Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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正義の大道征く埼玉 「創価ルネサンス」と我らのロマン

1999.3.3 随筆 新・人間革命1 (池田大作全集第129巻)

前後
1  ビクトル・ユゴーは語った。
 彼の革命の書『九十三年』の一節である。
 「革命とは、民衆が君臨することであり、その根本においては、《民衆》は《人間》なのである」(榊原晃三訳、潮出版社)
 わが埼玉も、私の青春時代の大法戦場の一つであった。
 人生、勝ちたる者の剣は光り輝き、敗れし者の叫びは、あまりにも暗黒の妬みと怨みのうめきである。
 広宣流布に立ち向かう人は、賢者であり、勝者であらねばならない。
 絶対に勝ちゆくところに、仏法の意義がある。
2  この埼玉の地も、かつては″北武蔵″と呼ばれ、幾春秋の栄枯盛衰の歴史を留めた天地でもあった。わが師、戸田先生と御一緒に、夕やみ迫る、埼玉側の荒川の土手を語りながら歩いた、懐かしきあの日。
 あの幾たびとなく、御書講義のために馳せ参じた、川越の思い出。
 さらに、我らの元初の使命である広宣流布のために、私は、志木へ、朝霞へ、大宮へ、川口へ、浦和へ、ある時は、熊谷の地へ、与野へと、走った。
 また上尾や所沢の天地、さらには、三郷、戸田の法戦にも走った。
 青春時代からの、私の広宣の思い出のなかには、幾人もの忘れ得ぬ、尊き埼玉の同志が浮かんでくる。
 みなの瞳が、光っていた!
 みなの心が、輝いていた!
 みなの戦いが、深く強かった!
 私と埼玉の同志の、共に戦い勝った懐かしき歴史は、あまりにも深く、生涯、心より消え去ることはない。
3  昭和三十三年(一九五八年)四月二日は、戸田先生の逝去の日である。
 以来、柱が倒れた学会は、何とも言えぬ侘しさに包まれ、勢いも力も衰えていった。梵天・帝釈も消え、諸天善神も去りゆくがごとき、暗闇の学会に傾いていった。
 反学会の評論家たちの、「学会は空中分解」「学会は分裂して崩壊」等々の厳しい喧騒が渦巻いた。
 広布の行列の行進も、過ぎ去ろうとしていた。
 そのような憂いに沈み、烈風の轟くなか、大声を張り上げて、「早く第三代の会長を推戴すべきである。学会の首脳たちは、何をしているのか! 第三代会長の推戴を急げ!」と駆けつけたのが、当時の埼玉の青年部であった。
 激しき嵐の環境のなかで、思い切った、雄々しき彼らの大胆不敵な叫びは、学会の首脳を動かした。その旋風は、日本中に広がった。否、その夜明けの火と燃える合図は、やがて世界中に光を送りゆく火力があった。たそがれゆく暗き学会に、ついに、南も北も、東も西も、燦々たる太陽の光が昇り始めた。
 彼らは叫んだ。
 「偉大な第三代は、戸田会長以来、明確に決まっているではないか! 早く、手続きを開始せよ!」
 彼らに続いて、誰もが、全面的に納得の行動と雄叫びを放った。
4  ある時は東京を動かし、またある時は東京の砦となり、大関東の中枢になっていた、埼玉の意義は、あまりにも大きかった。
 幹部たちは、その青年部の代表に言った。
 「たくましき巨人の埼玉が、立ち上がったね!」
 青年たちは頼もしく微笑み、″いつでも反逆の徒と戦う!″との熱烈たる気迫に燃えていた。
 第三代に推挙された私と共に、その戸田会長の心を心として、立ち上がる埼玉に対し、私は「鉄桶の埼玉」と讃えた。また、その心豊かに、前途を切り開いた意義にちなんで、「ロワールの埼玉」と謳った。
 埼玉の勢いは、時には、東京を叱咤し、全国を動かした。
 ルネサンスの巨匠レオナルド・ダ・ビンチは言った。
 「障害は私を屈せしめない。
 あらゆる障害は奮励努力によって打破される」(『レオナルド・ダ・ビンチの手記』杉浦明平訳、岩波文庫)
 西の関西、東の埼玉――今や「常勝」のスクラムは、厳然として揺るぎない。
 偉大な埼玉であるがゆえに、愚かな嫉妬に狂った、哀れな退転者の姿も、見え隠れするであろう。これが仏法の方程式である。
 しかし、「鉄桶の埼玉」は、日顕宗や、卑しき反逆の連中を見下し、大潮がうねり進むがごとく、「創価ルネサンス」の凱歌を響かせ、今日も勝利と栄光の前進を重ねている。
 私は毎日、全会員の皆様が、ご健康でご長寿の、大福運ある人生でありますよう、祈りに祈っている。
              ――九州・宮崎にて。

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