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日蓮大聖人・池田大作

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輝け 地区婦人部長 女性の世紀へ 虹の行進を!

1998.9.30 随筆 新・人間革命1 (池田大作全集第129巻)

前後
1  戦う婦人ひとは美しい。
 友の幸福を願う、懸命で清らかな生命の輝き。
 思いやりの心が光る、晴れ晴れとした、また、生き生きとした人間の舞。
 常に笑顔を絶やさぬ、偉大な母の顔。
 今、皆が、「最も美しく、燃え輝いているのが、地区婦人部長、地区副婦人部長である」と、称賛し、見守っている。
 この夏、私は、これまでの「地区担当員」を「地区婦人部長」に、婦人部の「地区幹事」を「地区副婦人部長」に改めるようにしてはどうかと、提案させていただいた。
 その後、婦人部の執行会議等で協議され、決定をみたが、新名称を提案した、私の心情を記しておきたいと思う。
2  私は考えた。
 ――学会は今、二十一世紀へ、新しき離陸の時を迎えたが、誰が、各地区に新しき飛翔の風を起こすのか。
 答えは明らかであった。
 それは婦人部であり、なかんずく地区幹部の皆さまにお願いする以外にない。
 ゆえに、その方々が、新しい心で、新しい気持ちで、新しい法戦を開始することを願い、新たな役職名を提案させていただいたのである。
 「地区担当員」も、「地区幹事」も、ともに、長い伝統のある役職名であり、特に″地区担さん″といえば、婦人部の象徴であった。
 しかし、「名は体を表す」という観点から考えると、「地区担当員」は、″担当″などという範囲をはるかに超え、″地区そのもの″といえる存在であった。
 では、それに替わる新名称は何か。
 地区の全責任を担ってこられた″地区担さん″は、実質に即していえば、「地区・会長」が、ふさわしいのかもしれない。
 でも、そうなれば、「地区部長」の立場がない。
 そこで、大幅に譲歩していただき、「地区婦人部長」とさせていただいたわけである。
3  学会には、全国の婦人部長もいれば、方面や県・区・圏、また支部の婦人部長もおられる。
 それは、組織の機能上の役割の違いであり、信心の上下を意味するものでは決してない。
 県・区・圏であれ、地区であれ、「婦人部長」に求められる信心、広布の責任感、行動力は、全く同じである。
 私は、全国の婦人部長になるべき信心の資格をもつ方々が、地区婦人部長として、活動してくださっていると思っている。事実、そうした学会であるからこそ、強いのである。
4  私の妻は、結婚後、しばらくの間、蒲田支部・目黒班の班担当員をしていた。
 当時は「班」のなかに、幾つかの「組」があり、「班」は、今日の「地区」に相当したといってよい。
 妻は二十代であり、組担当員さんも、班員さんも、皆、年上であった。
 だからこそ、若い自分が人一倍働こうと、いつも笑顔で、折伏に、友の激励に、懸命に走り回っていた。
 「皆の幸福のために尽くすことは、無上の誉れです」と、木枯らしのなか、長男の手を引き、次男を背負い、喜々として活動に励んでいた妻の姿が、懐かしく思い出される。
5  私は、地区婦人部長・副婦人部長の皆さまのご苦労を、よく知っているつもりである。
 小さなお子さんのいらっしゃる方もいよう。
 勤労婦人もおられるであろう。
 聖教新聞の配達をされている方も、多数いらっしゃる。
 そのなかで、来る日も、来る日も、わが使命に燃えて、広宣流布という尊い偉業に献身されている姿は、あまりにも貴い。
 その人こそ、人間として最も美しい、真正のボランティアである。
 その胸中には、まばゆき歓喜の太陽が輝きわたる。
 その境涯は、既に女王であり、その道は、絶対的幸福の大宮殿へと至る。
 その労苦は、永遠の福運となり、人格の光彩となって、人生を金色に染め上げる。
6  地区は、広宣流布の「母港」である。
 船が港で燃料や食糧を補給し、勇躍、大海に船出していくように、わが同志もまた、地区から出発し、地区に集う。
 地区の繁栄は、学会の勝利である。
 地区に足場のない幹部は、漂流する船に等しい。
 この母なる港である地区の担い手こそ、地区幹部の皆さまであり、その団結こそが、同志を守る堅固な防波堤となる。
 婦人の「地区幹事」を「地区副婦人部長」とさせていただいたのも、「地区婦人部長」と同じ自覚で、さらに、固い団結を築き上げてほしいとの願いからである。
 正役職と副役職とは不二の関係にある。心を合わせ、尊敬し合い、協力し合ってこそ、勝利の歯車の回転が生まれる。
 二十一世紀は、女性の世紀である。
 その開道者の誇りも高く、幸の行進を、花の行進を、虹の行進を!

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