Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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神奈川の光る海 新世紀に輝け! 勝利と希望の港

1999.2.17 随筆 新・人間革命1 (池田大作全集第129巻)

前後
1   不滅なる
    連戦連勝
      飾りたる
    大神奈川よ
      更に勝ちゆけ
 幾度となく、私は、横浜にある神奈川文化会館を訪問した。
 そのたびに、眼前に広がる海を見つめた。
 あの青く光る夏の海は忘れることができない。
 黙々と往き来する多くの船の行き先は、いずこの国かと思ったりした。
 港・ヨコハマの名は、世界に知られる。
 明治の時代には、生糸の海外への積み出し港としても、大変、有名であった。
 日本各地からの「絹」が横浜をめざして集まり、それが、横浜の「シルクロード(絹の道)」をつくりあげた。
 時代は大きく移り変わり、今、われわれは、新しき世紀の夜明けともいうべき、仏法の人間主義で世界を結ぶ、「精神のシルクロード」を開拓し始めたのである。
 これこそ、真実の平和の道であり、文化の道であり、新しき時代への大道といってよいだろう。
 その限りなき希望と目的と、青春の歓びをもって戦う、先駆者としての、偉大なる神奈川の同志の存在にこそ、世界の友が目を向けていると、私は確信したい。
2  私と神奈川とは、あまりにも縁が深い。
 青春時代の、無数の呼吸をしてきた歴史がある。
 いつも、新しき永遠の広布の道を創造してきた輝きがある。
 私は、折伏に走った。座談会に走った。個人指導に走った。御書講義にも走った。
 私の心臓の鼓動の中には、常に、愛する神奈川の友があった。
 ことに、庶民の町・鶴見(横浜市)にあった、森田悌二さん(鶴見支部初代支部長)、佐々木庄作さん(第二代支部長)などのお宅は、幾度となくお邪魔した。
3  一九五五年(昭和三十年)の春のことである。
 この時、学会が基盤となり、″王仏冥合″を謳っての、第一回の選挙戦が開始された。
 それは、政治に慈悲の精神の血を通わせ、民衆の幸福を根本とした、新しき社会の建設をめざすものであった。
 私は、戸田会長から、「民衆の幸福のために頼む」と厳命されて、東京都議会の大田区と、横浜市議会の鶴見区の選挙の、両者の責任をもって、指揮をとった。懐かしく、誇り高き、思い出の初陣である。
 「一切法は皆是仏法」であるがゆえに、戦いは勝たねばならない。法華経に、「世雄」という意義の経文がある。世の中で、雄々しく民衆の救済に戦う人を、仏というのである。
 断じて、社会で勝たねばならない。
 断じて、社会で証明しなければならない。多くの同志が、その勝利を、笑顔で待っている。新しい時代の到来とともに――。
4  その日、二万の青年たちの心意気は、冷たい雨もものともせず、天を衝く勢いで、あの横浜の大スタジアムに、平和と文化の賛歌を、怒濤のごとく、嵐のごとく、響かせていた。
 一九八四年(同五十九年)の九月、あの″雨の神奈川青年平和音楽祭″である。
 しかし、次第に、雨は激しくなり、私は、参加者に風邪をひかせてはならないと、終了を早めるようにお願いした。
 最後に私は、青年たちを励まそうと語り始めたが、雨に濡れたマイクは、プツリと音が切れてしまった。その時――。
 「先生!」
 こう叫んで、一人の青年が、脱兎のごとく駆け寄り、大事に握り締めたマイクを、手渡してくれた。ありがたかった。そのマイクで、私は、無事に、終了宣言の話をすることができたのである。
 その青年は、偶然にも、練習の時に使ったワイヤレスマイクを、濡れないように、そっと鞄の中にしまっていてくれたようだ。「万一のことがあったら」と思いつつ……。
 その無名の一青年の魂を、私は、生涯忘れることはないだろう。
 「いざ鎌倉」という「まことの時」に立ってこそ、そして、そこで正義と勝利の旗を掲げてこそ、真の勇者である。
5   誉れある
    大神奈川に
      栄光の
    創価の同志の
      なんと晴れやか
 さあ、晴れ晴れと、二十一世紀という「創価の世紀」へ!
 世界の友が、神奈川の燦たる勝利を見つめ、待っている。

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