
 二月十九日の、午後一時ごろである。
 若き、わが広布の同志が、寒風のなかを、飛ぶようにやって来た。
 彼らは、夜明け前から、暗い雪道を踏み越えて、私のいる、立川文化会館にたどり着いたのである。ここで、第一回の歴史に残るであろう、凛々しき信越男子部幹部会が開催されたのである。
 今や、邪教になりさがった宗門が、狂気のごとく、私を脅し、狙って、無数の謀略と迫害に荒れ狂い始めていた時代であった。
 私は、正義の学会を守るために、決然と、一人、絶対に負けぬと決意していた。
3  この日、私は、青年たちの労苦をねぎらい、彼らにホイットマンの詩の一節を贈った。
 「さあ、出発しよう! 悪戦苦闘をつき抜けて!/決められた決勝点は取り消すことができないのだ」(『草の葉』富田砕花訳、第三文明社)
 皆の顔(かんばせ)が一段と輝いた。
 広宣流布の道は険しい。
 御聖訓に照らし、「三類の強敵」が猛然と襲いかかることは必然であると、皆も思っていたにちがいない。
 しかし、ひとたび、戦いを起こしたからには、断じて勝たねばならない。それが、創価の使命であり、獅子の誇りだ!
 私は、その大闘争の誓いを、粘り強き、信越の友に託したい思いであった。
4  半年後の八月、今度は私が、長野の松本に伺った。
 私が青年部の室長の時に、この松本を初めて訪問してから(一九五八年=昭和三十三年)、二十年の節目のことであった。
 かつて、「信濃の広宣流布は松本から!」と期待した通り、偉大な発展が頼もしかった。
 ――二十年前のその時に、私たちは、諏訪から霧ケ峰高原まで足を延ばした。
 そこには、緑と花と風の草原があった。彼方には、北アルプスの峰々が映えていた。
 空はどこまでも青く、高く、無辺の夢の世界へ、果てしなく広がっている。
 わが師である戸田先生の逝去から、四カ月余が過ぎていた。
 ″先生が、この雄大な高原をご覧になり、ここで青年の訓練にあたられたら、どんなに喜ばれただろう……″
 後に、男女青年部の人材グループの水滸会、華陽会の研修を行ったのも、こうした思いからであった。
 今、霧ケ峰に、青年研修道場が誕生し、新世紀の若き指導者たちが、青空と涼風に包まれ、生き生きと広布の未来を語り合う姿は、嬉しき限りである。
5  いうまでもなく、わが信越は、日蓮大聖人が人間王者の大獅子吼をなされた、深遠な仏法有縁の天地である。
 しかも、牧口先生が、新潟の荒浜(今の柏崎市内)に生誕されたのは、大聖人の佐渡御流罪(文永八年=一二七一年)から、ちょうど六百年後であった。
 その先生は、六十歳を過ぎて、幾度か、信越に黄金の足跡を残された。
 故郷・荒浜に戸田先生を伴われて行かれ、知人を折伏されてもいる(一九三三年=昭和八年)。
 さらに厳冬の二月に、長野に来られたこともある。諏訪・伊那・松本・長野・上田で座談会等を開き、十七人が入信したと記録に残っている(一九三六年=昭和十一年)。
 牧口先生の手になる、最初の地方折伏は、実に、わが信越であったといってよい。
6  以前、この随筆でも綴ったように、戸田先生は亡くなる前年(一九五七年=昭和三十二年)の夏、軽井沢に静養に来られ、私もお側に呼んでいただいた。あの日、あの時、恩師の伝記小説の執筆を、わが使命として心定めたのである。
 私が名誉会長になって最初の夏も、この忘れ得ぬ師弟の舞台であった軽井沢を訪ねた。
 前年にオープンした長野研修道場を拠点として、新しき広宣流布の戦いを、新しき人材山脈の建設を始めたのである。
 徹して、「一人」を育てることだ! 「一人」を大事にすることだ! その「一人」を獅子にすることだ!
7  あの夏から、ほとんど毎年のように、私は、この長野研修道場を訪れ、広布の指揮をとり、正義の波動を起こしてきた。
 いついつも、この美しき花と緑の園を荘厳し、広宣の法城を守ってくださる皆様に、心より感謝申し上げたい。
 軽井沢には、かってインドの詩聖タゴールも訪れたが、今や我らの道場には、キルギスの作家のアイトマートフ氏や、インドのガンジー記念館館長のラダクリシュナン博士をはじめ、数多くの海外のお客様が訪問してくださっている。
 ともあれ、信越は、偉大なる「人材の王国」であり、友情とロマンの花咲く、人間性の輝く楽園であり、そして、大いなる広布の″光源″である。
 信越が燃えれば、勇気の脈動が全国に流れ、希望の光が世界に走る! これが広布の前進のリズムとなってきた。
8  ビクトル・ユゴーの詩に、こうあった。
 「おおワーテルローよ、私は涙ぐみ、足をとめる、ああ。
 最後の戦闘の最後の兵士たちは
 偉大だったからだ。全土を勝ち進み、
 二十の国王を放逐し、アルプスとラインを越えた。
 彼らの魂は、青銅のラッパとともに歌っていた」(「懲罰詩集」松下和則訳、『世界名詩集大成』2所収、平凡社)
9  イギリスの詩人ブレイクも、また謳っていた。
 「わたしの骨のまわりに氷りつく
 この重い鎖を破れ!
 自己本位の鎖を! 見えばりの鎖を!
 永久の害毒の鎖を!」(『ブレイク詩集』寿岳文章訳、彌生書房)
10  ともあれ、私たちには、
 信心の武装がある。
 哲学という鎧がある。
 故に、不幸な敵は
 近寄ることができない。
 残忍な涙もなき輩は、
 遂には、必ず
 その欺瞞の身を滅ぼし、
 やがては誰人からも、
 腐りきった一個の物体として、捨て去られてゆくだろう!
11  春は来た!
 身勝手な自己本位の輩を、
 残酷で、嫉妬に狂った輩を、
 まばゆい陽光で溶かし、
 薫風に吹き飛ばしながら!
 悪に勝った喜びとともに、
 春は、やって来た!
12  信越の友よ! さあ、出発しよう! さっそうと白馬に乗る勇者のごとく!
 創価の誇りの旗を握り、山を越え、谷を越え、波濤を越えて、痛快に進め!
 いよいよ、民衆の栄光の朝が来た! 我らは勝った!
 勝利の太陽は、白雪の山上に昇り、我らを照らし始めた!

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