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日蓮大聖人・池田大作

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わが共戦の天地 東北が健在なら日本は健在!

1999.2.24 随筆 新・人間革命1 (池田大作全集第129巻)

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1  ナポレオンいわく。
 「フランスでは 大衆に頼ってしか 偉大なことはできない」(オクターヴ・オブリ編『ナポレオン言行録』大塚幸男訳、岩波文庫)
 これは、不滅の言葉である。
2  先日来、多くの東北の友から、大空に舞い上がるがごとく、元気はつらつたる手紙が届いている。
 ともあれ、「広宣流布の聖火」は、東北の仙台から燃え上がった。
 戸田先生が、七十五万世帯の大折伏を宣言されるや、真っ先に立ち上がった地方支部こそ、仙台支部であった。
 戸田先生は、この新生の天地をこよなく愛され、幾度となく、弟子を連れて、全力で東北に走った。先生の訪問は、わずか七年たらずの間に、なんと、十六回を数えている。
 「師と共に立つ!」――これこそ、東北の同志の胸に、熱く脈打つ血潮であった。
 今日の「大関西」が、大阪支部として発足した当初、「目標」にしたのも、この東北・仙台支部だったことは、有名な事実の物語である。
3  私が恩師の命を受け、初めて青葉の仙台を訪れたのは、一九五一年(昭和二十六年)、二十三歳の夏であった。
 以来、東北にわが足跡を印すこと、五十一回――。
 思えば、牧口先生も、二度、福島に折伏に来られた。
 東北の豊かな大地には、初代会長以来の折伏精神が、生き生きと流れている。
 ある日、ある時、戸田先生は、東北の弟子を前に、朗らかにこう言われた。
 「青森は、『頭』である。
 岩手、秋田は『両肺』であり、『両腕』である。
 宮城は『心臓』であり、『肝臓』であろう。
 すると、山形は不屈の意志を蔵した『はら』であろうか。
 そして福島は、大地に立つ『足』であり、『腰』である」
 また、日蓮大聖人は、インドから見ると、日本は丑寅、すなわち「東北」の方角にあたると仰せである。
 「此の法華経は東北の国に縁ふかし」とは、日本国、さらには、わが東北の天地と拝せられまいか。この東北が健在であれば、日本は健在であるという、重要な国土世間と言わねばならない。
4  これまで、創価の歴史には、わが魂魄を注いだ、幾多の栄光の大闘争があった。
 一万一千百十一世帯の弘教の金字塔を打ち立てた、関西の大法戦がそうだ。
 北海道の小樽問答、夕張炭労事件がそうだ。
 そして、わが東北でも、この美しき山河を疾駆し、幾度も、幾度も、激戦を重ねてきた。
 すべて、あの青葉城で、恩師に誓った「人材の牙城」を築くための闘争であった。
 その建設の脈動を、全東北に伝えるべく、心臓部の宮城が、常に、わが陣列の本拠となっていったのはいうまでもない。
 福島には、私が青春の炎を燃やした、盤石な攻防戦がある。それは、ある寺の″謗法払い″をめぐる、住職と旧檀徒の対立から起きた事件であった。
 一九五三年(昭和二十八年)の五月、二十五歳の私は、現地に急行した。堂々と日蓮仏法の正義と真実を叫び、さらに記者会見を行って、誤解と悪意を打ち破ったのである。
 その舞台である金上かながみ村は現在、会津坂下ばんげ町となっているが、創価大学と同町が合同で古墳を発掘し、このほど貴重な「銅鏡」が発見されたことは、不思議な縁を感じてならない。
 また、山形は、私が「アルカディア(理想郷)」の建設を託した、人の心清き国土である。私のつくった東北の歌「青葉の誓い」を、一番最初に歌ってくださったのも山形だ。わが郷土に「希望の太陽」を昇らせる先駆は、山形がモデルとなっていただきたい。
5  厳冬の岩手でも、二十年前、私は″地域革命の勇者たれ″と渾身の指揮をとった。
 あの日、広大な大地のあちらこちらから集って来られた友は、夜中まで引きも切らず、一日で八千人に及んだ。その一騎当千のお一人お一人に、私は合掌する思いで励まし続けたのである。
 秋田では、あの「雪の進軍」の大闘争がある。
 一九八二年(昭和五十七年)一月、毒蛇のごとき坊主の迫害に耐え、創価の正義を証明した友を励ますため、私は、白雪の秋田に飛んだ。嵐に舞い、吹雪に胸を張って前進しゆく、わが同志との共戦譜は、今も私の胸に深く刻まれている。
 私の心情は常に東北にある。
 一九九一年(平成三年)の八月、青函トンネルを渡り、あるいはフェリーに乗って、二千人以上の青森の同志が、北海道にいる私のもとへ、銀の波のごとく駆けつけてくださった。この尊い菩薩の皆様を、私は全魂を込めて激励した。海峡を越えて、必ず正義と勇気の大波となることを信じて――。
6  東北は、八百支部・二千九百地区を超える陣容となり、その後、九百支部を達成、わが法城も二百カ所近くに大発展してきた(個人会館を含む)。この創価の東北城を築かれた草創の方々を、私は決して忘れることはできない。
 「成功を決定する第一の、しかも唯一の条件は忍耐である」(『トルストイの言葉』小沼文彦訳編、彌生書房)とは、ロシアの文豪トルストイの至言である。
 この真理の通り、来る日も、来る日も、″東北魂″で、粘り強く戦ってこられた、偉大なる先輩方であられた。
 「千万人と雖も吾れ往かん」(『孟子』)
 ――(おのれに問うて、確かに自分が正しいという信念のある限り)たとえ相手が千万人であっても、自分は敢然と進んでいこう、との言葉である。
 広宣流布の総仕上げは、わが愛する東北の使命だ。
 新しき峰を登り、新しき世紀の扉を開いた時、いよいよ東北の第二章の″黄金時代″が始まる。

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